今年も折返して既に10日、後半の行事に期待をつなぐ。視力を失いつつあることが心の重荷となっていたが、昨日の検査で何とか踏みとどまっていることを自覚すると、新たな意欲もわいてくる。見えるうちに何でも見ておこう、といういやしい根性だ。
今月は19、20日と志賀高原に行く。どのくらい遠望が効くかわからないが、良い空気をいっぱい吸って来よう。24,25日は娘のオペラ『ラ・ボエーム』だ。娘の企画では初めての字幕スーパー付きだが、映画でもこれが見えなくて困る。こちらは字が読めなくても良い音楽をいっぱい聴こう。
8月は国立劇場の歌舞伎。稚魚の会と歌舞伎会という若手役者の合同公演で『菅原伝授手習鑑』だ。これも役者の顔を見定めなくても、歌舞伎独特の舞台の美しさを味わえばそれでいい。続いて9月は大相撲秋場所を狙っている。どうせならマス席で迫力あるところを満喫したいと、ひそかな思いを巡らせている。
10月には四国の高知訪問の計画がある。大学のゼミナリステンの会で、今年は恩師の墓参り(高知市)に行って、鰹のタタキで四国の酒を飲もうというわけだ。そういえば弟が「今を時めく『獺祭』の蔵を訪ね、ついでに山口県の蔵をいくつか廻ろう」と言っている。この計画を入れる余裕があるか?
見えるうちに…、となると急に忙しくなってきた。
今日は定例の目の検査(東京医大病院眼科)。先月の検査では、むくみが大きくなっているので「所見的には注射」という診断であったが、「視力が落ちていない(0.9)のでもう一月模様を見よう」ということになっていたのだ。
その後、気の所為かどんどん視力が落ちてきたような気がして、今日は「即注射」を覚悟して重い気持ちで出向いた。ところが視力検査では「0.9弱」という結果…、気を取り直して超音波検査(写真撮影)に向かった。
これまでも視力が極端に落ちてない限り何とか注射や手術を避けてきた。ところが敵は超音波検査(OCT)なる写真撮影でむくみの大きさを写し出し、しかもその大きさを指数化した数値まではじき出して、それを突きつけて「これは注射か手術を必要とする水準」などと申し付ける。
不思議なことに今回の結果は「前回よりむくみが小さくなってますねえ」ということであった。その指数なるものも「前回の470くらいから今回は403と減っている」とのこと。「しかし標準値は250以下だからできれば注射が妥当」と敵も粘る。しかし私の不満そうな顔を察して、「まあ今回は模様を見ましょう。次の検査は8月の20日」、ということになった。
このところ注射をはさんだりしながら1か月以内(30日以内)の検査が続いていたが、今回は42日後の検査ということは、標準オーバーとはいえ指数の改善を敵も認めたに違いない。(先ほどから恩人というべき先生のことを敵などと書いて申し訳ないが)
全ては加齢のなせる業で、良くなること等はないものと観念してきたが、この年になってもまだ回復力を持っているのだろうか? 毎日3度の食事をとり、酒2合も含めて栄養補給を続けているのだから、この程度の回復力ぐらいなくては生きる楽しみもないが……
夏の純米酒フェスティバルは大阪場所(7月4日)。今年で15年目に入り、春と秋の年2回開催している東京は29回を終え、今年の秋(10月5日開催)で30回を迎えるが、大阪は今年で11回目、15年のうち11回開いたことになる。
出展蔵は16蔵と例年に比し少なかったが、約270名のお客様は、むしろ密度の濃い触れ合いを楽しんだようだ。いくつか品性の悪い飲みっぷりが話題になったが、まあ、大過なく盛況に終わって何よりだと思っている。
いよいよ秋の30回に向けて、充実したフェスティバルにすべく準備を進めよう。
人気ブース『梵』の加藤団秀蔵元とお客さん
明けて5日。11時の新幹線まで時間があるので、評判の「あべのハルカス」に上ることにした。実は私は東京に半世紀以上住んでいるが、スカイツリーはもちろん東京タワーにも上っていない。それを飛び越えて大阪の「あべのハルカス」では東京に申し訳ないとも思ったが、こんな機会がなければ絶対に経験しないだろうと思い行ってみた。
梅雨の晴れ間とはいかなかったが予想された雨も降らず、大阪の街を四方八方眺めつくした。地上300m、60階…オフィス、ホテル、美術館、百貨店などを含む日本一高層の商業ビルということだ。
「あべのべあ」を前にご満悦の3人
閣議決定後の記者会見で安倍首相は、集団的自衛権の抑止力に触れながら次のようなことを言っていた。
「60年安保闘争の中で、日米安保は戦争への道だと叫ばれたがそうではなく、この安保体制の中で平和が保たれた。イラクやアフリカ各地への自衛隊派遣の際も戦争の危険を叫ぶ声があったが、派遣された自衛隊は平和に貢献してきた…」
とんでもない誤解だ。日米安保体制下で日本の平和を守った主要な要因は、憲法9条とそれを守る国民の平和希求の力があったからだ。相手のアメリカは、朝鮮戦争、べトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争など戦争をつづけたが、憲法9条とそれを守る日本国民の平和希求が日本を戦争に巻き込むことを阻止してきたのだ。
軍事同盟は抑止力になるか? 軍事力で相手を抑止するためには相手以上の軍備を持たねばならず、軍拡競争が続き、挙句の果ては世界戦争というのが過去の歴史だ。
1940年の日独伊軍事同盟は抑止力になったか? 全く逆に第二次大戦への道を開いた。当時日本に憲法9条なく、日本国民は現在の平和希求を持っていなかったので、戦争への道を阻むことはできなかった。
イラクやアフリカ各地へ自衛隊を派遣しても、その地の平和に役立っているのはなぜか? 憲法9条の下で軍事に歯止めをかけてきたからだ。軍事同盟の抑止力の所為ではない。
それらの歯止めをこの度の閣議決定は外したのだ。いよいよ憲法9条を守り、それによる国民の強い平和希求の力で歯止めをかけていくしかない。
自民党と公明党の連立与党政権は、戦後安保政策の大転換に舵を切った。これまで、自衛隊という実質軍隊の創設や、その自衛隊を戦場を避けながらとはいえ外国に派遣したり、かなりきわどい憲法違反を続けてきたが、外国の戦争に送り出すことだけは憲法9条のある限りできないとしてきた。
それを可能とする判断を、こともあろうに閣議で決めてしまったのだ。堂々と憲法改定を世に問うて方針変更を図るのならまだしも、与党、つまり仲間うちの閣議で憲法の解釈を変更したのだ。なぜそのように急いだのか?
与党が国会の3分の2を占めるに及んで、安倍首相はかねてから持論である集団的自衛権の行使を可能にすべく、当初は憲法改定を進めようとした。しかし連立相手の公明党を含めそのハードルの高いことを悟るや、今度は憲法解釈の変更でこれを実現しようとたくらんだ。
しかも国会で堂々と議論するのではなく、まず閣議で解釈変更をやり、その解釈を実行する法律を多数を占める今の任期中にやり遂げようという腹なのだ。世論の動きを見ると議論の深まるほど反対の数が増える情勢にある。「これは、本質に気付かれない内に早く決めよう」というのが、もう一つ急いだ理由だろう。
問題は公明党だ。そのようなときのチェック機能を果たすはずではなかったのか? しかも「平和の党」を掲げる以上は、ここは体を張っても断固反対を貫くべきではなかったのか? それが見事に転落した。一年前までは集団的自衛権の行使は反対と言ってきたのに、見事にひっくり返った。まあ、公明党を丸め込むなどは安倍にとっては容易なことであっただろう。
安倍も公明党も「今までの憲法解釈と変わらない」というようなことを言っているが、戦後一貫して「9条がある限りこれだけはできない」とされてきた「自国自衛以外の外国の戦争に自衛隊を送る」道を開いたのだ。
20014年7月1日という日は歴史に残る日となろう。