旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

川内優輝選手の快挙を喜ぶ … 別大マラソン

2013-02-04 14:34:43 | スポーツ

 

 昨日の別大マラソンにも興奮した。応援を続けている川内選手が快勝したことによるが、何と言ってもその勝ちっぷりが良かった。相手の中本選手には悪いが、12キロにわたるデッドヒートを最後まで演じてくれたことに感謝している。

 二選手の力が他を圧していたのであろうが、28キロから二人が飛び出し、40キロ過ぎまで抜きつぬかれつのデッドヒートというのも、マラソンとしては珍しい。
 中本選手は10度目のマラソンで、ロンドンオリンピック6位をはじめ、優勝こそ外しているが常に10位以内を走るマラソン界のサラブレットだ。安川電気に属し駅伝でも名をはせている。立派な監督、コーチに指導され、体調や食生活に関する管理も行き届いているのであろう。出場するレースも、年1、2回で満を持して参加するのであろう。
 一方川内選手は公務員。埼玉県庁の職員で毎日業務に追われ、毎週どこかのレースに出場しながら、それを練習として鍛えてきたという。事実、昨年ロンドンオリンピックへの切符を逃した後も、国内はもちろん、「ドイツ、オーストラリア、エジプトなど(あまり聞いたことのない外国レース)に挑戦をつづけながら、タフさと技術を見つけてきた」ようだ。(本日付日経新聞スポーツ欄)

 こうなると、昨日のような長距離デッドヒートとなれば勝負ありではないか? 外国人と磨いてきたタフさ、どうすれば勝てるかの勝負勘…、このようなものを毎週磨いている者と、(必ずしもその通りではないのであろうが)理論通りに育てらえた者とでは、勝負は目に見えているのではないか?
 「1キロ3分ペースでじっくりと引き離すはずであった」中本選手は、ついに引き離せず、「最後に強い相手のスパートについていけない自分の弱さが敗因」とあっさりシャッポを脱いだ。
 12キロの間に3、4回スパートをかけた川内は、スパートというより、「弱気にならないため、自分から落ちないため」スピードアップしたと言っている(前同紙)ので、ここでも勝負に対するとり組み方(根性?)が違うようだ。
 スポーツ界は暴力指導問題でも揺れているが、指導方法を根本的に考え直す時期ではないか?

  
   40キロ過ぎで中本を引き離す川内(本日付毎日新聞一面)


歌いつがれた日本の心・美しい言葉⑳ ・・・ 『叱られて』 

2013-02-03 10:33:15 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 このシリーズの締めくくりの歌は、清水かつら、弘田龍太郎コンビが日本歌曲史に残した名曲『叱られて』である。

    叱られて しかられて
    あの子は町まで お使いに
    この子は坊やを ねんねしな
    夕べさみしい 村はずれ
    コンときつねが なきゃせぬか

    叱られて しかられて
    口には出さねど 眼になみだ
    二人のお里は あの山を
    越えてあなたの 花の村
    ほんに花見は いつのこと

 この歌は春の歌の部に属するかもしれない。2節の歌詞に「花の里」や「花見」という言葉が出てくる。しかし、歌の背景にはまだまだ冬の寒さが残っている。
 厚いねんねこにくるんだ坊やを背負い寝かしつけようと揺する子、綿入れの丹前をはおり寒さに首をすくめ、涙を浮かべてお使いに急ぐ子……、私はそこに、日本の原風景の一つを見る。
 今日は節分。昨日の東京は最高気温が20度に近く、ほんわかと春の陽気であったが、今日はぐっと冷え込み、明日からは雪の予報も告げられている。しかし明日は立春、春はもうそこまで来ているのだ。あのお山を越えた二人のお里「花の里」を夢みる時節だ。

 
 『叱られて』の歌碑(安芸市土居町公民館)

 平成9(1997)年の晩秋であったので、もう10数年も前のことであるが、私は弘田龍太郎の生誕地高知県の安芸市を訪ねた。7つある龍太郎の歌碑を巡り、『叱られて』の碑の前に立った時には、日は既に暮れかけていた。
 コンときつねでもなきそうな人けのない土居町公民館の庭隅に、地元出身のイラストレイターはらたいら氏のイラストになる『叱られて』の歌碑が建っていた。本を開いた形のそのページには、楽譜と歌詞にかこまれて、下駄の先でポーンと小石をけった子どもが描かれ、それが、叱られてすねた子どもの姿を何とも素直に表現していた。
 清水かつら、弘田龍太郎、はらたいら……、それぞれの分野の類まれな才能が一つに凝縮されたようなページで、それはまぎれもなく「歌いつがれた日本の心・美しい言葉」を伝えていた。

        
 

 

 

 

 


半世紀を経て、なお力を持つ美輪明宏「ヨイトマケの唄」

2013-02-01 15:13:16 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 1月30日付毎日新聞夕刊一面“知りたい!”欄に、「若者絶賛『ヨイトマケの唄』」と題して美輪明宏に関する大きな記事が載った。それによれば、暮れの紅白歌合戦に初出場した美輪明宏のこの歌については、特に若い世代の反響がすさまじく、ツイッターやウェブの掲示版は「号泣」とか「紅白史上最高」などの声で埋まり、音楽配信サイト「レコチョク」が行った「紅白で最も印象に残ったアーティスト」投票では1位であったと報じられている。
 美輪は日本におけるシンガー・ソングライターの走りであり、彼(?)がこの歌を自作自演で発表したのは1965年のことであった。実に48年前、約半世紀前のことである。当時から高い評価を受け、美輪も折にふれ歌ってきたが、今回初出場した紅白で、彼は満を持して歌ったのであろう。
 そしてその歌は、若者を「号泣」させ、「紅白史上最高」の評価を得たのだ。半世紀を経てこの評価を得たことは、この歌がいかに普遍性を持っていたかを示すだろう。そもそも初出場というのが間違っている。美輪はこの48年間紅白に出場し続けて、この歌を歌い続けなければならなかったのではないか?

 実は私は、今回の紅白でこの「ヨイトマケ」だけを聞いた。我が家の暮れから正月にかけてのテレビは、クラシックとオペラの番組で埋まっている。私はその中で、「ヨイトマケ」だけは聞くぞ」と早くから宣言し、2チャンネルの「らららクラシック」から時間を見計らって、美輪の一人前でNHKに切り替えた。聞き終えて、余韻を冷ますために次の和田あき子ぐらいは聞くか…、と聞いていたらワイフに「グレン・グールドが始まるんだからダメよ」と切りかえられた。
 ただ、クラシック音楽の流れる中でも、私はしばらく「ヨイトマケの唄」の感動に浸っていた。私は、彼は戦後史を歌った!、と思った。そして、これは大切にしなければならないと思うと同時に、自分のひとりよがりかなあ…とも思ってきたのだが、この毎日新聞を読んで大いに気をよくした。同年配者が当時を思い起こして支持するのはまだしも、若者の高い評価を受けたことが何よりもうれしい。

 美輪明宏77歳。戦後史を歌い続ける力を持つ最後の歌手ではないか?
 


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