狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

転げ回る中山元文科相の歴史観

2007-10-18 13:47:12 | 教科書

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ウェブサイトに載っていない記事は、特別でない限りスルーするようにしている。

理由は簡単、一本指流でキーボードを叩く当日記にとって文字お越しは面倒だから。

時々他のブログの文字お越しは拝借したりしてはいるが・・・。

今朝(8日)の第二面の次の記事は、おそらく新報だけの記事なのだろうか、ウェブサイトには載っていないが。(文字お越しが面倒くさい!)

「強制は言っていない」

中山元文科相  報道内容を否

【東京】中山成彬元文科相は、17日午前に自民党本部で開かれた「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の役員会に関連して、沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)について「軍の命令、強制は当然あったと思う」と発言したと報じられたことに関して、同日午後、琉球新報社の取材に対し、「強制は言っていない」と報道内容を否定した。 同氏は本紙に対し、住民への手榴弾(しゅりゅうだん)配布の事実に触れながら、「軍の関与があったのは事実だ」としながらも「軍の強制があったかどうかはわからない」と語った。 参加者によると、中山氏は役員会の中で「沖縄戦の極限状態の中で起きた『集団自決』には日本軍の関与があったと思う」とか語ったものの、「日本軍の強制」の存在については明確な発言は無かったという。 同会は「日本軍の強制の有無に関して「白紙の状態で臨む」(小島敏男衆院議員)との立場で、証言者の聞き取りや資料収集にあたる方針だ。 教科書記述の復活についても、同会は「県民大会の開催を受け記述を変更するのは検定制度の公正・中立性の面から疑問」としており、検定制度の「誠司不介入」を強く主張している。  中山氏は17日午前、沖縄戦での集団自決に関して旧日本軍の強制の記述が教科書検定で削除された問題で「軍の命令、強制は当然あったと思う。 沖縄戦について、国会議員も国民もあまりに知らなさ過ぎる」と延べ、記述回復を図る動きに理解を示した。 党本部で開いた同会役員会後に記者団に述べた。(琉球新報 2007年10月18日)

                     ◇

昨日のエントリー「コロコロ変る中山元文科相の歴史観」の最後に「一ヶ月足らずで歴史観がコロッと変る中山元文科相は、恥知らずだ」と書いた。

軍の命令、強制あった 集団自決で中山元文科相 (10月17日 12:29)

ところが一夜明けたら又びっくり。

今朝の報道によると又しても歴史観がコロリ!と二転三転。

このように歴史観が転げ回る政治家を寡聞にして知らない。

これでは恥知らずどころか「アル○ハ○マー」ではないか。

同記事では中山元文科相が「軍の命令や強制があった」とは言ってないとしているが、

最後の部分では「軍の命令、強制は当然あったと思う」と発言した、と重ねて念を押している。

どちらかがウソをついているのだろうが、新報の記事には中山発言の証拠を握っているのか自信に満ちている。

中山元文科相は以前にも同じように「言った、言わない」の記事で沖縄タイムスもトラブルを起こしている。

沖縄タイムスVS元文科相

記事中の「・・・記者団に述べた」の部分から判断すると証人が複数いるのだろう。

してみると、どうやら中山元文科相の失言という見方が正しいようだ。

この元文科大臣、沖縄タイムスの時の学習経験は生かせなかったのだろうか。

ことは国の教科書に記載に関わる重要な問題である。

沖縄タイムスとのトラブルの時のようにウヤムヤにして欲しくない。

 

 ■新聞の見出しもコロコロ変る■

軍の命令、強制あった 集団自決で中山元文科相
東京新聞 - <NOBR>2007年10月16日</NOBR>
自民党有志でつくる「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」会長の中山成彬元文部科学相は17日午前、沖縄戦での集団自決に関して旧日本軍の強制の記述が教科書検定で削除された問題で「軍の命令、強制は当然あったと思う。沖縄戦について、国会議員も国民もあまりに知ら ...
検定意見撤回の動き批判 中山元文科相
中日新聞 - <NOBR>2007年10月5日</NOBR>
中山成彬元文部科学相は五日午前の自民党文部科学部会・文教制度調査会合同会議で、沖縄戦の集団自決をめぐる教科書検定問題について「十一万人が集まれば教科書が変えられるのか。そういう前例を残すことはどうなのか」と述べ、旧日本軍による強制や関与の記述削除を求め ...
殉国死でなく犠牲者だ/中山元文科相に聞く
沖縄タイムス - <NOBR>2007年9月26日</NOBR>
沖縄戦「集団自決(強制集団死)」への日本軍の強制を削除した高校歴史教科書の検定問題は、与党の自民党内にも文部科学省の対応を疑問視する声が上がる。自民党の「教育再生に関する特命委員会」の委員長を務め、同委で沖縄の教科書問題を取り上げた中山成彬元文部科学相 ...
 
 
今夜も、さ~ふ~ふ~」さんも呆れ返って「どっちなの? 」

と呆れ返っているようだ。

 

 
いい加減な記者会見をする中山元文科相に歴史を語る資格はない!
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コメント (2)

沖縄戦・渡部昇一教授のインタビュー記事 

2007-10-18 11:46:27 | 教科書

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「集団自決」に関して独自の取材で沖縄のメディアが報じない隠れた証言者の発掘、そしてその取材に成功している「世界日報」が渡辺昇一上智大学名誉教授のインタビュー記事を掲載している。

以下「世界日報」の転載です。http://www.worldtimes.co.jp/

                     ◆

               

平成19年10月18日

沖縄戦と教科書検定問題 渡部昇一上智大学名誉教授に聞く

日本は沖縄を見捨てず、沖縄で散った多くの特攻隊員

 沖縄戦「集団自決」に付けられた教科書検定意見の撤回を求める動きが先鋭化し、政府は、県民感情と「政治不介入」のはざまで対応に苦慮している。この問題で渡部昇一・上智大学名誉教授に聞いた。
(聞き手=編集委員・鴨野 守)


司令官感激させた沖縄の奮闘ぶり

picture 靖国神社の遊就館に展示されている沖縄戦特攻隊の遺影と遺品=加藤玲和撮影
 先の沖縄戦で、赤松嘉次大尉率いる渡嘉敷島と、梅澤裕少佐の座間味島で起きた集団自決に関して、隊長の自決命令があったかどうかという問題は既に決着済みです。

 忘れられているかもしれませんが、当時の大多数の日本兵は非常に立派でした。あのころの将校は非常に責任感が強く、犠牲精神も強かった。ですから、「自分が自決の命令を出した」と言って住民の生活が助かるのであれば汚名を着ても構わない、と。元来、国家のために死をも覚悟して軍人になった人が圧倒的でしたから。

 しかし、それを悪用したのが大江健三郎氏の『沖縄ノート』であり、一方、おかしいと思って現場で綿密な取材をして、『ある神話の背景』に自決命令がなかったという真相をお書きになったのが曽野綾子さんです。私の記憶ではあの本を書いたことで曽野さんは「右翼」とレッテルを張られるほどでした。

 しかし、曽野さんの本が出ることで勝負が付いたのです。しかし、『沖縄ノート』は岩波書店が出版し、大江氏がノーベル文学賞を受賞したなどの理由で、版を重ねているわけです。ところが最近になって、自決命令はなかったが、援護金をもらうために虚偽の軍命令の証言をしたとか偽の命令書を作成した、という証言が出てきました。

 こうした真相が明らかになると、沖縄の左翼運動の首謀者たちは今度、「集団自決に、軍の関与はなかったのか」という、また別の土俵に持っていったのです。ですから、まず渡嘉敷、座間味島で隊長命令はなかった、とはっきり書かないといけない。

 ただ、沖縄では、住民の土地が戦場と化して、いろんな形で悲惨な目に遭ったわけです。アメリカだって国際法を守って日本と戦ったわけでないのは、無差別爆撃や原爆投下などの証拠があります。

 しかし、日本は沖縄を見捨てたわけではありません。日本の一番優秀な若者を特攻隊で何千人も送り、大体が沖縄で亡くなっています。それは、沖縄を救おうという日本の意思です。戦艦大和だって沈むことを覚悟で出たのです。「戦艦大和を持って沖縄を助けなかった、と言われてはいけない」と沖縄に向かった。もし到着できれば、海岸に打ち上げても戦わせるという、最後まで沖縄を助けるという気持ちがあったことを沖縄県民の方々にまず分かってもらわねばなりません。

 また戦時中の沖縄の人がどれほど軍に協力的であったかということは、沖縄方面根拠地隊司令・太田実海軍少将が自決直前に残した感動的な電文「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」からも明らかです。

認められぬ「沖縄条項」

検定撤回運動の中核は「反日」

picture
 沖縄の人が、「自分たちはひどい目に遭った」と叫んで本土から金をもらおうとしているかもしれませんが、はっきり言って、それは卑しい。なぜ、お金が絡んできた途端に卑しくなってきたかと言えば、戦後の風潮もあります。戦後の日本本土を悪く言わなければならないコリア人と同質の発想法に蝕(むしば)まれたのではないか、とみています。

 コリアの人々だって、日本人がそんなに悪いことをしたことがないと当時を生きていた人は誰もが承知していると評論家、呉善花(オ・ソンファ)さんが書いています。しかし日本軍が非常に悪かったというのは、李承晩以降の発想法であり、GHQ(連合国軍総司令部)の方針で、軍宣伝が広く浸透しました。

 それを利用して、事実にかかわりなく、日本をゆすろうという態度がコリアにも中国にもあります。その圧力の前に、事実をろくに確かめもせずに降伏したのが昭和五十七年夏のマスコミ誤報が発端の「教科書誤報事件」当時の宮沢喜一官房長官でした。

 今回も、渡嘉敷、座間味の集団自決に、何もないということが分かった途端に、沖縄は島ぐるみで「自決に関与した」と叫びだし、誤った情報を本土に向かって洪水のごとく流し始めたのです。

 われわれは沖縄が戦場となったことに心から同情しています。ですが、特攻隊で亡くなった人のほとんどは沖縄戦防衛のため亡くなっています。また本土が無傷だったということも全くない。六十四カ所全部焼かれた。東京は大空襲で一晩に十万人の住民が焼かれています。市民の死者の数を比較すれば、沖縄よりも多い。広島、長崎の原爆しかり、です。でも、本土の人は誰もが戦場となった沖縄が気の毒だったと思っていたのです。

 それ故、赤松大尉も梅澤少佐も地元住民に配慮したのです。その気持ちを酌んでもらわないといけない。それを利用して反対運動を展開する中核には、反日運動の勢力があります。その背後には、金が絡んだアジアの反日グループが存在する可能性もあります。情けないのは、それですぐ動く日本政府の人たちです。

 検定撤回を求める県民大会の様子を伝える沖縄の新聞を見ると、安保改正反対運動当時の新聞を思い出します。でも、終わってみれば日米安保は改正してよかったと気付いたのです。マスコミはこうした反対運動をしばしばやりますが、米軍によって殺害された住民の写真をあたかも日本軍によって自決させられたかのごとく紹介するのは、メディアが絶対やってはいけないことです。

 良識ある人たちはまず、大江健三郎氏を完全に謝罪させる運動から突破することでしょう。裁判で渡嘉敷、座間味島での自決命令がなかったとはっきりすれば、それだけで大きなポイントであり、それが肝心です。私たちは赤松、梅澤両隊長が地元住民にとって立派な将校であったということ、虚偽の記事を書いたのは沖縄タイムス『鉄の暴風』であり、それを検証せずに書いたのが大江健三郎氏であったという事実を広めていくことが大事ではないでしょうか。また、誤報から生まれた「近隣諸国条項」の取り消しを求める運動を進めていかないといけません。

 繰り返しますが、沖縄の人が太平洋戦争の時に最もよく戦い、われわれを感激させ、司令官を感激させた人たちです。日本が沖縄を捨てたなどと絶対思わないでいただきたい。どうか、歴史の事実に冷静に向かってほしいものです。

 万が一、沖縄戦の集団自決に軍の強制があったと明記する形を永続させる目的の「沖縄条項」などを制定すれば、愛する家族や許嫁(いいなずけ)を捨てて死んでいった若き特攻隊の英霊が泣きます。

(談)

 沖縄戦における特攻隊 日本海軍航空史編纂委員会編『日本海軍航空史1 用兵篇』、生田惇著『陸軍特別攻撃隊史』によれば、日本軍は、約千九百機(海軍が千機、陸軍が九百機)の航空機と約三千人(海軍二千人、陸軍千人)の搭乗員を沖縄戦の特攻に投入。また、戦艦大和には有賀幸作艦長以下三千三百三十二人が乗艦した。

 近隣諸国条項 教科用図書検定基準に定められている「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」という規定。昭和五十七年、高校の日本史教科書に、中国華北への「侵略」表記が「進出」に文部省検定で書き直させられた、という報道が発端となり、中国・韓国が抗議し、外交問題に発展した。当時の宮沢喜一官房長官が近隣諸国に配慮するとの談話を発表し、この条項が加えられた。だが、発端となった報道が「誤報」であると世界日報は最初から指摘。後に産経新聞も誤報だったと大きく報じた。「沖縄条項」とは、この近隣諸国条項の国内版であり、沖縄への政治的配慮の固定化を図る目的がある。

関連記事
 ・沖縄タイムスが“捏造写真”報道
 ・真実の攻防 沖縄戦「集団自決」から62年

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「毒おにぎり」が海を渡る  仲里証言をニューヨークタイムズが報道

2007-10-18 06:00:10 | ★集団自決

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「県民大会」の実行委員長になり、更には「東京要請団」の団長として、仲里県議会議長の名前と顔はすっかり全国区になった。

地元マスコミでで仲里議長の名が一躍注目されるよったのは琉球新報の衝撃的「毒おにぎり」記事以来である。

毒おむすび渡された 県議会議長、沖縄戦体験を語る

 
戦時中の食料事情を知る人なら、折角のご馳走の「白いおにぎり」に毒を入れる状況が理解できないと、この体験談に疑念を抱く人も多い。
 
だが、これがそのまま海外の新聞、それもあのニューヨークタイムズの記事となったとなると、歯止めなく世界中を1人歩きする懸念を抑えられない。
 
「戦地売春婦」が「性奴隷」の名の下に世界中を一人歩きしたように。
 
「11万人」集会がニューヨークタイムズの記事になったことを琉球新報が報じたが、Red Foxさんが元記事を全訳した結果、
 
琉球新報の訳文を原文に無いことを報じる「超訳」と呆れ返っていた。
 
詳しくは「またオーニシか! 沖縄抗議集会 琉球新報報道の怪 (Red Fox) 」でご覧下さい。
 
記事を書いたのは反日記事で有名なオーニシ記者ですが、翻訳者の岩谷文太さんは次のようにコメントしています。
 
このNYタイムズの大西記者の記事の情報源となってるのは多くが沖縄タイムズや琉球新報の記事なので、もともとがバイアスがかかってる訳ですが、結果として琉球新報が情報を提供して書かれたNYタイムズの記事を琉球新報が逆輸入して更に誇張して報じるという自作自演のマッチポンプ記事です。NYタイムズ自体はアメリカの朝日新聞みたいなものですから。

沖縄の事は本来は沖縄の民意が決める事ではありますが、問題は本土から乗り込んだ活動家であり、米軍の問題があってもそこには中国の脅威がある訳です。≫
 
≪しかし琉球新報のこれは幾ら何でも酷過ぎますね。まずNYタイムズの記事を報じてると装いながら内容を改変してる点、それから引用表記のルールの基本が全く出来てない点ですが、これは英語読解力など記者の能力の問題なのか、それとも意図的に印象操作をしてるのかは、この記事を見る限りでは何とも言えませんが、ロサンゼルス通信員という方なので恐らく確信犯の後者でしょう。そもそもロス通信員なら宜野湾市の抗議集会で直接取材した訳でないでしょうから、NYタイムズに書かれてる以上の余計な情報が入るのが不自然というものです。

 そういうクリエイティビティ溢れる琉球新報には『創作芸術大賞』を進呈したいと思いますw。≫

 
そのニュークタイムズ記事の中で、多くの証言者が「日本軍の残虐性」を訴えている。
 
特に沖縄出張法廷で証言した金城重明氏は本人の写真つきで紹介されている。
 
だが、金城証言に続く仲里議長の「毒おにぎり」証言が、
 
日本軍の残虐性を示す逸話として、世界中に飛び火していくことを危惧する。
 
以下はニューヨークタイムズ掲載の「毒おにぎり」の仲里議長の証言部分の原文と訳文です。

Okinawans Protest Japan’s Plan to Revise Bitter Chapter of World War II
http://www.nytimes.com/2007/10/07/world/asia/07okinawa.html

 One of the visitors to Tokyo was Toshinobu Nakazato, chairman of Okinawa痴 assembly.

Angered by the revisions, Mr. Nakazato broke a 62-year silence and talked about his own wartime experiences.

Inside a shelter where his family had sought refuge, Japanese soldiers handed his family members two poisoned rice balls and told them to give them to Mr. Nakazato痴 younger sister and a cousin, he said. Instead, his family fled into the mountains, where his younger brother died.

的知 already 70,・he said in an interview, 殿nd the memories of those over 80 are already fading. So perhaps this time was the last opportunity for us to resist.・/p>

その一人である沖縄県議会の仲里利信議長は、教科書問題に不快感を示し、62年の沈黙を破って自らの戦争体験を語った。

仲里さんの家族が難を逃れたガマ (濠) では、彼の家族に日本兵が2個の毒入りおにぎりを手渡し、仲里さんの妹といとこに与えるように言った。彼の家族は山に逃れ、そこで弟が亡くなった。

 「私はもう70歳ですが、80歳以上の人達の記憶は薄らいでいます。だから今が私達が抵抗出来る最後のチャンスなのかもしれません」と仲里さんは語った。(Red Foxさん訳)

                     ◇

 

■琉球新報により伏せられた仲里証言の“ある部分”■

毒おむすび渡された 県議会議長、沖縄戦体験を語る

(略)

 海からの艦砲射撃が激しくなった4、5月ごろ、ガマに移動した。200人ほどが入れる大きなガマだった。そこは「スパイがはびこってる」「あの人もそう」とたくさんのうわさが飛び交い、険悪な空気が流れていた。
 その中で3歳の妹と同じ年のいとこが泣きじゃくった。しばらくして3人の日本兵が来て、「この子たちが泣いてると、敵に発見されてみんな殺される。これを食べさせろ」と毒の入った白いおむすびを持ってきた。家族みんなで話し合ったが、すぐに「家族は一緒だ。食べさせられんさー」と全員でガマを出た。
 その後はガマや墓に隠れたが、家族壕を掘るために、弟を背負い、母と3人で山に向かった。ようやく壕が完成し、残りの家族を迎えに行こうと山を下りていくと、2、300メートル先に14、5人の米兵の姿を見つけ、一目散に山へ戻った。(略)
 (琉球新報 6/21 9:50)
 
                    ◇
 
「11万人」集会の実行委員長として、又「上京要請団」の団長としてすっかりテレビ露出の多くなった仲里県議会議長だが、
 
その前に「毒入りおむすび」証言で既にネット上では全国区の有名人になっていた。
 
だが、仲里議長の証言場面を動画で検証すると、琉球新報記事は証言のある重要部分を敢て伏せている。
 
仲里議長は、動画では概ね次のように話しているが、
 
上記新報記事では「壕に退避していたら妹がワーワー泣き出したので、(壕の中にいた)皆さんが出て行きなさいといったが、出て行くわけにも行かない」の部分は省略されている。
 
この部分は「壕から日本兵に追い出された」という巷間流布している定説とはそぐわない。 
 
つまり琉球新報は、壕から出て行けと言ったのは日本兵でなければ今まで造り上げて来た残忍な日本兵のイメージが崩れると困るのである。
 
「壕から追い出した人物」と「毒おにぎりの人物」は同じ日本兵でなければ整合性が無いのだ。
 
そこで、新報は証言のある部分を伏せて報じた。
 
「壕から出て行けといったのは同じ県民だった
 
 
 仲里証言を【動画】で検証してみよう。http://www.youtube.com/v/J7rQo-hIIXo
 
文字おこしすると概ね次のようになる。
 
≪壕に退避していたら妹がワーワー泣き出したので、(壕の中にいた)皆さんが出て行きなさいといったが、出て行くわけにも行かない。

ある人突然着剣した銃を持った日本兵が3人壕に入ってきて三才になる従妹に白いおにぎりに毒を入れて食べなさいといった。

家族一緒に死のうと壕を飛び出した。≫

「毒おにぎり」の仲里議長の証言もそうだが、それを報じる琉球新報が更に事実を隠蔽するようでは、沖縄の新聞は・・・、

何としてでも「沖縄県平和祈念資料館」に展示されている「銃剣で親子を壕から追い出す日本兵像」のイメージを造りたいのだろう。

 

参考エントリー毒入りおにぎりを渡された県議会議長

◆関連ブログ:沖縄集団自決問題 NYタイムズ記事検証

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