◆2006年10月3日(火) 朝刊 1面
米公文書に「軍命」慶良間・集団自決/発生直後の住民証言
関東学院大 林教授発見
沖縄戦時下の慶良間諸島の「集団自決」をめぐり、米軍が上陸直後にまとめた資料に、日本兵が住民に「集団自決」を命令したことを示す記録があることが、二日までに分かった。関東学院大学の林博史教授が米国立公文書館で発見した。
記録は一九四五年四月三日付の「慶良間列島作戦報告」。
慶留間島の住民への尋問で「住民らは日本兵が米軍が上陸してきた時は自決せよと命じたと繰り返し語っている」と記述されている。
「集団自決」発生直後の記録として、住民への命令状況を伝える貴重な資料。林教授は「自決命令があったことは、既に三月下旬時点で島民たちによって語られていた。戦後創作されたものではない」と指摘。近年、「集団自決」の軍命を否定、沖縄戦の事実をゆがめようとする動きを批判した。(謝花直美)
記録は、四五年四月三日付の米歩兵第七七師団砲兵隊による「慶良間列島作戦報告」。林教授が八、九月に渡米した際、入手した。
報告では、慶留間の住民を男女別に収容し尋問した内容として「三月二十一日に、日本兵が慶留間の島民に対して山中に隠れ、米軍が上陸してきた時には自決せよと命じたと繰り返し語っている」と記述されている。
また、座間味島については歩兵第七七師団「アイスバーグ作戦 段階1 作戦報告 慶良間列島・慶伊瀬島」で、座間味の「集団自決」の生存者に対し、医療スタッフが治療を施していることを記述。「一部の民間人は艦砲射撃や空襲によって傷ついたものだが、治療した負傷者の多くは自ら傷つけたものである。明らかに、民間人たちはとらわれないために自決するように指導されていた」と記録されている。
林教授は、各島の間で「三月下旬の時点において、慶留間では日本兵が自決せよと命じていること、座間味でも島民たちが自決するように指導されていたことが保護された島民たちの証言で示されている」と解説する。
その上で「日本軍ならびに行政・教育を含めて、島民たちは自決するように命令あるいは指導・誘導されていたことは、この三月下旬時点でも明確であった。米軍は事態を正確に認識していたといえる。自決するように命令あるいは指導されていたことが当時から認識されていたことを裏付ける資料といえる」と指摘している。
慶良間諸島の「集団自決」 海上特攻の任務を帯びた海上挺身隊各隊が駐屯した慶良間諸島では、1945年3月23日から米軍の空襲、艦砲射撃が続いた。米軍が26日に慶留間、座間味、27日に渡嘉敷に上陸すると、「集団自決」が発生。渡嘉敷島329人、座間味島177人、慶留間島53人が犠牲となった。
沖縄渡嘉敷島の「集団自決」について「軍命令は創作だった」という元琉球政府の照屋さん決定的証言を報じた8月27日の産経新聞の報道以来、「集団自決」を最初に報じた沖縄タイムスはこの証言には一切の反論等の記事は無く黙したままだった。
今年になってからからも、月に四回前後の特集記事を掲載していたが、照屋証言以来「集団自決」関連記事はほとんど見られなくなっていた。
ところが昨日の沖縄タイムスネットニュースによると、関東学院大学・林教授が、沖縄戦時下の慶良間諸島で、日本兵が住民に「集団自決」を命令したことを示す記録の資料を米国立公文書館で発見したという。
林教授は元々「軍命による集団自決」肯定派で、ホームページ等で沖縄戦における「日本軍の悪行」を追及する論文を書いていた。(「集団自決」の再検討http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper11.htm)
ところが最近では状況利あらずと判断したのか、左派学者によくあるすり替え理論で「軍命令の有るなしは問題ではない」といった路線変更を図っていた。
◆沖縄タイムス<2005年7月4日 朝刊24面>
[「集団自決」を考える](20)
識者に聞く(3)
林博史関東学院大教授
命令有無こだわり不要
前提に「逆らえない体制」
―「集団自決」に至る背景をどうとらえますか。
「直接誰が命令したかは、それほど大きな問題ではない。住民は『米軍の捕虜になるな』という命令を軍や行政から受けていた。追い詰められ、逃げ場がないなら死ぬしかない、と徹底されている。日本という国家のシステムが、全体として住民にそう思い込ませていた。それを抜きにして、『集団自決』は理解できない。部隊長の直接命令の有無にこだわり、『集団自決』に軍の強要がないと結論付ける見解があるが、乱暴な手法だろう」
―沖縄戦で住民が置かれた社会状況や支配の構図は。
「軍人がいると住民は投降できない。投降できないとしたら、壕に隠れていて、攻撃されるしかない。あるいは、軍人がいなくても在郷軍人など軍の意思をたたき込まれた者が『集団自決』の口火を切る」
「沖縄のような島では、逃げ場がなく、教育も徹底している。役場も軍も、そこから言われたことはお上の『命令』である。村の幹部らが『集団自決』を主導したとしても、幹部自体が国家の末端だから、『村が勝手にやった』とはいえない。軍の免罪にはならない。個々の軍命令かどうかは、必ずしも重要ではなく、住民が追いつめられ、『自決』しかないと思い込ませる状況をつくったのは軍を含めた国家だということが前提になる」
―軍民雑居や皇民化教育といった影響が大きいと。
「軍がいなかった島では『集団自決』はほとんど起きていない。移民帰りの人だけでなく、戦争に疑問を持つ人、民間人が戦争で犠牲になることはない、と素直に考える人はいた。地域のリーダーらが、『死なないで生きよう』と言える状況にあったかどうか。軍が居ればまず言えない。慶良間のように小さな島では、なおさらだ」
―沖縄戦に先立ち、サイパンでも「集団自決」で多くの住民が犠牲になった。
「サイパンも沖縄と同じ孤立した環境にあり、『米軍はひどいことをする』と事前に恐怖心が植えつけられていた。捕まりそうになったら『自決』するしかないと思わされていた。沖縄では、民家に滞在していた軍人から、日本軍の中国戦線での蛮行が伝わり、米軍はもっとひどいと伝わっていた。テニアン、フィリピン、沖縄と太平洋戦争の日本軍の敗北の過程で、軍と住民が一緒にいた地域で共通に起きた現象だ」
―国から援護を受けるため、軍命による「集団自決」が強調された、との主張について。
「戦傷病者戦没者遺族等援護法(援護法)は、軍に協力した者にしか適用されない。軍に食糧を強奪されても『食糧提供』、壕から追い出されても『壕提供』と申請しなければならない。戦闘協力者しか救済しようとしないので、『集団自決』でも軍命令と言わないと、援護の対象としないという考え方だった。政府がそう言うように誘導している。国が始めた戦争を十分に反省しないで、被害者に被害者としてきちっと償わない政府の政策自体が問題であると言わなければならない」(社会部・澄川卓也)
はやし・ひろふみ 関東学院大教授(現代史)。1955年生まれ。書著に「沖縄戦と民衆」「裁かれた戦争犯罪」など。
林先生、状況不利な折、一発逆転ホームランを狙ったのか米国立資料館から何か当時の住民の証言資料を見つけ出してきたと言うのだ。
詳しい内容は不明だが、沖縄占領当時沖縄を永久占拠をたくらんでいた米軍が、当時の沖縄県民を日本人とは別種の異民族の琉球人と捉え、明治期に武力で植民地化された沖縄を解放したという「日本・沖縄分離策」を考えていたことは良く知られたことで、そういった状況で米軍がどのような「非日本人の証言」を収集していたかは別の意味でも興味がある。
林教授も沖縄タイムスも米国立公文書館という、いかにも権威ありといった名前の資料で鬼の首を取ったような気持ちだろうが、アメリカ軍は敵であり日本軍は既に壊滅している状況で、日本との分離を目論んで宣撫するアメリカ軍に対する証言がどのようなものだったか、いずれにせよ貴重な歴史資料である事だけは間違いない。
「富田メモ」のように一部公開ではなく、早目に全部公開して欲しいものだ。
それにしても沖縄タイムス一緒になって「集団自決」を騒ぎ立てていた琉球新報が林教授の資料について一言も触れていないのはどういうつもりだろう。
もう勘弁して欲しいとでも言うのだろうか。
【追記】8:08
上記琉球新報には昨日の夕刊の時点では一言も触れていなかったが、今朝(8月5日)朝刊にはデカデカトしかも詳細が掲載されている。
これについては追ってエントリーしたい。