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沖縄タイムス 2007年10月26日(金) 夕刊 1・6面
「検定意見の撤回が民意」/大城さん、都内で講演
【東京】沖縄戦「集団自決(強制集団死)」訴訟の被告側支援や教科書検定問題に取り組む「沖縄戦首都圏の会」は二十五日、連続講座「沖縄戦の真実と歪曲」を都内で開き、沖縄戦研究者で沖縄平和ネットワーク代表世話人の大城将保さんが講演した。(略)
◇
「11万人」か「2万人前後」かで、参加人数で議論を呼んでいるが、東京で行われた上記講演会の参加人数はタイムスも新報(ウェブサイトには記事自体が無い)も参加人数については何故か触れていない。
だが、実際に参加した人の情報によると「40名~50名」の小規模集会だった模様。
ウェブサイトに載せたタイムス記事には特に目新しい内容は無いが、ネットを避けた?新報には突っ込みどころが満載だった。
≪津堅島で住民が「集団自決」に」追いつめられたとき、女児が突然大声で泣きだしたため大人たちが我にかえり、死を思いとどまった事例を紹介し、「軍命から逃げられない。 隊長の一言が生死を分ける。 梅沢隊長は本当に『自決するな』と」言ったのか。自己弁護に過ぎない」と強調。 隊長が住民を制止していたら「集団自決」は起こらなかったと訴えた。≫(琉球新報 2007年 10月26日 夕刊 ウェブサイトには無い)
講演会は「集団自決」は軍の命令以外にはありえない、といった主旨で、
大城氏は独自の調査でそれを証明しているつもりのようだが、新報記事が正しいとすれば、
逆に「軍の命令は無かった」と証明したことになる。
>住民が「集団自決」に」追いつめられたとき、女児が突然大声で泣きだしたため大人たちが我にかえり、死を思いとどまった・・・
誰に追いつめられたかを具体的に書いていないが、文脈からいって「米軍の上陸、艦砲射撃によるパニック」追いつめられた、としか考えられない。
女児の泣き声で我に返るくらいだから「パニック」から我に返ったのだろう。
という事はこの事例は、命令が無くとも孤絶された島であのような状況になれば誰でもパニックに陥るということの証明になる。
「死を思いとどまった」ことは自分の意思で「自決」を中止したことになる。
ただ、大城氏がこの事例を「軍のいなかった島は自決はない」とする根拠にするのなら、これにも大きな矛盾が生じてくる。
たまたま女児が大声で泣くということが無かったら、
津堅島でも「集団自決」が起こりえたという証明になってしまうのだ。
>軍命から逃げられない。
これこそこの講演会の最大の矛盾発言である。
係争中の裁判の証人・金城重明氏を始め、軍命を主張する人は多数いるが、全て「軍命を逃れて」生きているではないか。
>隊長が住民を制止していたら「集団自決」は起こらなかった・・・
現場に居合わせていない隊長に対して「制止していたら・・」とは単なる言いがかりとしか取れない。
タイムス、新報両紙は大城氏の破綻した理屈の詳細は伝えていないが、参加者の情報によると、講演内容は「日本軍の悪行」の追求に終始したという。
≪「軍隊は国民を守らない、米軍より日本兵のほうが怖かった、命どぅ宝、」、この3つの言葉は集団自決体験者がみんな口をそろえて言った≫、これを特に強調していたとの事。
これら「日本軍糾弾」の言葉はこれまでもマスコミや左翼学者により喧伝されていたことで、これが左翼歴史家大城氏の口から出ても特に珍しいことではない。
だが、大城氏は講演の結びで次のように言ったと聞き、あきれ返ってしまった。
「慶良間諸島での軍命の有無についても、なかったとする隊長の証言を裏付けるものはまったくない」。
軍の命令で自決を強制したと糾弾する相手の隊長に「軍命が無かったする証言」に裏付けを要求するとは・・・。
これこそ「悪魔の証明 」を要求するに他ならない。
この大城氏は沖縄戦史の研究者という顔の他に嶋津与志のペンネームで、沖縄戦を描いた『かんからさんしん物語』(理論社)他多くの小説を書いている。
当日は講演の始めに、大城氏の小説を原作にし、アニメ映画『かんからさんしん』の最後の部分が上映されたとのこと。
講演会でも研究者、作家と二つの顔を交互に出して「暴虐非道の日本軍」を糾弾すれば、聴講者は虚実の境目が分からなくなる。
◇
11月9日、ノーベル賞作家大江健三郎氏が証言台に立ち愈々裁判も大詰めを迎える。
不思議なことに被告側の証人はほとんどが「作家」である。
安仁屋沖国大名誉教授は数多くの沖縄戦関連本の著者だし、宮城晴美氏も有名な「母の遺したもの」その他の著者。
金城重明氏も「「集団自決」を心に刻んで―沖縄キリスト者の絶望からの精神史」を著している。
本職の作家でありながら「沖縄戦史の研究者」という二束のわらじを履く大城将保氏が主張する「軍命から逃げられない」は実は生き残り証言者の心の葛藤に深く突き刺さる言葉である。
「軍命」に逆らって「自決」から生き延びた金城重明氏。
沖縄県人なら誰でも密かに考えることだが口に出し難いことがある。
これまで当日記でもあえてそれには触れては来なかったが、「雑感だらけ」さんが解説してくれているので以下に引用する。(再引用)
≪このニュースを見ての最大の疑問
「命令が存在し、自決を強制されたのならばなぜ金城重明氏は生きているのか?」
「手榴弾が配られた」のになんで金城氏は「石を使って家族に手を掛けた」のか
「軍命があったとしか考えれられない」というのは金城氏の推測であって、直接命令を聞いているわけではないのか
・・・・・・・・・
すでに昔の雑誌で金城氏自身が明らかにしていることだが、金城氏はこの集団自決の際に家族を殺しています。
そんなわけで「軍の命令があった」ということにしておかないと、一番困るのは金城氏です。
あえてきついことを書くが、命令無ければただの殺人者になっちゃうからね。
集団自決という事態に至ったことは眞に痛ましいことではあるが、その責任を全て日本軍に押し付けるということはやってはいけないことだろう。
同じ金城姓でも金城武徳氏は軍命令を明確に否定する証言をしている。
メディアはそちらのほうはまったく取上げていないけどね。
あとこの問題については、教科書から集団自決そのものが削除されたと勘違いしている人が多すぎるのも困ったものだ。≫
そう、あえて言わしてもらうと16歳という多感な歳頃で親兄弟に手をかけて殺した金城氏の過酷な運命には同情の一言では済まないものを感じる。
だが「肉親殺し」の汚名から逃れるためには、何が何でも軍の命令でやったことにしなければならないという態度こそ歴史のわい曲ではないのか。
そのため汚名を被せられ、その人生を破壊されたまま無くなった隊長の赤松隊長の無念さはいかばかりだったのか。
誰だって「肉親殺し」の汚名を浴びたままの人生は過ごしたくない。
しかし、「軍の命令」に固執することは、彼の心の救いという文学的領域に立ち入る問題である。
その結果彼の証言には法廷で要求される「理」を避けてもっぱら推測等の「情」に訴えることになる。
作家である大城将保氏は「集団自決」の生き残りの心中に秘めた葛藤を忖度した上で、「軍命は逃げられない」と主張しているのだろうか。
【追記】
沖縄の教師はこんなことばかりやっているから生徒の学力が下がるのだ。 「沖縄」正しく教えて/教師向け副読本 2006年5月17日(水) 沖縄タイムズ
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