10月31日付・読売社説(1) [河野談話]「問題の核心は『強制連行』の有無だ」
この発言のどこが問題だと言うのだろうか。
いわゆる従軍慰安婦問題に関する河野洋平官房長官談話について、「研究」の必要性を指摘した下村博文官房副長官の発言のことである。
民主党など野党側は、河野談話の「継承」を表明した安倍首相の答弁と矛盾するとして「閣内不一致」と批判する。
下村氏の発言は、「個人的には、もう少し事実関係をよく研究しあって、その結果は、時間をかけて客観的に科学的な知識をもっと収集して考えるべきではないかと思っている」というものだ。
元慰安婦への「お詫(わ)びと反省の気持ち」を表明した河野談話は、その前提となる事実認定で、旧日本軍や官憲による「強制連行」があったことを認める記述となっている。韓国政府から「日本政府は強制連行だったと認めよ」と迫られ、十分な調査もせずに閣議決定された。
慰安婦問題は、一部全国紙が勤労動員制度である「女子挺身(ていしん)隊」を“慰安婦狩り”だったと虚報したことが発端だ。慰安婦狩りをやったと“自白”した日本人も現れたが、これも作り話だった。政府の調査でも、強制連行を示す直接の資料はついに見つからなかった。
河野談話が、「客観的」な資料に基づく社会「科学的」アプローチより、「反日」世論に激した韓国への過剰な外交的配慮を優先した産物だったのは明らかである。そうした経緯を踏まえ、下村氏は「研究」の必要性を指摘しただけだ。
民主党などがそれでも問題だと言うなら、強制連行の有無という河野談話の核心部分をどう考えるのか、自らの見解を示してから追及するのが筋であろう。
河野談話の「継承」を表明した首相も、「狭義の強制性」との表現を使い、強制連行は「今に至っても事実を裏付けるものは出ていない」と指摘している。下村氏の発言は首相の答弁と矛盾しない。
仮に首相答弁と違っていたにせよ、歴史認識も絡むような問題で、「個人的」と断った見解まで、完全な一致を求めるのは、かえって不健全ではないか。
政府見解は、金科玉条のように継承しなければいけないと決まっているものではない。おかしなところがあればただすのは当然のことだ。
大事なのは事実である。
軍や官憲による強制連行はあったか、なかったか――。政治的な思惑や過剰な外交的配慮を排し、歴史学者らの「研究」にゆだねるべき性格のものだ。
その「研究」の結果、やはり強制連行の事実が見つからないのであれば、河野談話は見直されるべきである。 (2006年10月31日2時9分 読売新聞)
「河野談話再検討」の下村発言にたいして最も反発すべき朝日新聞が静かだ。
「日本軍に強制連行された従軍慰安婦」と言うウソの記事を書いて火の無いところに火をつけて廻った朝日が黙して語らない。
「存在派」メディアが静かなのに対して、昨日の産経新聞が社説で「河野談話 再調査と見直しが必要だ」として再調査の必要性を述べた。(文末に転載)
これに続いて今朝の読売新聞が「河野談話」の問題の核心を見出しに掲げて社説を書いた。
問題の核心は「強制連行」の有無だ!
さー、朝日新聞も問題の核心を衝く社説で答えて欲しいものだ。
10月16日の社説でも読売は≪慰安婦問題は1990年代初頭、一部全国紙が、戦時勤労動員制度の「女子挺身(ていしん)隊」を“慰安婦狩り”だったと、歴史を捏造(ねつぞう)して報道したことから、日韓間の外交問題に発展した。 当時、「慰安婦狩りに従事した」と名乗り出た日本人もいて、これも「強制連行」の根拠とされた。だが、この証言は作り話だった。90年代半ばには、学術レベルでは「強制連行」はなかったことで決着がついた問題だ。≫(アメリカにさまよい出る「従軍慰安婦」の亡霊)
として「一部全国紙」と遠慮しながらも暗に朝日が歴史を捏造した火付け犯であると断じている。
今日の社説でも≪慰安婦問題は、一部全国紙が勤労動員制度である「女子挺身(ていしん)隊」を“慰安婦狩り”だったと虚報したことが発端だ。≫ と、今度は「一部全国紙」が・・・虚報」として、朝日が虚報発信の犯人だと糾弾している。
朝日さん、沈黙は自分が「虚報の犯人」であることを認めることになりますよ。
◆参考資料:「逆説のニッポン歴史観」(「ぼやきくっくり」さんよりの転載。)
井沢元彦さんが著書「逆説のニッポン歴史観」(小学館文庫)でわかりやすくまとめて下さってますので、ちょっと長くなるけど引用します。
「第1章 朝日新聞の罪」の中の「従軍慰安婦キャンペーンは自殺行為」という項です。
この項の初出は、「SAPIO」(小学館発行)1997年5月14日号です。 文中の「引用者」は井沢さんを指します(太字強調は引用者)。
(前略)ここで従軍慰安婦の定義をしておこう。「従軍慰安婦」とは「本人の意志に反し強制的に軍に連行され売春婦にさせられた女性」のことである。英語で言えばsex slave(性奴隷)だ。だから自発的に応募してきた慰安婦とはまったく意味が違う。 最近、一部で、藤岡信勝氏や小林よしのり氏ら「強制連行は無かった」派が、まるで「慰安婦も無かった」と強弁しているような印象を与えるデマ情報を流している人間がいるから、ここではっきりさせておくが、誰も慰安婦の存在自体は否定などしていない。問題はそれが自由意思ではなく、強制的に連行されたと証明された場合、初めて「従軍慰安婦」なるものが存在したことになるのだ。
(中略)私が「日本はこの件に関しては無罪」と主張する最大の根拠は、藤岡信勝氏らが既に指摘しているように、韓国が戦後久しく、この「慰安婦の強制連行」について少しも問題にしてこなかった点にある。韓国が問題にしはじめたのは、90年代に日本のマスコミがとり上げて以降のことなのである。
補足しておこう。韓国には今も強い反日感情がある。(中略)その国民が、もし自分の国の女性が強制連行され慰安婦にされたという事実があったなら、戦後50年近く黙っているわけがないではないか。
本人が恥ずかしくて名乗り出られなくても、公然とやったことなら、その両親や兄弟や恋人や同胞が黙っているはずがないだろう。必ず、「日本は我が国の女性を奴隷にした」と抗議し問題にするはずである。
これだけでも被告「日本」は充分無罪だ。
念のために付け加えておこう。今に至るまで「強制連行」の物的証拠は一つも発見されていない。文書も一枚も出てこない。
これに対して、「ナチスのユダヤ人虐殺に関する資料が無いのと同じだ」という人がいる。こういうことを言う人は実は軍事常識というものがまったくわかっていない。 昔、こういう冗談があった。「日本軍に一番の打撃を与えるためには何を盗めばよいか?」答えは「ハンコ」なのである。
今、一番忘れられていることは日本軍(特に陸軍)は巨大な「お役所」であったという事実だ。何事も責任者のハンコがなければ動かない。もし軍が公然と強制連行をやっていたのなら、命令書や伝票(輸送、食料・衣料支給、報酬)の類いが相当数使われたはずだ。それが一枚も出てこないなど有り得ない。
この問題は、吉田清治という人物が「私は韓国の済州島で朝鮮人女性を強制連行しました」という「証言」をしたことによって大問題となった。この「証言」と著者は朝日新聞が「従軍慰安婦キャンペーン」をするたびに、何度も繰り返し登場した。
ところが、この吉田「証言」なるものがまったくのデタラメであることが現在は確認されている。
済州島で発行されている済州新聞に許栄善という記者が「島民はこの話はデタラメだと言っている」と報じ、千葉大学の秦郁彦教授も現地調査でこの事実を確認した。 「従軍慰安婦存在派」にとっては大打撃である。
しかし、いかに自説にとって都合が悪い事実でも、誤報を出したのなら報道機関としては訂正謝罪すべきである。
(中略)ところが、朝日はこの問題について、ずっと頬かむりをしていた。そして、97年3月31日になって、とうとうごまかし切れなくなり、次のように書いた。 「……間もなく、この証言を疑問視する声が上がった。済州島の人たちからも、氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」 (朝日新聞97年3月31日付朝刊、傍線引用者) 何という卑怯な書き方だろうか。「証言が出ない」のならそれは「偽」であることが「確認できた」のである。
(中略)この3月31日付の紙面は「従軍慰安婦は存在した」という大特集である。(中略)まず指摘したいのは、「強制連行」がなくても「強制性」があれば同じことだ、と問題をすりかえている点だ。
そうではない。最初これが大問題になったのは、あくまで「強制連行」による「性の奴隷」だったからである。そういう罪状で「日本」を告発しておきながら、「強制連行の立証」が不可能だとみるや「強制性」があれば同じことだというのも卑怯な態度である。
(中略)では、「名乗り出た“従軍”慰安婦」たちの証言はどうなるか?これも裁判ならば「私は被害者だ」という証言をうのみにしないはずだ。本当かどうか検証するだろう。
それについては秦郁彦氏が「慰安婦『身の上話』を徹底検証する」(『諸君!』96年12月号)で述べているから、これをぜひ読んで頂きたい。結論だけ書けば、「かれこれ総合してみると、朝鮮半島においては日本の官憲による慰安婦の強制連行的調達はなかったと断定してよいと思う」である。
では、どうして、そのような「証言者」が出るのだろうか?
実は、そういう「日本は悪いキャンペーン」の仕掛人がいるのである。
「右翼」「軍国主義者」の言うことは信用できないという人もいるかもしれないから、「中立」の資料を一つあげておこう。毎日新聞のソウル特派員の記事である。
「実は私自身も、慰安婦問題で糾弾活動を続けた運動団体に当初から違和感があり、この問題に積極的にコミットする気持ちになれなかった。
89年末、日本人女性と在日韓国人男性が、ソウル支局を訪ねてきた。『韓国人の戦争犠牲者を探している。韓国側から日本政府に謝罪と賠償を行う裁判を起こしたい。韓国人犠牲者を原告にしたい』との趣旨だった。歴史の発掘という努力はともかく、『原告を探す』という発想には正直驚いた。
(中略)翌年、韓国の『太平洋戦争犠牲者遺族会』はこのグループなどの支援で東京地裁に裁判を起こした。
『韓国人女性を従軍慰安婦として強制連行した』と述べた男性が昨年、謝罪のため訪韓した。一時間ほど話したが、『今回の旅行経費の一部は、同行取材した東京のテレビ局に出させた』と話すのを聞きながら、まじまじと顔をみてしまった」 (下川正晴記者・ソウル支局)(毎日新聞93年9月9日付朝日新聞、傍線引用者)
こういうまともなジャーナリストもいる。
私が不思議なのは朝日新聞紙上でこの類いの記事を一度も見たことがないことだ。なぜ毎日の記者には「見える」ことが朝日の記者には「見えない」のか。 答えは明白だろう。
『吉田証言』が虚偽だったことに対する朝日新聞の往生際の悪さは、『堀江偽メール』を巡る民主党の対応のまずさにそっくりですね。最後は偽だと認めて謝罪した民主党の方が100万倍マシですけど。 この井沢さんの文章が書かれてからすでに9年が経過しようとしていますが、未だに朝日の記者には「見えない」ようです。いや、「見えない」ふりをしてるだけ? (引用終了)
◆平成18(2006)年10月30日[月]
■【主張】河野談話 再調査と見直しが必要だ
慰安婦問題に関する河野洋平官房長官談話(平成5年)の見直しに言及した下村博文官房副長官の発言が波紋を広げている。野党は「閣内不一致」として追及する構えだが、問題視される発言とは思われない。
この発言は、下村氏が都内の講演で行ったものだ。個人的見解としたうえで、河野談話について「もう少し事実関係をよく研究し、時間をかけ客観的に科学的な知識を収集して考えるべきだ」と述べた。政治家として当然の発言である。安倍晋三首相も「私も官房副長官時代に議員の資格でいろんな意見を言った」と問題視していない。 野党は、下村発言が安倍首相の国会答弁と食い違っているとしている。確かに、首相は参院本会議や衆院予算委員会で、内閣として河野談話を受け継ぐことを重ねて表明している。
しかし、衆院予算委で首相は以前の自分の考えについて、こうも言っている。「当時の官房副長官の話を聞いた結果、当初、報道されていた内容と違うと疑問を持った」「当時、『狭義の強制性』が果たしてあったかの確証については、いろんな疑問点があると申し上げた。その後、『広義の強制性』に議論が変わっていった」 河野談話が抱える問題点の核心をついた答弁である。当時の官房副長官は石原信雄氏で、「狭義の強制性」は軍や官憲による強制連行のことだ。
河野談話はいわゆる「従軍慰安婦の強制連行」を認めていた。だが、それを裏付ける証拠は日本側が集めた公式文書になく、談話発表の直前にソウルで行った元慰安婦からの聞き取り調査のみに基づいて「強制連行」を事実と認めたことが、後に石原氏の証言で明らかになった。その後、一部マスコミが「広義の強制性」に論点をすり替えたこともよく知られている。 誤った事実認定に基づく政府見解にいつまでも内閣が縛られることは不自然だ。再調査による見直しが必要である。過去にも政府見解が変更されている。首相の靖国参拝について、昭和55年の政府見解は「違憲の疑いは払拭(ふっしょく)できない」としたが、昭和60年に公式参拝を合憲とする見解に改められた。
河野談話についても、まず議員レベルで専門家を交えた研究を行い、正すべき方向性を示してほしい。(産経新聞)