狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「史上まれなウルトラ右翼」 日本既にファッシズム?

2006-10-17 14:14:11 | 県知事選
 
自分の思想信条と異なる人を批判すことはすることは言論の自由を認めらられた日本では許されだろう。
 
だが理屈抜きの反日論、憎日論には「あんた何処の国の人?」と聞いて見たくもなる。
 
 
 
 
 
 
 
この国はどこへ行こうとしているのか 辺見庸さん
mainichi-msn.co.jp/tokusyu/wide/news/20061013dde012040008000c.html
 
報道各社のインタビューに答える安倍晋三官房長官=首相官邸で2006年9月6日午後3時12分、藤井太郎写す

 <戦後生まれの首相へ>

 ◆既にファシズムかも

 ◇史上まれなウルトラ右翼、核武装の考え「美しい国」で隠している

 「メディア批判の急先鋒(せんぽう)」「すべてに切りかかる論客」。作品の印象がそうさせるのか。難しい人、怖い人と思っていた。だが、辺見庸さん(62)は意外なほど気さくな人だった。ものを考える人の癖(へき)なのか、人に通じるかどうかを対話というキャッチボールで何度も反すうし、言葉を研ぎすませていく。

 埼玉県の西武新宿線、本川越駅。駅ビルのイタリア料理店に、脚をひきずりながらやってきた。つえはない。「バランスはいい方なんだ。倒れないんだよ」。最新作「いまここに在ることの恥」(毎日新聞社)から感じる怒り、憎悪を自家中毒のように抱え込む人ではない。むしろ、修験者、雲水の静けさがある。

 04年3月、新潟で講演中に脳出血で倒れ、右半身に後遺症がある。「ネットの掲示板で『まだ生きてやがる』なんて書かれるけど、この国では死ぬのもばからしいね。言葉のもだえ苦しみを、これほどちゃらけた調子で語る国って、他にないだろ」

 辺見さんの関心は、政治家より、それを生み出すメディアなど社会の雰囲気に向く。最たるものとして挙げるのは03年12月9日、自衛隊のイラク派遣が閣議決定された日の首相会見だ。

 「あの凡庸なファシスト(小泉純一郎前首相)は、憲法前文の一部を都合よく切り取り、派兵の法的な根拠にした。それに対し、政治部の記者たちは『総理、間違ってます』と声を上げない。これは、ジャーナリズムじゃない。人間の恥の極みだ。でも、自分が4、5年目の政治記者でそこにいたら、何が言えたのか自問もする」

 辺見さんが小泉前首相を指すファシストとは、イタリアの哲学者、ウンベルト・エーコの「ファシズムには、いかなる精髄もなく、単独の本質さえない」という言葉を踏まえたものだ。「あのぺロリとした男を持ち上げながら醸成される全体主義」という意味合いがある。

 ファシズムは独裁者が生み出すものではない。ある日、ふと気づくかすかに変わっている空気。人々の仕草も行動も一見同じなのに、何かが変わり、もう後戻りできない--。病から復帰した今年春、辺見さんにはそんな感覚があった。時間感覚も狂った。倒れたのは04年なのに、02年だと思い、周りが自分をだましていると思った。「脳の障害や病院に長くいたせいもあるが、それだけじゃない。最近考えるのは、詩も臓器も人の心も、何もかもが商品化されるということ。この国ほど、隅々にまで資本の影響を受けている国はない。それが時間感覚にも及んでいるのではないか」

 「まだ、大丈夫」「この国はファシズムに立ち返らない」。楽観していても、自由に語れない状況、どこから現れるとも知れない暴力がすでにのど元に迫っている……。辺見さんの時間感覚のずれには、そんな猶予のなさが伴っているようだ。

 この先、日本はどこへ向かおうとしているのか。「戦前から根の部分にある国民性が変わっていない分、ファシズムに走る時は早い。いや、既にファシズムかもしれない。しかし異議申し立ての行動は起きない。断定できないけど、今後も多分ないと思う」

   *

 「劇場型」「格差社会」「改革」……。小泉前首相時代に使われた言葉の数々だ。「かつての学生の言葉は時代をうがつことはなかったが、まだ生き物のように暴れ、手触り感があった。でもいまは、新鮮そうな言葉はメディアにかすめ取られ、言葉と格闘しようという意識さえ資本が奪う」。それでは、安倍晋三首相を、その発する言葉をどう見ているのか。

 「小泉前首相は何もない人間で、社会がイメージで押し上げた言わばフィクション(虚構)だが、安倍首相は『ナチュラル・ボーン(生まれながらの)国家主義者』。史上まれに見るウルトラ右翼。憲法、教育基本法を本気で変えようとしている分、危うい。小泉前首相の方は凡庸な右派政治家で不見識な地金(じがね)をさらした。安倍首相は官房副長官の時、戦術核を持てると言っていたのに、いまは『美しい国』という言葉で隠している。小泉前首相に比べ狡猾(こうかつ)だが、オーラが小さい分、短命と思うね」

 安倍首相は著書「美しい国へ」で、父の死後、国会議員になったいきさつにほとんど触れていない。日本の政治を知らない人が読めば、閣僚の父を失った人物は自動的に議員になれるものと錯覚するだろう。この点でも、辺見さんの矛先はメディアに向かう。

 「親子3代にわたり国民の税金でまかなってもらっているのがいまの首相の一族。それを問題にもせず、持ち上げるメディア社会とは何なのか。皇室に男子が生まれたのをあれほど騒ぎ、それを社会現象として分析しない。天皇制の問題は大正時代や70年代の方がもっと気軽に語れたんじゃないか」

 そして、海外の例として、英国を挙げる。

 「英国社会には、ブッシュのポチと呼ばれたブレア首相をはじき出す感性があった。イラク行きの軍事物資を運ぶ列車の線路にデモ隊が座り込み、メディアが支援することもあった。それくらい差がある」

 その差はモラルにも表れる。最近、ドイツのノーベル賞作家、ギュンター・グラス氏(78)が、17歳のとき半年近くナチの親衛隊にいた事実を告白し、批判の矢面に立たされた。「この国には、こうした精神性やモラルがあきれるほどない。A級戦犯に問われた岸信介が首相になり、その孫が平然と現れる。47年の憲法施行式典で、吉田茂首相(当時)の音頭で集まった約1万人が『天皇陛下バンザイ』を叫んだ。その前まで約300万人が死に、一般の人が、天皇の退位を語っていたわけでしょ。これが、戦後日本の恥の起点だと思う。天皇制は戦争や憲法施行を経ても何も変わっていない。それを踏まえずタテマエを語るところに、メディアの問題の根があるんじゃないか」

 辺見さん自身も、日本人の抱える自己規制を感じている。「日本には英国ほど監視カメラはいらない。この国ではみな自分の中に監視カメラがある。髪の毛一本一本、神経細胞にまで入り込んでいる天皇制を自由に語れない状況がある限り、その監視カメラは消えないんじゃないか」

   *

 辺見さんは04年に倒れ、意識を回復した時、「1行でいい、言葉がほしい」と思った。親しい身内はない。病室を訪ねる編集者とは仕事の話だ。自分は何を求めているのか。そして左手の指一本で書き始めた。

 「いまは、最終的には沈黙にいたるため、書き、語っている気がする」。言葉が何かを変えられると、信じているのだろう。

 長い会話を終えると、外は暗かった。払いを済ませ店の外に声をかけたが返事はない。言葉の余韻を残し、作家は姿を消していた。【藤原章生】

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 ■人物略歴

 ◇へんみ・よう

 作家。1944年、宮城県生まれ。早大卒。70年、共同通信社入社。78年に中国報道で日本新聞協会賞。「自動起床装置」(91年)で芥川賞、「もの食う人びと」(94年)で講談社ノンフィクション賞を受賞。96年に退社し、現在は近刊「自分自身への審問」の続編と、病前から書き続けている小説を執筆中。

毎日新聞 2006年10月13日 東京夕刊

                       ◇

自分の思想・信条と異なる意見の人を批判することは言論の自由が認められた日本では許されることだろう。

だが批判が過ぎて自分がよって立つ軸足が何処に在るかを見失ってしまったような日本憎しの反日論を聞くと、この人は何処かの国の工作員ではないかとつい思ったりする。

工作員はオーバーだとしても「一体この人はどこの国の人?」と考えたりもする。

辺見庸という人物が作家であることは知っていたがその作品を読んだことは無かった。

10年ほど前「もの食う人びと」というノンフィクションで何か賞を受賞した程度の知識しか持っていなかった。

13日の毎日新聞の記事を読んで日本及び日本国の象徴である天皇について感情的なまでの憎悪を感じた。

こうなると理屈ではない。 とにかく日本が憎いのだ。

そこでこの男、一体何処の国の人なのかと素朴に感じた。

ところが電突(電話で突撃)で有名なブログこの国は少し変だ!よ~めんのブログさんが毎日新聞社に電話を入れていきなり「・・・そこでその記事を書かれた辺見庸(へんみよう)さんと言う方は日本人なのでしょうか?」切り出した。

人間、誰でも不意を衝かれるとつい本音が出るものだ。

この手の電話にはよく訓練されている筈の毎日社員もつい驚くべき本音をポロリと出してしまった。

以下同ブログの転載です。

毎日社員の狼狽振りが笑わせてくれます。

毎日新聞へ電突

毎;はい毎日新聞です。
俺;読者ですが、意見と質問ですが!
毎;読者室に代わります。
俺;はい
毎;はい代わりました。
俺;あの、質問が二つほどあるんですけどよろしいでしょうか?
毎;はいどうぞ。
俺;先週13日の金曜日の記事で「この国はどこへ行こうとしているのか?辺見庸さんが書かれた”史上まれなウルトラ右翼”」というのがありましたよね?
http://youmenipip.exblog.jp/3552104/
毎;それは夕刊の記事ですね。

俺;そうなるのですか?私はネットニュースの方で見たもので。
そこでその記事を書かれた辺見庸(へんみよう)さんと言う方は日本人なのでしょうか?

毎;あ、あ~っと、その人は たぶん日本人では無いと思います

俺;えっ?!(おいおい、すんなり吐くなよな・・・・)

俺;あのな~!旧社会党の土井委員長も産経新聞が北朝鮮人だとすっぱ抜くまでみんな日本人だと思って国会の話しを聞いていたんだ!土井が「日本人なのか北朝鮮人なのか」では話しの信憑性やその人の信用性が全然異なるんだ!そのように今回の記事を書かれたその辺見庸さんなる人は何人であるかは読者に知らせないと、読者を騙すことになりますな!それはどう思っているのですか?

毎;えっ?!えっと・・・・、アッ?!彼は宮城県生まれになってますので日本人です。(急に焦ったように)

俺;それを在日っていうんじゃないですか?

毎;・・・え、えっと・・・モニョモニョ・・・

俺;彼の本名が辺見秀逸(しゅういつ)っていうの韓国人の名前じゃないですか?

毎;そうですか。本名が・・・・たまたま韓国の名前と似ていた・・・偶然だったのでは・・・・モゴモゴ

俺;あなたは先ほど「たぶん日本人では無いでしょうと?!」と仰ったではないですか?!

毎;エッ!いや、どうなんでしょう・・・

俺;辺見庸さんなる人は「中国共産党幹部と交流があり共産党の赤旗で連載記事を書いている」そうですね?

毎;えっ!彼は作家だと聞いてますが。

俺;だからぁー、作家が中共と付き合いがあって共産党でスピーカーしているということでしょう?! 毎日新聞は凄い人に記事を書かせてますね?

毎;ブギャ・・モニョモニョ

俺;もう一度話しを戻しますが、どこの国の人ですか?


毎;いやー。モニョモニョ

俺;(・・・・・)(なぜはっきりと日本人です!と言えない?)

俺;じゃぁ、次の質問に移りますが。新聞報道では保守派の人達をよく右翼だとか政治団体だとか、最近の日本人は右傾化してきた?!と表現しますが、逆の場合、”左翼”という表現はしませんね!それは何ででしょう?

毎;いやー、、左翼では無いからだと思います!

俺;なに?!

毎;あっ!いえ・・・普通・中道だということです。

俺;普通という状態がよく意味が分からないのですが、では朝日新聞は左翼では無いと言うことですか?中道ですか?

毎;は、はい・・・

俺;・・・・マジですか?(;゜Д゜)

毎;・・・は、はい・・・・( ´Д`)

俺;・・・ハッハッハッハッ・・・

毎;・・・エヘヘヘヘ

俺;朝日が中道だということは・・・・あなた方、毎日は当然”中道”だと・・・?

毎;そ、そうですね(=゜ω゜)ノ

俺;・・・うへへへへ

毎;・・・・へへへへへ

俺;では安倍さんはいつから右翼になられたのですか?右翼団体の登録でもされたのですか?

毎;いえ、安倍さんは右翼では無くて・・・・ブツフツ

俺;ではウルトラ右翼ってなんのつもりでしょう?保守の人間をそう表現していいのですか?

毎;いやー、それは私達が言ったことでは無く私達は、聞いた事をただ書いただけでして・・・・

俺;では今度保守派の政治家がウルトラ左翼と言えば書くんですか?

毎;・・・は、はい。。

俺;大丈夫ですか?

毎;・・・・はい・・・


よし、言わせたぞ!誰かこの電突文を保守派の政治家さんに見せてあげてください!

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教員免許更新制度を急げ! 生徒の悲鳴が届かない

2006-10-17 08:20:44 | 教科書

産経抄 平成18(2006)年10月17日[火]

 今月4日の小欄で、いじめなんかで、「もう死ぬな」と呼びかけたのもむなしい。福岡県筑前町でも、中学2年の男子生徒が自らの命を絶った。

  ▼自殺は報道をきっかけにして、連鎖することがあるから、コラムでの取り扱いも慎重であるべきだ、とは思う。それでも生徒の通う中学のデタラメぶりを聞いたら書かずにはいられない。

  ▼「君は偽善者にもなれない偽善者だ」。生徒が1年のとき、床に落ちた級友の消しゴムを拾ってあげると、担任がこんな言葉を浴びせた。「うそつき」とも。現在は学年主任を務めるこの男性教諭(47)は、生徒の父親から「なぜ息子をいじめたのか」と問いつめられて、「からかいやすかったから」と答えた。教諭が主導するいじめに、一人の生徒が立ち向かえるはずがない。

  ▼「一生をかけて償います」とは今さら白々しい。そもそも、こんな人物が教壇に立っていられること自体が、不思議で仕方がない。校長は教諭の暴言を知らなかったのか。それとも、見て見ぬふりか。会見の様子を見る限り、真相究明に取り組むというより、責任回避に汲々(きゅうきゅう)としているようだ。

  ▼きのうの朝のワイドショーで、勝谷誠彦さんが「いじめ」という言葉は、強姦(ごうかん)をいたずら、と言い換えるのと同じ欺瞞(ぎまん)だ、と怒りをあらわにしていた。教諭と同じ暴言を、警察官が容疑者に吐いたら、立派な犯罪になる、との指摘も。同感だ。教員の地位は守られすぎている。

  ▼安倍晋三首相が、あえて教育改革といわずに、「再生」という言葉を使った意味がよくわかる。それほど教育の荒廃が進んでいる。教育再生会議の課題はいろいろあるだろうが、まずは教員の免許更新制度の導入を急いで、一日も早くダメ教師を追放してほしい。

                         ◇

福岡の「いじめ自殺」が今までの類似事件と似て非なるものであるということを伝えようと思うのだがうまく表現できない 苛立ちを感じる。

昨日今日とテレビワイドショーはこの事件を大々的に取り上げているし、今朝の読売社説もこれを取り上げているが今ひとつ納得できない。

そこで自分なりに「いじめ」と現場担任教師の責任を整理して見た。

「いじめ」が有ったことを

①担任教師が気がつかなかった場合。

②担任教師が知っていながら何もせず放置していた場合。

③担任教師が自らいじめていた場合。

担任教師はいじめられた生徒を庇ってやる守護者だと信じる者にとって上記①②はともかく③は全くの「想定外」だった。

①は教師としての資質が無いという責任を問われるだろうし、②の教師は不作為の責任を問われる。

いずれにせよ担任教師の責任は免れられない。

今回の③の教師は①②とは似て非なるものだ。

本人自ら先頭を切っていじめに加担したとなると、教師の資質とか不作為責任とかいった問題ではない。

担任教師は「犯罪」に自ら手を下した加害者であり、主犯である。

亡くなった中学生の残した「(自分の)お金は学級に寄付します」、「生まれ変わったらディープインパクトの子供に生まれて強くなりたい」という言葉には涙を禁じえない。

件の担任教師、法的には何のお咎めも無く、落ち着いたら現場復帰するという。

「教員の免許更新制度の導入を急いで、一日も早くダメ教師を追放してほしい。」

【追記】08:52

上記産経抄に引用の勝谷誠彦さんのブログを覗いて見たら言いたくても表現できずいらついていたことを見事に表現してくれていた。

感謝しつつ下記に一部転載。

(略)そもそも「いじめ」という言い方が私は大嫌いだ。強姦を「いたずら」「暴行」とかねてから言い換えてきたメディアの卑劣さがここにも出ている。「いじめ」の内容を精査して「恐喝」「暴行」「傷害」などときちんと言え。いじめをなくす最も有効な手段は悪餓鬼に手錠をかけることである。事件として扱い警察を学校に入れることである。北海道から九州までいじめがあったと教育長などが頭を下げているのがわからない。いやその無責任さは指弾されてしかるべきだがメディアはいじめの被害者を殺した当の悪餓鬼の家の前からこそレポートをするべきではないのか。「ここが被害者を脅迫していた犯人の家です」とやればいいではないか。学校は社会の一部であるということを当たり前にしたまえ。機動隊をキャンパスに入れないという主張に染まった低能教師どもが国家権力を校門の中に入れないという原理主義を振りかざした結果どれだけの子供たちが殺されたと思っているのか。子供がいじめにあっていると知った親たちよ。まず警察に相談に行きなさい。それから向こうの親に民事の訴訟を起こしなさい。法とは私たちの安寧な生活を守るためにあるのだ。いじめる糞餓鬼の家庭こそ叩き潰してやれ

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