旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

「ケータイ」は壮大な無駄か?

2013-02-21 12:50:12 | 時局雑感

 

 先日(18日)、M銀行H支店会の幹事4人が集まり昼食会をやった。次回の会合をどうするかというのがテーマであったが、それは幹事長K氏に任せることにして、専ら「これからの日本はどうなるのか?」という話に花が咲いた。会長のY氏、幹事のI氏を含め4人の平均年齢は80歳を越えており、いずれも戦後日本経済を背負ってきた自負に燃えている人たちだけに、話は政治、経済、文化、ひいては国際問題と多岐にわたった。

 それらの話はひとまずおいて、周囲で日常的に繰り広げられている「電気器具操作」は一体いかなる意味があるのか? ということも話題になった。電車の中にあっても路上にあっても、老若男女を問わず夢中に電気器具を操作している。それが携帯電話なのか、iPadなのか、i
Phoneなのか知らない。いわゆる、世にいう「ケータイ」というやつだ。
 とにかく、日本人の大半が夢中になってその操作に明け暮れていることは確かだ。あれは壮大な無駄ではないか? ということになった。しかしひょっとすると貴重な情報を世界中から集め、思いを巡らし知識を高め、それが新技術の開発や生産性の向上に役立ち、ひいては日本の国力向上につながるのかもしれない。
 結論的には、日本人は(いや外国人も相当にやっているようだが)壮大なエネルギーの無駄使いをやっているのではないか、ということになった。あのエネルギーを何か物つくりなどに向けることはできないか、と真剣に話し合った。
 
 しかし、かくいう4人は前述の通り平均年齢80歳以上、私を除く3人はワープロも扱えない古い人間、(ワープロを扱えれば新しいかは別として)所詮は年寄りの戯言(たわごと)に近いのかもしれない。
 それにしても、あの「ケータイ操作」はどんな意味があるのだろう? あのエネルギーは何かを生み出すのだろうか?


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