「待ってました! 下村さん」
安倍政権の喉に引っかかっていた小骨の一つ「河野談話」に下村官房副長官が疑問を示した。
(もう一つの小骨については「村山談話」の卑しさ参照) |
この手の「失言」でこれまで多くの閣僚がその職を失った。
だが「下村発言」は先の「中川発言」と同根の「確信発言」である。
河野談話は再調査必要 従軍慰安婦問題 下村副長官が認識 2006/10/26 00:39
下村博文官房副長官は二十五日、東京都内で講演し、従軍慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めた一九九三年の河野洋平官房長官談話について「個人的にはもう少し事実関係をよく研究し合い、その結果については時間をかけて客観的に科学的な知識をもっと収集して考えるべきではないかと思う」と述べ、再調査が必要との認識を示した。
安倍晋三首相も以前は河野談話に懐疑的だったが、首相就任後は同談話を踏襲する考えを示しており、これと食い違う側近の発言は野党から批判が出そうだ。
下村氏は講演で、河野談話や植民地支配を謝罪した九五年の村山富市首相談話を踏襲するとした首相発言に対し「一国会議員としての発言と首相としての発言は違って当然だ」と指摘。「首相が考えを曲げたとか、ひよったということではない。(国会答弁などを)よく読むと、村山談話や河野談話についても百パーセントそのまま(踏襲する)ということではなく、首相としての立場から答弁している」と述べ、首相が談話の内容に必ずしも納得したわけではないとの見方を示した。
河野談話は、戦争中の従軍慰安婦が「意思に反して集められた」「官憲等が直接これに加担した」とし、官憲による「強制連行」の存在を認めている。(北海道新聞)
【追記】15:27
中川政調会長といえば自民党の政策担当の責任者。
今回の「下村発言」も「中川核論議発言」と同じく中川、下村、安倍三人の共同謀議か。
安倍将軍、あんたもワルじゃのう。
◇
言葉の持つ本来の意味を曖昧にするため、しばしば別の言葉に言い換えられる。
たとえば戦時中では、「撤退」が「転進」。
「敗戦」は「終戦」。
最近では「いじめ」を「プレッシャー」と言い換えた校長もいた。
「日本軍による性奴隷」と言う言葉は、幾層にも重なった言葉の言いかえにイデオロギーが加わり、本来の意味とはかけ離れた概念になった例。
本来は「戦地売春婦」だった人達がが戦後「慰安婦」と言い換えられた。
「少女売春」を「援助交際」と言い換えたのと同じだ。(更にエンコウと変化し本来の意味は更に薄れていく)
「慰安婦」に「従軍」が付くと話が複雑になっていく。
従軍というと「従軍看護婦」、「従軍記者」等がすぐ脳裏に浮かぶ。
だがこれらは「従軍慰安婦」とは言うまでも無く似て非なるもの。
従軍看護婦や、従軍記者は一種の軍属であるが「従軍慰安婦」はあくまでも「戦地売春婦」である。
言葉がある意図を持って変化をし始めると、もう止まることはない。
さらにそれに「強制連行」が付いて「日本軍による」が付くと「日本軍に強制連行された従軍慰安婦」というイデオロギー塗れの熟語の誕生となる。
教科書にまで載った「従軍慰安婦」問題は次の二点に集約される。
①「慰安婦」すなわち「戦地売春婦」は存在した。
②だが、「従軍」も「日本軍による強制連行」も無かった。
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◆参考エントリー:《やっと決着 「従軍慰安婦」》
●ウソ塗れの「河野談話」は日韓両国の妥協の産物
「従軍慰安婦は日本軍に強制連行された」
これは既にウソであることは実証され既に決着済のこと。
朝日新聞が得意になって使った吉田某の話などは全くのデタラメだったことを現代史の専門家秦郁彦教授が済州島に言質調査までして論破している。
1996年(平成8年)には、日本のすべての歴史教科書に従軍慰安婦の強制連行の記述があったが、2003年の教科書検定以来、すでに日本の歴史教科書から削除されている。
「強制」を認め「謝罪」した1993年の河野洋平官房長官の談話は全く根拠の無いもので、日本の恥といえるシロモノだ。
いずれは撤回されべき「国辱談話」である。
「河野談話」のいかがわしさについては色んなサイトで批判され尽くしているが「酒たまねぎや URA ホームページ」さんが解りやすくまとめて下さっているので以下に転載させてもらいました。
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◆「酒たまねぎや URA ホームページ」http://www.tamanegiya.com/ura.html
河野洋平
平成15年11月22日土曜日晴れ ×(平成17年6月10日一部追加訂正)
現在は衆議院議長の役職にある河野洋平は、平成5年8月に官房長官を務めていた時に、所謂従軍慰安婦の強制性を認めた上、謝罪を含む「いわゆる河野談話」を発表しました。
河野洋平談話(抜粋
平成5年8月4日
いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。
この事により、支那、南北朝鮮、腐れ偏向マスコミは客観的証拠のない従軍慰安婦強制連行という事について既成事実化をはかっています。
しかし、平成9年3月12日の参議院予算委員会で、平林内閣外政審議室長は「政府の発見した資料の中には、強制連行を直接示す記述は見当らなかつた」と答弁しています。
また当時副官房長官であった、石原信雄氏は産経新聞のインタビューにてこの河野の談話について下記のように答えています。(97年3月9日産経新聞)
河野氏は調査の結果、強制連行の事実があったと述べているがーー
「随分探したが、日本側のデーターには強制連行を裏付けるものはない。慰安婦募集の文書や担当者の証言にも、強制にあたるものはなかった」
一部には、政府がまだ資料を隠しているのではという疑問もあるーーー
「私は当時、各省庁に資料提供を求め、(警察関係、米国立公文書館など)どこにでもいって(証拠を)探してこいと指示していた。薬害エイズ問題で厚生省が資料を隠していたから慰安婦問題でも、というのはとんでもない話。あるものすべてを出し、確認した。政府の名誉のために言っておきたい」
ではなぜ強制性を認めたのかーーーー
「日本側としては、できれば文書とか日本側の証言者が欲しかったが、見つからない。加藤官房長官の談話には強制性の認定が入っていなかったが、韓国側はそれで納得せず、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるよう要請していた。そして、その証拠として元慰安婦の証言を聞くように求めてきたので、韓国で十六人に聞き取り調査をしたところ、『明らかに本人の意志に反して連れていかれた例があるのは否定できない』と担当官から報告を受けた。十六人中、何人がそうかは言えないが、官憲の立ち会いの下、連れ去られたという例もあった。談話の文言は、河野官房長官、谷野作太郎外政審議室長、田中耕太郎外政審議官(いずれも当時)らと相談して決めた」
聞き取り調査の内容は公表されていないが、証言の信憑性はーーー
「当時、外政審議室には毎日のように、元慰安婦や支援者らが押しかけ、泣きさけぶようなありさまだった。冷静に真実を確認できるか心配だったが、在韓日本大使館と韓国側と話し合い、韓国側が冷静な対応の責任を持つというので、担当官を派遣した。時間をかけて面接しており当事者の供述には強制性に当たるものがあると認識している。調査内容は公表しないことを前提にヒアリングしており公表はできない」
韓国側の要請は強かったのかーーーー
「元慰安婦の名誉回復に相当、こだわっているのが外務省や在韓大使館を通じて分かっていた。ただ、彼女たちの話の内容はあらかじめ、多少は聞いていた。行って確認したと言うこと。元慰安婦へのヒアリングを行うかどうか、意見調整に時間がかかったが、やはり(担当官を)韓国へ行かせると決断した。行くと決めた時点で、(強制性を認めるという)結論は、ある程度想定されていた」
それが河野談話の裏付けとなったのかーーーー
「日本側には証拠はないが、韓国の当事者はあると証言する。河野談話には『(慰安婦の募集、移送、管理などが)総じて本人たちの意志に反して行われた』とあるのは、両方の話を総体としてみれば、という意味。全体の状況から判断して、強制に当たるものはあると謝罪した。強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった。これは在韓大使館などの意見を聞き、宮沢喜一首相の了解も得てのことだ」
談話の中身を事前に韓国に通告したのかーーー
「談話そのものではないが、趣旨は発表直前に通告した。草案段階でも、外政審議室は強制性を認めるなどの焦点については、在日韓国大使館と連絡を取り合って作っていたと思う。」
韓国側が国家補償は要求しない代わり、日本は強制性を認めるとの取引があったとの見方もあるーーー
「それはない。当時、両国間で(慰安婦問題に関連して)お金の問題はなかった。今の時点で議論すれば、日本政府の立場は戦後補償は済んでいるとなる」
元慰安婦の証言だけでは不十分なのではーーー
「証言だけで(強制性を認めるという)結論に持っていったことへの議論があることは知っているし批判は覚悟している。決断したのだから、弁解はしない」
つまり、当時の官房副長官だつた石原信雄氏は、"慰安婦"を認めた背景に、元慰安婦とその支援者(NGOなど)や韓国側から強い圧力があつたと述べ、強制性の認定について「日韓両国間での妥協の産物」と明言し、暗にその圧力に屈したことを認めているのです。
それに対して、河野洋平は、平成11年10月5日の外相就任会見において「物理的証拠や、本人の他の人にはわかり得ない話などを踏まえて発表した。確信を持っている」(10月6日付 産経新聞朝刊)
ところがこのバカはそれでいて、その前の朝日新聞の取材に対して
「『政府が法律的な手続きを踏み、暴力的に助成を駆り出した』と書かれた文書があったかといえば、そういうことを示す文書はなかった。けれども、本人の意思に反して集められたことを強制性と定義すれば、強制性のケースが数多くあったことは明らかだ」
(1997年3月31日朝日新聞)
これは、証拠は無いが、自分の思い込みだけで談話を出したという事をいっているのです。売国奴の真骨頂でしょう。
(引用終了)
従軍慰安婦という名前の売春婦 酒たまねぎや ura ホームページ
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それで「日本軍による性奴隷」とは?
全国紙等のの活字になったウソ記事は論破し墓地に埋葬してもゾンビのように甦って全国を徘徊すると前に書いた。
この手の問題に婦人団体が加わると話は論理を超越して感情的になってくるから厄介だ。
さらにこれにジェンダーフリーとかフェミニズムを声高に叫ぶ特殊な考えを持つご婦人方が加わると話は更にもつれにもつれて混迷の様相を呈する。
「日本軍に強制連行された従軍慰安婦」の証拠が次々とウソであることが判明していく中、一部のフェミニスト達は、上記「河野談話」の「被害者の証言」を取り上げそれを最後の砦としている。
そういった中、「戦地売春婦」はついには「従軍慰安婦」を乗り越えて「日本軍による性奴隷」にまで見事に化けてしまった。
化けの皮は引っ剥がし、徘徊するゾンビは地中深く埋めねばならぬ。
何度でも。