狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

日本軍の住民虐殺 「人肉の食用塩漬け」!?

2006-10-08 13:55:11 | ★改定版集団自決

「米国国立公文書館」所有の資料とえば、そのいかめしい名前から資料の内容が全て真実であるかのような印象を与える。

 又、敢えてその印象を利用しようとするメディアや学者もいる。

 その公文書館資料には日本軍の沖縄住民に対する残虐行為は「集団自決命令」なんて序の口で、住民を撲殺した後「肉を塩漬け」にして食らったというとんでもない話まであった。

ドキュメンタリー作家の上原正稔さんがその公文書館資料を基に「戦争を生き残った者の記録」を琉球新報に連載している。

当初は目を通していたがその内容があまりにも「正義の米軍に対する悪の日本軍」といったニュアンスの証言等が多く、繰り返される日本兵の残虐行為の証言に辟易してしばらく読むのをスルーしていた。

 だが10月6日夕刊の「第八話 そして沖縄人親子は消えたー人肉を塩漬けにして」に至っては悪鬼・日本軍追及の証言もついにここまで到ったのかと感じた。

 ≪驚いたことに、私(米兵)の尋問に対して、あの捕虜(日本兵)はためらいも見せず、すらすらと答えた。

二人の日本兵はこん棒で沖縄人の父と息子を殴り殺し、身体を切断し、骨を抜き取り、拾った桶に肉を塩漬けにし、毎日少しずつ食べていたのだ

私は彼の供述を注意深く書き取り、それを彼に読み返すと、彼は間違いありませんと言って、タイプされた供述書に署名した。 何のためらいもなかった

忘れてならないのは、彼は我々アメリカ人よりも沖縄人を恐れていたことだ。彼は我々を保護者と見なしていたのだ。≫ (琉球新報2006年10月6日夕刊)

ここで注目すべきは「彼(敗残日本兵)は我々アメリカ人よりも沖縄人を恐れていたことだ。彼は我々を保護者と見なしていたのだ。」というくだりだ。

この尋問者の米兵と応答者の日本兵は一寸前までは命を懸けて戦っていた敵同士なのだ。

そして日本兵が米兵より恐れて米兵に保護を求めている「敵」は本来日本軍が保護すべき沖縄人だと言うのだから話は複雑だ。

米軍が沖縄上陸前に目論んだ「日本ー沖縄分断策がここに見事に描かれているではないか。

米軍による沖縄住民の尋問にも「アメリカ兵より日本兵のほうが怖かった」と言う証言もある。

残虐な日本軍と戦っていた沖縄人を解放するため沖縄に上陸した正義の米軍≫が見事に描かれているではないか。

琉球新報の記事には「人食い日本兵と捜索隊の記念写真 1945年5月」と題した写真が掲載されている。

写真をコピーしたらしく写りは不鮮明だ。

それでも銃を持った軍服姿の10人の米兵の中に混じって前列中央で大股を開いて腰に両手を当ててふんぞり返ったような態度態度で立って写っている日本兵らしき眼鏡の男。

この「人食い日本兵」は、まるでこの隊の隊長のような印象さえ与える。 この日本兵、沖縄人からの報復を恐れていたと言うから人肉を塩漬けにして食らったことを沖縄人に見られたのだろう。

だが、沖縄人の口からこのような「人肉塩漬け」の話はかつて聞いた事はない。

もちろんナチを追いかけるユダヤ人のように、戦後沖縄人が「人食い日本兵」を探し回ったという話も聞いたことはない。

 

★上原正稔さんの米国資料館資料発掘http://www.tenbusu.jp/news/sinpou050311.html

 

【追記】14:19

沖縄では人肉食の話は聞かないが3月2日の当日記で次のようなエントリーをしていた。

ヒトの肉を食う話

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朝鮮日報が核実験声明に対し安倍首相の行動を評価

2006-10-08 08:29:50 | 外交・安全保障

今年7月の北朝鮮による大量ミサイル発射の時、東門・沖縄市長はコメントを避けた。

今月3日の北朝鮮の核実験宣言に対しても、「核実験絶対反対!」の声は聞かれない。

東門市長の心境は、「太陽政策」で北朝鮮に擦り寄ってきたて韓国・盧武鉉大統領の心境はと同じだったのだろう。

≪北朝鮮外務省の声明が報道されたのは同日午後6時。

両国政府はほぼ同時に非常会議を召集したが、会議の主宰者は違っていた。

韓国政府は午後6時40分、宋旻淳(ソン・ミンスン)大統領府安保政策室長が次官級の出席する会議を開いた。続いてユン・テヨン大統領府報道官が同8時ごろ「北朝鮮核実験の警報体制を強化する」と発表した。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は同6時5分に報告を受けたが、何も公式に言及していない。

 日本は韓国よりも8分遅い午後6時48分、安倍晋三首相が直接緊急会議を開いた。状況報告を受け、指示もした。そして同7時に麻生太郎外相は「北朝鮮の核実験の可能性がある。ミサイル発射よりも深刻だ」と発表した。同7時30分には安倍首相が記者会見で「北朝鮮の核実験は許さない」との談話を発表した。

 4日午前7時、韓国政府は宋旻淳室長の主宰で長官級が出席する安保政策調整会議を開いた。しかし、声明は大統領府ではなく、外交部からのものとして発表された。盧大統領がこれについて初めて言及したのは午前9時30分頃の国務会議で、「冷徹かつ断固とした対処をせよ」だった。それも宋室長が伝えたものだ。 (朝鮮日報 2006年10月5日)≫

朝鮮日報は自国の大統領が「太陽政策の頚木で逡巡している間に日本の安倍首相が毅然、且迅速にリーダーシップを発揮したことを報じた。

北の核実験に対して日本より危機感を感じるべき韓国の大統領がまごまごしている間に安倍首相は迅速に動いた。

日本の報道はなぜかこれを報じない。

結局、安部首相の重大な「初仕事」は日本のメディアではなく他国のメディアに拠らねばならぬ。

ここに日本メディアが持つ病巣を垣間見た気がする。


安倍首相に14時間遅れで盧大統領やっと言及(朝鮮日報)

 


 

 

 


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「集団自決」の米公文書 「アメリカは解放軍だった」

2006-10-07 07:49:01 | ★集団自決

戦時に作られた文書、写真等が国策、或いは軍の作戦に沿ったプロパガンダ的要素に満ちていることはよく知られたこと。

後の世になってこれらの文書や写真を検証する場合、これらがどのような意思を持って製作されたか、その背景を考慮しながら検証しないとせっかくの資料が時代を見誤る有害物にもなりかねない。

沖縄戦といえば,日本軍が住民を壕から追い出したとか、凄惨な集団自決に追いこんだとかと住民を守らない残虐な日本軍のイメージが強調されて来た。

他方では「アメリカ軍は人道的であり、沖縄住民を残酷な日本軍から救うためにやって来た平和と民主主義の守護者、“解放者”である」かのようなアメリカが作った情報がまかり通ってきた。

アメリカ軍は沖縄侵攻作戦を、「アイスバーグ作戦」と名付け、それまでの太平洋戦争ではみられなかったカメラマン部隊を投入し、沖縄戦の様子を克明に記録している。

それらの記録映像には老婆を壕から助け出したり、赤ん坊を抱いてミルクを飲ましたり或いは負傷者の住民に手当てをしているヒューマニズム溢れる米兵の姿を記録した。

写っている米兵は気のせいかハンサムで体格のいい白人が多い。

実際に沖縄に上陸した米軍は白人、黒人それにフィリピン人や日系二世も混じっていたわけだが、プロパガンダとして残す人道的米兵としてはハンサムな白人の若者が適役だったのだろう。

それらの映像記録は、未編集のまま米国国立公文書館に保存されているが、「1フィート運動の会」によってその大部分は収集されている。

だが、スチール写真等は、沖縄の米軍統治時代に「琉米親善」のプロパガンダに有効に利用された。

米軍の従軍カメラマンの中には、有名なアーニーパイルも含まれていた。

彼の名は60-70歳代以上の人なら東京の「アーニーパイル劇場」として記憶にあるだろう。

だが、米軍占領下の沖縄で小学校時代を過ごした現在50歳代以上の人なら沖縄戦で日本兵の狙撃により非業の最期を遂げた英雄として学校で教えられていたのを思い出すだろう。

イメージとしては沖縄を解放にしに来た“解放軍”の従軍記者が、侵略者・日本軍の狙撃により非業の戦死をしたという英雄物語である。(アーニーパイル記念碑http://www.iejima.org/kan/miru_mei_ani.html)

ルーズベルトの名は知らなくともアーニーパイルの名は知っている小学生、中学生は当時沖縄には多数いたくらいだ。


米軍は沖縄を本土と分離し、半永久的に沖縄を軍政の元に置く計画だった。

そのため沖縄のことをしばしば「太平洋の要石」と呼んだ。

 その最大の根拠は、アメリカが中国、アジア支配の戦略のために、沖縄を公然と米軍基地として気兼ねなく使う目的のためであった。

アメリカは、沖縄戦の前に沖縄について綿密な調査研究をしていた。

沖縄人と日本人は違う民族であり、沖縄人は明治期以降武力で日本の植民地とされた被支配民族と言う捉え方で沖縄人に接した。

そのため収容された捕虜収容所でもはじめから本土兵と沖縄兵を分離するなど、本土と沖縄の対立を意図的に組織した。

このアメリカの意識的な本土・沖縄分断策は成功し、施政権返還後も一部のグループに受け継がれている。

以下に引用する大田前沖縄県知事の著書「沖縄の決断」の紹介文にこれが凝縮されている。

まぎれもなく、沖縄はかつて日本国の植民地であった。

古くは薩摩の過酷な搾取に支配され、太平洋戦争で沖縄県民は軍務に活用され、やがて切り捨てられ、そして卑劣にも虐待された歴史がある。

その意味では、沖縄戦のあとに上陸してきたアメリカ軍は沖縄にとって解放軍のはずだった。≫
(大田昌秀著「沖縄の決断」朝日新聞社刊)

◆参考:この情報に注目! http://www.kamiura.com/chuu18.htm

米軍が沖縄に上陸した時点で米軍の侵攻作戦には三つの分類があった。

①「解放者」 ⇒ 米軍 ⇒ 正義と民主主義の伝道者

②「侵略者」(沖縄侵略) ⇒ 日本軍 ⇒ 独裁・侵略国家の先鋒

③「被侵略者」 ⇒ 沖縄住民 ⇒ 残忍な日本軍の被害者

このような状況で“解放者”たる米軍が、“侵略者”たる日本軍について“被害者”たる沖縄住民に聞き取り調査をしたらどのようなことになるのか。

一方で交戦中の敵の作成した文書が今回新発見された米国国立公文書館の資料であると言うことを押さえながら、

他方で、現在存命中の照屋証言とも照合しつつ精査研究する必要が有る。

10月3日の沖縄タイムスが林関東学院大教授が見つけ出したという米国公文書館資料を報じた。

このような資料発見記事は沖縄タイムス、琉球新報も同時に取材したと思われるが、不可解なのは琉球新報の発表記事である。

新聞記事は一日、いや半日の遅れが記事の鮮度を半減させる。

仮にこの「新資料」が沖縄タイムスだけの特種だったとしても、沖縄戦に関する「新資料」であり琉球新報も「集団自決」については報道してきた経緯があるはずだ。

3日の朝刊は沖縄タイムスに出し抜かれたとしても、その日の夕刊かせめて翌4日の朝刊でフォロー記事を出すべきである。

それが4日の夕刊でもスルーして5日の朝刊に初めて大々的な記事にした。

更に不可思議なのは8月27日の産経新聞の「照屋証言」の記事である。

既に一ヶ月以上も経過しているのに地元二紙は一行もこれに触れていない。

参考エントリー:沖縄に住む事は「情報異空間」に住む事

ここで問題にしているのは「照屋証言」の内容の真偽を報じろと言うのではない。 「照屋証言」があったこと自体を報道しないのが不可解なのだ。

地元二紙は、現在ご存命中の重要証言者の勇気有る証言は全く無視して、海の向こうのかつての敵国の戦時プロパガンダの可能性を秘めた新資料は大々的に報道する。

自分のイデオロギーに合わない記事は封殺して、イデオロギーに合致した記事は大々的に報道する。

沖縄の地元二紙が偏向しているとよく言われてきたが、二紙ともこれには反発してきた。

だが、やはり偏向している。

語るに落ちた、・・・いや、報ずるに落ちたぞ沖縄メディア!

◆ 琉球新報

 慶留間集団死は「軍命」 関東学院大林教授が米公文書館で発見


 沖縄戦当時、慶良間諸島で発生した、家族や親せき同士で互いに命を絶つ「集団死」について、発生直後の島民が日本兵による軍命があったと証言している米国の公文書資料の存在がこのほど分かった。資料は米軍の第77師団砲兵隊による1945年4月3日付「慶良間列島作戦報告」で、関東学院大学(神奈川県)の林博史教授が米国立公文書館で発見した。
 資料には、慶留間の民間人が「日本兵は島民に対して、米軍が上陸してきたときには自決(commit suicide)せよと命じた(told)と繰り返し語っている」と記述されている。住民の集団死については、軍命の有無を争点とする訴訟も起きており、一石を投じる貴重な資料といえる。
 資料は林教授が8、9月に2週間かけた調査で、メリーランド州カレッジ・パークの米国立公文書館新館にある膨大な沖縄戦資料の中から発見した。
 資料によると、米軍は約100人の民間人を捕らえた慶留間で、男女に分けた2つの収容施設を設置。尋問された民間人たちは「3月21日」に、「日本兵(Japanese soldiers)が、慶留間の島民に対して、山中に隠れ、米軍が上陸してきたときには自決せよと命じたと繰り返えし語っている」と証言している。
 座間味島については、歩兵第77師団「アイスバーグ作戦 段階1 作戦報告 慶良間列島・慶伊瀬島」「軍政府」の項で、「集団死」の生存者に対し、医療従事者が治療を行ったことを記し、「一部の民間人は艦砲射撃や空襲によって傷ついたものだが、治療した負傷者の多くは自ら傷つけたもの(self-inflicted)である。明らかに、民間人たちは捕らわれないために自決するように指導(advised)されていた」と記述してある。
 林教授は本紙の取材に「島民たちが自決するように命令あるいは指導・誘導されていたことは、3月下旬の時点でも明確。米軍は事態を正確に認識していた」と解説した。
 慶良間諸島における集団死については、軍命の有無が争点となり、日本軍人遺族ら原告団が、軍命があったと記載した岩波書店と大江健三郎氏を訴えている。沖縄戦史を研究する石原昌家沖縄国際大学教授は「慶留間でも軍命があったとの証言を得ており、強制集団死事件を裏付ける公文書。強制集団死を殉国死とし、軍命はなかったとする原告側の言い分を否定する資料だ」とコメントした。

(10/5 10:19)

 

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滝川小自殺事件 「事件は現場でおきている!会議室ではない」

2006-10-06 08:23:34 | 教科書

滝川小6自殺 市長、教育長が謝罪 主張一変に高まる市民の不信感  2006/10/06 00:59

 【滝川】「いじめはあった」-。滝川市内の小学六年生の女子が昨年九月に、通っていた学校の教室で自殺を図り死亡した問題で、滝川市教委は五日、主張を一変させ、いじめがあったことを認めた。「認めるのが遅すぎた」「やはり隠そうとしたのでは」。一年もたった末の手のひらを返したような対応に、市民らの不信感は高まった。

  五日午後六時。田村弘・滝川市長と安西輝恭教育長は、滝川市内の遺族宅の玄関に立った。
 「申し訳ありませんでした」「すみませんでした」。出迎えた遺族の男性に何度も頭を下げ続けた。訪問時間は十分。沈痛な面持ちで焼香を終えた。

  謝罪後の記者会見では、「いじめが自殺の原因か」という記者の質問に、「恐らくそうではないかと思う」と安西教育長。対して、校長は「自殺の原因がすべていじめであるとは思えない」。見解は食い違った。 
 謝罪訪問に先駆けて開かれた、市議会の総務文教常任委員会でも、安西教育長は「遺族をはじめ、多くの市民に迷惑をかけた。心からおわび申し上げます」と深く頭を下げていた。千葉潤指導室長は「謝っても取り返しがつかない」と時折言葉を詰まらせた。

  だが、謝罪はあまりにも遅すぎた。市教委は昨年十月十二日には遺書二通の内容を把握したが、十一月の会見では「いじめの事実は把握できなかった」と発表。遺書七通の全容を把握した六月二十一日以降も「調査内容を分析して結論を出したい」とし、対応を遅らせ続けた。

  今月五日の記者会見では、二日に開かれた会見でいじめの存在を事実上認めていなかったのに、突然、主張を変えたことに質問が集中。安西教育長は「いろいろな意見をいただいたこともあり、総合的に判断した」と話し、世論に押されたうえでの方向転換であることを明かした。

  いじめであるかどうかの判断について、文部科学省は一九九五年の通知で「あくまでもいじめられている子どもの認識の問題である」としている。校長は会見で、この通知について「把握していた」と答えたものの、「女子から友人関係について相談を受けた時点でいじめだと認識していれば、自殺そのものが防げたのではないか」との質問には、沈黙を挟みながら「担任からは解決したと聞いていた。ただ、(いじめの判断の)共通認識が徹底されていなかったと言われればそうかもしれない」とうなだれた。
 市教委の対応に、市民の不信感は増した。女子と同じ地域に住む男性(41)は「認めるのが遅すぎた。いじめられている弱い立場に立つのが教育者。それができていなかったということだ」と吐き捨てるように言った。(北海道新聞)

今朝の、みのもんたの「朝ズバッ!」では遺族と遺影に謝罪する、滝川市市長、教育委員長、教育長、校長の映像を映し、みのもんたが声を荒立てて繰り返し教育委員会の責任を追及していた。

コメンテーターの荒俣宏氏が指摘していたが教育委員会の調査はあくまで書類審査だと言う。

仮に書類審査だとしても公開された「手紙」(教育委員会は遺書とは認めていなかった)を読めば普通の国語力があればいじめの存在に気が付いただろう。

事件は現場で起きているんだ! 会議室で起きているんじゃない!」

会議室で書類をたらい廻ししている間に一年も経ってしまったというのか。

過去にも起きたいじめの問題で、メディアが指摘しない問題が二つある。

先ず一つはテレビ等で弁解を述べるのは通常校長か教育委員会で現場の責任者である担任の先生の見解は全く見えてこない。

現場の実情を知らない校長や教育委員長の「・・・把握出来ていない」云々の弁解を聞いても何の解決にも繋がらない。

最終的責任者は市長、教育委員長であったとしても一義的責任者は現場責任者の担任教師だろう。

担任教師を蚊帳の外に置こうとするのは教員組合?

 

もう一つテレビへ注文。 テレビは権力・体制側とも言うべき教育委員会を悪役にして攻撃するのが一番手っ取り早いだろう。

だが、一番悪いのは苛めた子供達だ。 これに対して理屈は無い。

弱いものを集団で苛めることに弁解の余地は無いはずだ。 理屈ぬきで悪い!

「苛めに走らざるを得ない社会背景、家庭環境」なんてテレビコメンテーターの常套句も苛めの前では通用しない。

「何で人を殺してはいけないの」と聞かれたら返事に困って絶句したと言う教師の話を聞いて驚いた。

自信のある人は判りやすく説明すべきだが、説明できなきゃ絶句せずに「人殺しが悪いのに理屈は無い!」としかってやればよい。

みのもんたもテレビを通じて苛めた子供達に向かって大声で怒鳴って欲しかった。

「いじめは人間として最も恥ずべきことだ! 恥を知れ!」と。

子供達は、メディアが大人同士の責任だけを追及して自分達には責任追及の矛先が向かわないのを知って「社会が悪いのだ」と責任転嫁をする。

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12月に試合延期ってまさか大晦日じゃないよな

2006-10-05 10:49:20 | 県知事選

「亀田一家のドタバタ劇場」については誰でも同じ事を考えるもの。

亀田、ランダエタ戦の試合前に全てをお見通しの意見を述べていたテレビでおなじみ勝谷誠彦さんのブログ
勝谷誠彦の××な日々からの転載。 相変わらず胸がスカッとする。

 

2006/10/05 (木) 12月に試合延期ってまさか大晦日じゃないよな

(前段略)

 同じ事は「プロボクサー猿」についても言える。

驚きましたね。

テレビ朝日の番組がランダエタ選手に電話したら「えっ?試合は中止?」と驚いていたとは。

前回私はあの笑える試合の日のしかし試合の前にTBSの『ストリーム』で試合の結果云々よりそれ以前に人間としての礼儀を亀田選手は考えよと言った。

今回も全く同じことだ。わざわざ海の向こうから来てくれる対戦相手に中止を知らせずに発表するとはどういうことなのか。 穿って考えればそれほど「どうにでもなる」相手なのかねランダエタ氏は。

だったら結果だってどうにでもなるだろうよ。とんでもない闇がテレ朝の電話の向こうには隠れている気がする。

相手に事前に知らせていなかったのも言語道断だがなぜ中止の記者会見に亀田選手は出て来ない。

あれだけ好き放題にカメラの前でやって来たではないか。 生死にかかわる怪我でもなし傷を見せて頭を下げるのが礼儀だろう。

それをせずに御用新聞のデイリースポーツで独占会見をして傷がわからない写真を載せるとは。率直に謝れば好印象だったのになあ。

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沖縄の「集団自決」 米公文書に新資料

2006-10-05 07:51:20 | ★集団自決

◆2006年10月3日(火) 朝刊 1面  
 
米公文書に「軍命」慶良間・集団自決/発生直後の住民証言

関東学院大 林教授発見

 沖縄戦時下の慶良間諸島の「集団自決」をめぐり、米軍が上陸直後にまとめた資料に、日本兵が住民に「集団自決」を命令したことを示す記録があることが、二日までに分かった。関東学院大学の林博史教授が米国立公文書館で発見した。

記録は一九四五年四月三日付の「慶良間列島作戦報告」。
慶留間島の住民への尋問で「住民らは日本兵が米軍が上陸してきた時は自決せよと命じたと繰り返し語っている」と記述されている。

「集団自決」発生直後の記録として、住民への命令状況を伝える貴重な資料。林教授は「自決命令があったことは、既に三月下旬時点で島民たちによって語られていた。戦後創作されたものではない」と指摘。近年、「集団自決」の軍命を否定、沖縄戦の事実をゆがめようとする動きを批判した。(謝花直美)

 記録は、四五年四月三日付の米歩兵第七七師団砲兵隊による「慶良間列島作戦報告」。林教授が八、九月に渡米した際、入手した。

 報告では、慶留間の住民を男女別に収容し尋問した内容として「三月二十一日に、日本兵が慶留間の島民に対して山中に隠れ、米軍が上陸してきた時には自決せよと命じたと繰り返し語っている」と記述されている。

 また、座間味島については歩兵第七七師団「アイスバーグ作戦 段階1 作戦報告 慶良間列島・慶伊瀬島」で、座間味の「集団自決」の生存者に対し、医療スタッフが治療を施していることを記述。「一部の民間人は艦砲射撃や空襲によって傷ついたものだが、治療した負傷者の多くは自ら傷つけたものである。明らかに、民間人たちはとらわれないために自決するように指導されていた」と記録されている。

 林教授は、各島の間で「三月下旬の時点において、慶留間では日本兵が自決せよと命じていること、座間味でも島民たちが自決するように指導されていたことが保護された島民たちの証言で示されている」と解説する。

 その上で「日本軍ならびに行政・教育を含めて、島民たちは自決するように命令あるいは指導・誘導されていたことは、この三月下旬時点でも明確であった。米軍は事態を正確に認識していたといえる。自決するように命令あるいは指導されていたことが当時から認識されていたことを裏付ける資料といえる」と指摘している。

 慶良間諸島の「集団自決」 海上特攻の任務を帯びた海上挺身隊各隊が駐屯した慶良間諸島では、1945年3月23日から米軍の空襲、艦砲射撃が続いた。米軍が26日に慶留間、座間味、27日に渡嘉敷に上陸すると、「集団自決」が発生。渡嘉敷島329人、座間味島177人、慶留間島53人が犠牲となった。


 沖縄渡嘉敷島の「集団自決」について「軍命令は創作だった」という元琉球政府の照屋さん決定的証言を報じた8月27日の産経新聞の報道以来、「集団自決」を最初に報じた沖縄タイムスはこの証言には一切の反論等の記事は無く黙したままだった。

「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決


今年になってからからも、月に四回前後の特集記事を掲載していたが、照屋証言以来「集団自決」関連記事はほとんど見られなくなっていた。

ところが昨日の沖縄タイムスネットニュースによると、関東学院大学・林教授が、沖縄戦時下の慶良間諸島で、日本兵が住民に「集団自決」を命令したことを示す記録の資料を米国立公文書館で発見したという。

林教授は元々「軍命による集団自決」肯定派で、ホームページ等で沖縄戦における「日本軍の悪行」を追及する論文を書いていた。(「集団自決」の再検討http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper11.htm)

ところが最近では状況利あらずと判断したのか、左派学者によくあるすり替え理論で「軍命令の有るなしは問題ではない」といった路線変更を図っていた。

◆沖縄タイムス<2005年7月4日 朝刊24面>

[「集団自決」を考える](20)
識者に聞く(3)
林博史関東学院大教授


命令有無こだわり不要
前提に「逆らえない体制」

 ―「集団自決」に至る背景をどうとらえますか。

 「直接誰が命令したかは、それほど大きな問題ではない。住民は『米軍の捕虜になるな』という命令を軍や行政から受けていた。追い詰められ、逃げ場がないなら死ぬしかない、と徹底されている。日本という国家のシステムが、全体として住民にそう思い込ませていた。それを抜きにして、『集団自決』は理解できない。部隊長の直接命令の有無にこだわり、『集団自決』に軍の強要がないと結論付ける見解があるが、乱暴な手法だろう」

 ―沖縄戦で住民が置かれた社会状況や支配の構図は。

 「軍人がいると住民は投降できない。投降できないとしたら、壕に隠れていて、攻撃されるしかない。あるいは、軍人がいなくても在郷軍人など軍の意思をたたき込まれた者が『集団自決』の口火を切る

 「沖縄のような島では、逃げ場がなく、教育も徹底している。役場も軍も、そこから言われたことはお上の『命令』である。村の幹部らが『集団自決』を主導したとしても、幹部自体が国家の末端だから、『村が勝手にやった』とはいえない。軍の免罪にはならない。個々の軍命令かどうかは、必ずしも重要ではなく、住民が追いつめられ、『自決』しかないと思い込ませる状況をつくったのは軍を含めた国家だということが前提になる」

 ―軍民雑居や皇民化教育といった影響が大きいと。

 「軍がいなかった島では『集団自決』はほとんど起きていない。移民帰りの人だけでなく、戦争に疑問を持つ人、民間人が戦争で犠牲になることはない、と素直に考える人はいた。地域のリーダーらが、『死なないで生きよう』と言える状況にあったかどうか。軍が居ればまず言えない。慶良間のように小さな島では、なおさらだ」

 ―沖縄戦に先立ち、サイパンでも「集団自決」で多くの住民が犠牲になった。

 「サイパンも沖縄と同じ孤立した環境にあり、『米軍はひどいことをする』と事前に恐怖心が植えつけられていた。捕まりそうになったら『自決』するしかないと思わされていた。沖縄では、民家に滞在していた軍人から、日本軍の中国戦線での蛮行が伝わり、米軍はもっとひどいと伝わっていた。テニアン、フィリピン、沖縄と太平洋戦争の日本軍の敗北の過程で、軍と住民が一緒にいた地域で共通に起きた現象だ

 ―国から援護を受けるため、軍命による「集団自決」が強調された、との主張について。

 「戦傷病者戦没者遺族等援護法(援護法)は、軍に協力した者にしか適用されない。軍に食糧を強奪されても『食糧提供』、壕から追い出されても『壕提供』と申請しなければならない。戦闘協力者しか救済しようとしないので、『集団自決』でも軍命令と言わないと、援護の対象としないという考え方だった。政府がそう言うように誘導している。国が始めた戦争を十分に反省しないで、被害者に被害者としてきちっと償わない政府の政策自体が問題であると言わなければならない(社会部・澄川卓也)

 はやし・ひろふみ 関東学院大教授(現代史)。1955年生まれ。書著に「沖縄戦と民衆」「裁かれた戦争犯罪」など。

林先生、状況不利な折、一発逆転ホームランを狙ったのか米国立資料館から何か当時の住民の証言資料を見つけ出してきたと言うのだ。

詳しい内容は不明だが、沖縄占領当時沖縄を永久占拠をたくらんでいた米軍が、当時の沖縄県民を日本人とは別種の異民族の琉球人と捉え、明治期に武力で植民地化された沖縄を解放したという「日本・沖縄分離策」を考えていたことは良く知られたことで、そういった状況で米軍がどのような「非日本人の証言」を収集していたかは別の意味でも興味がある。

林教授も沖縄タイムスも米国立公文書館という、いかにも権威ありといった名前の資料で鬼の首を取ったような気持ちだろうが、アメリカ軍は敵であり日本軍は既に壊滅している状況で、日本との分離を目論んで宣撫するアメリカ軍に対する証言がどのようなものだったか、いずれにせよ貴重な歴史資料である事だけは間違いない。

「富田メモ」のように一部公開ではなく、早目に全部公開して欲しいものだ。

それにしても沖縄タイムス一緒になって「集団自決」を騒ぎ立てていた琉球新報が林教授の資料について一言も触れていないのはどういうつもりだろう。

もう勘弁して欲しいとでも言うのだろうか。

 

【追記】8:08

上記琉球新報には昨日の夕刊の時点では一言も触れていなかったが、今朝(8月5日)朝刊にはデカデカトしかも詳細が掲載されている。

これについては追ってエントリーしたい。

 

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“迎撃ミサイル”を“ミサイル”と煽るNHK沖縄

2006-10-04 11:38:00 | 普天間移設

「ミサイル持込は恐怖だ!」 地対空誘導弾パトリオットの沖縄持込へ対する、地元テレビの「町の声」である。

 「オイ、オイ、ミサイルではなくミサイルへ防衛の迎撃ミサイルだろう!」と突っ込みを入れてもテレビは何も答えず米軍輸送トラックのオドロオドロしい画面を放映している。

チャンネルをNHKのローカルニュースに切り替えても同じニュースを延々と流している。

確か昨夜の午後9時前のNHKニュースだったが、アナウンサーは「沖縄へのミサイル持込」と少なくとも4回ほど連呼した。

何も知らないか、知らない振りをした「市民」の「町の声」ならともかく、天下のNHKがニュース報道で「ミサイル持ち込み」と明らかな誤報で「町の恐怖」を煽っている。

沖縄のメディアは新聞はもとより地元テレビからNHKに至るまでイデオロギーで固まってしまっている。

イデオロギーのかたまりと言えば、東門沖縄市長が待ってましたばかり「絶対反対!」と咆哮した。

このお方北朝鮮のミサイル乱射時にはコメントを求められても「ノーコメント」で引っ込んでしまい静かにしていたが、迎撃ミサイル・パトリオット導入が噂されるや俄然騒ぎ出した。

「例え迎撃ミサイルで撃ち落としてもその破片が危険だ」と訳のわからないことを言って失笑を買うようなお方だ。

沖縄タイムス 2006年10月2日(月) 夕刊 5面

闇夜突く「大行軍」/市民、警備の薄さに驚きも

 米軍の地対空誘導弾パトリオット(PAC3)装備品を積んだ大型軍用車両四十二台が「大行軍」した二日未明の国道58号。

静まり返った街に突如現れたトラックの巨大な姿とエンジン音は、「基地沖縄」のさらなる負担増を告げた。

「戦争が忍び寄っている」「異常事態だ」。闇夜を裂いてひた走る姿に、市民は不安の目を向けた。(略)  

説明なき搬入 首長反発/「基地強化」「住民不安」沖縄市・嘉手納町

 【中部】米軍が二日未明に地対空誘導弾パトリオットミサイル装備品を嘉手納基地に搬入したことに対し、同基地周辺の自治体首長らは「事前連絡がなく住民の不安は高まっている」「基地強化であり、配備には反対だ」と述べるなど、反発を強めた。

 東門美津子沖縄市長は同日午前に那覇防衛施設局などへの抗議行動を開始。「事前の説明がない中で輸送が強行された。沖縄市域に配備するとの報道があるが、いまだ国からは何の連絡もない。強く抗議する」と語気を強めた。(略)  

東門市長抗議「地元無視だ」/施設局・外務省に  

米軍地対空誘導弾パトリオット(PAC3)の沖縄配備に向け米軍が装備品などを二日未明に米軍嘉手納基地に搬送した問題で、沖縄市の東門美津子市長は同日午前、那覇防衛施設局に佐藤勉局長を訪ね、あらためてミサイル配備に抗議した。

同市長は「なぜ私たちに一報もないのか。地元無視だ」と訴え、地元の頭越しに進む米軍の部隊配備に反発した。

これに対し、佐藤局長は「配備は沖縄の皆さまの生命、財産を守るもの。生活環境に影響を与えるものではない」と述べ理解を求めた。

また、装備搬入については「私どもが承知しているより入港が早くなった。(事前説明)できなかったことは申し訳ない」と陳謝した。  沖縄市域といわれるミサイル配備地点について同局長は、「米側から明確な返答を得ていない」とした。

  東門市長はその後、外務省沖縄事務所で重家俊範沖縄担当大使にも同様に抗議。重家大使は「PAC3は防御システムであると理解している。騒音など、新たな迷惑を掛けることはないと思う」と語った。

  同市長は同日午後に在沖米総領事にも同様に抗議する。

東門市長が得意満面に「迎撃ミサイル」を攻撃している時、北の将軍様はミサイル乱射では物足りず、今度は核実験を行うと発表した。

北朝鮮「核実験行う」

予告声明 日時、場所は触れず

 【ソウル=中村清】朝鮮中央通信によると、北朝鮮外務省は3日、声明を発表し、米ブッシュ政権の敵視政策が「極限点を超えた」として、「科学研究部門で今後、安全性が徹底的に保証された核実験を行うことになる」と表明した。北朝鮮が核実験実施に具体的に言及したのは初めて。実験の具体的な日時や場所などについては一切触れていない。(略)  東京新聞2006年10月4日

ミサイルでさえ制御不可で途中で分解してしまうようなお粗末な技術で核実験を行われては「お隣さん」のやることだと笑って済ませるものではない。

東門さんも迎撃に成功した場合の破片を心配するより、将軍様の何処に飛び火するかわからない核実験を心配し抗議するほうが先だと思いますが、・・・やはり核実験にはノーコメントですか。

◆沖縄メディアの報道を見ると沖縄に住んでいても島ぐるみで全県民がパトリオット反対で抗議しているような印象を受ける。

だが、2日の琉球新報コラムが珍しく沖縄の現実を、盾(迎撃ミサイル)と矛(ミサイル)に例えて正直に語っていた。

 琉球新報 金口木舌 

「ミサイルの脅威がある以上、迎撃ミサイルの配備はやむを得ない」と沖縄市の議員。別の市民は「戦争への動き」と危惧(きぐ)した。嘉手納基地へのパトリオット配備に周辺住民は不安に揺れる ▼米軍基地あるが故に、ミサイルが飛来する脅威がある。だから基地をなくせという基地脅威論と、ミサイル飛来に迎撃ミサイルで対抗せよという現実論。卵が先かニワトリが先かの、堂々巡りの議論に落ち込む ▼冷戦下、米ソは果てしなき核軍拡競争により途方もない数の核ミサイルを増産し、「地球を数100回も死滅できる」とさえ言われた。核の均衡が平和を保つという“核均衡論”がまかり通った狂気の時代だ ▼人工衛星から敵ミサイルを迎撃するスターウォーズ計画から、現在の地上配備によるミサイル防衛計画へ。米国は日本を巻き込み、敵ミサイル迎撃体制づくりに突き進む ▼だが、このミサイル防衛計画に対しては、迎撃体制を突き破る攻撃ミサイルの開発など「核軍拡競争の新たな火種になりかねない」という批判もある ▼パトリオットという“盾”に守られた在沖基地は、他国に向かう“矛”の脅威を増す。他国にとっての在沖基地の脅威が、沖縄への新たな脅威を招くことにならないか。“矛盾”の中に県民は暮らす。 (10/2 9:56)

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いつまで続くぬかるみぞ 「亀田ファミリードタバタ劇場」

2006-10-04 07:01:32 | 県知事選

 「え? 亀田の怪我で試合延期だって?」

「うっそー!」

この「うっそー」には虚偽の意味での「うそー」も幾分含まれる。

大事な試合を延期するような怪我に嘘はないと思うのが普通の感覚。

スパーリング中に亀田本人の“不注意”によりまぶたに8針を縫う怪我をしたという。

普通より顔面が出るオープンスペースのヘッドギヤで練習していたというのだ。

だが、TBS、協栄ジム金平会長をも含む「亀田ファミリー」の一連の騒動劇を見ると、人間にとって「信用」が如何に大事かを改めて思い知らされる。

もって生まれた人相だから仕方が無いが、試合延期を発表する金平会長の面構えは悪代官か越後屋の顔だ。

それに、今までの亀田のビッグマウス振りから言って、延期発表の席に本人が出ていないのは不可解だ。 

もうひとつ不思議なのは、試合延期は試合相手であるランダエタに真っ先に伝えて了解を得るのが常識だろう。

だが、今朝のテレビ朝日「スーパーモーニング」でランダエタに電話取材している映像を流したが、驚いたことに当事者のランダエタは試合延期を知らされていなかった。

電話取材で初めて知ったという。

亀田側は12月中旬以降の年内決着を強く希望している。

いつまで続く「亀田ドタバタ劇場」。

配役は亀田ファミリーを中心に金平会長等役者は揃っている。 

いやもう一人、悪大名役のTBSかいた。

世間の猛烈なバッシングを受けてTBS社長は「「亀田興毅の試合を大晦日に放送する予定がない」と答えていた。

その二日後に亀田興毅がうまい具合に試合延期せねばならにような怪我をした。

前の予定通り大晦日に試合を決行すれば、TBS、金平・協栄と亀田一家の利害は一致する。

9月27日か28日の夜。

都内某所で密会する二人の男の影。

「やはり怪我をしてもらおう。」

「延期になった方がお殿様(TBS)もお喜びだろう。」

「試合は12月中旬から下旬にかけてやると言っとけば、自動的に大晦日試合になる。」

「怪我の回復具合を調整すれば大晦日決行でピッタリだ!」

「殿もお喜びだろう」

「ウッフッフ」

「代官様もワルですね」

「そういうお前ももっとワルじゃ」

「ケッケッケ!」

「いやお殿様の方が本当のワルでしょう。」

(その夜の配役はどちらが悪代官で、どちらが越後屋だったかは不明)

Photo<亀田興毅>ランダエタ戦延期 左まぶた8針縫うけがが理由
 世界ボクシング協会(WBA)ライトフライ級王者、亀田興毅(19)が所属する協栄ジムは2日、記者会見を開き、亀田が18日に東京・有明コロシアムで同級1位、フアン・ランダエタ(27)と再戦する初防衛戦を延期することを発表した。亀田が練習中に左まぶたを8針縫うけがをしたためで、同ジムは新たな試合日を12月中旬から下旬とする方向で調整している。(毎日新聞)
[記事全文]
                      ◇

亀田一家については人気絶頂のころから何度か当日記でも取り上げたが、弟大毅の先日の試合の頃からバカバカしくなってスルーしていたが、肝心の試合はともかく場外乱闘が面白かったらしい。

亀田パパも試合後の「歌謡ショー」が中止になったので、プロレスの場外乱闘 をマネて人気回復を図ったのだろうか。

もうそろそろ勘弁してよ!

亀父醜態…日本ボクシング界に泥、逆風加速

弟・和毅らに抱えられ引き上げる傷心の大毅。対戦相手は「20歳で終わり」とダメ出し
弟・和毅らに抱えられ引き上げる傷心の大毅。対戦相手は「20歳で終わり」とダメ出し
 プロボクシング亀田3兄弟の二男・大毅(17=協栄)が27日のプロ第6戦で、世界ランク21位を相手に血まみれで薄氷の判定勝ち。試合後は亀田の父・史郎トレーナー(41)がヤジを飛ばした観客とあわや乱闘の事態となった。加速する亀田家バッシング。ファミリーの明日はどっちだ?

 WBA(世界ボクシング協会)東京総会を記念した、いわば御前試合。ヒルベルト・メンドサ会長ら要人の眼前で、日本ボクシング界に泥を塗る乱闘劇が繰り広げられた。

 大毅が勝利インタビューを受けている最中、「八百長!」「そこまでして勝ちたいか」とヤジを飛ばした一団と、これに激高した亀田ファンの一部が殴り合いを始めた。怒声や女性の悲鳴が飛び交い、「親父、じゃまだ」「負けてるだろうが」と止まない罵声に史郎氏もブチ切れ。アンチ亀田の集団に向かって突進したが、関係者が必死に羽交い締めで抑え、騒動は数分で収束した。

乱闘の輪に加わろうとする史郎氏。制止されなきゃどうなってた?
乱闘の輪に加わろうとする史郎氏。制止されなきゃどうなってた?
 8月に長男・興毅(19)がファン・ランダエタ(27=ベネズエラ)を“疑惑判定”で下し王座に就いた世界戦に続き、後味の悪さが残った。

 会場の一角に陣取ったアンチ亀田派を黙らせるためにもすっきり勝ちたかった試合。しかし、大毅はWBA世界スーパーフライ級21位のバレリオ・サンチェス(36)の老かいなテクニックに翻弄された。3回には鼻血を垂らし、6回には右目上を切って流血。結局8ラウンドで決着せず、日本人3人が務めたジャッジによる判定は、引き分け1人、2人が1ポイント差で大毅は2-0の判定勝ちとなった。

 初めて戦う世界ランカーに苦戦し、お得意の歌謡ショーもお預け。それでも満身創痍の“浪速乃弁慶”は「鼻血には慣れている。相手は強かったな。でも、ええ試合ができたよ。キャリア5、6戦でここまでできて自信になった」と強がった。

 小差の判定に亀田サイドは激怒。協栄ジムの金平桂一郎会長(40)は「大毅に辛すぎる。亀田バッシングの弊害が(ジャッジに)出た」と渋い表情で語り、史郎氏は「好き嫌いで判定をつけられたらたまらん! こういうジャッジをするから、観客も調子に乗ってヤジを飛ばすんや」とまくし立てた。

 一方、敗れたサンチェスは「絶対に私が勝ったと思った。彼はみんなが思うほど力強くなかった。この内容じゃ、20歳で終わり」とダメ出し。

 さらにこの日、物議を醸した興毅の世界戦について、WBA総会でルイス・パボン審判委員長が「試合のビデオを見た。私自身の採点では亀田が3ポイント差で負けていた」と疑問を呈した。

 興毅は10月18日、ランダエタと因縁の再戦を迎える。亀田家への逆風を止めるには、「絶対KOして防衛する」という公約を実現するしかない。

ZAKZAK 2006/09/28

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「博士の独り言」が復活!

2006-10-03 10:47:05 | 県知事選

9月日29日の当日記

言論弾圧は別の方面にあった 「消えた博士」 

で取り上げた人気ブログ「博士の独り言」が昨日付けで復活した。 

当日記のような小さなブログが出来ることは、

「博士の独り言」の今後の活躍を見守って、何か不審な動きがあればこれを当日記で取り上げる程度しか応援できないが、とにかく元気でがんばって欲しい。

以下に「博士の独り言」http://specialnotes.blog77.fc2.com/よりの挨拶文を転載。

【再始動ご挨拶】

 この度は、原版消失に遭い、また、一身上の危惧もあり、退避しておりましたが、「博士の独り言」連絡帳、「博士のランダムノート」BBSを通じ、みなさまより心温まるエールと貴重なアドバイスの数々を頂戴いたし、大変に心強く感謝いたします。

 ----------  およそ賊の閲覧もあり、手の内を見せることになりかねないため、また、法的対応を視野に入れておりますので、BBS等には事の詳細を未だ披瀝いたしませんが、読者の方々のご指摘のとおり、先の消滅は、第三者の手でパスワード盗用による消去という経過が判ってまいりました。

  事件は、一記事の記述に対する行為というよりは、記事を蓄積して来た拙ブログの存在そのもに対する行為と判断しております。

  正直な心境を申し述べることをご容赦いただきたいのですが、予兆はあったものの、この度の消失は、小輩にとって途方も無い痛手となりました。自身の生活時間を削り、寝食を削る思いで171日間続けて書き綴った記事365編です

一時に消失することの辛さには形容し難いものあります。  その第三者が何者であるかは、調査・捜査の過程にありますので、現時点での言及は回避したく考えます。読者有志からは、一部のブログ様において、当ブログの消滅事件を題材に記事連載をされた様子をお知らせいただき、実際に拝見いたしました。

  あくまでも力強いご支援、ご好意による掲連載と感謝いたします。しかし、どうしても憶測が先走りし、実際とは異なる方向に論議が広がり、ご支援をいただく有志がかえって危険に晒される可能性も否定できないと感じ、自身の再始動を早めた次第です。

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トイレの哲人 (続・哀しきオヤジギャグ)

2006-10-03 07:28:12 | 県知事選

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前に書いた「哀しきオヤジギャグ」よりの抜粋です。

≪◆昔感銘した哲学者・「トイレの哲人」の言葉を想いだす。

当時私は大学生だった。
   
必要に迫られて大学のトイレに入った。

しゃがんだ真正面の落書きを見て驚き感銘した。

 
そして、自分も束の間の哲学者になった。

  「七つ八つ 音はすれども 空吹きの

       実の一つだに 出ぬぞ悲しき」

これほど作者の心情を赤裸々に吐露した名歌を私は知らない。

そして次のような感想歎が添えてあった。

  「トイレとは思考(シッコ)し空想(クソ)する
   場所なり」   
                 

私はこの天才的歌人にして哲学者である人物の尊顔を見たく思い、学校の掲示板で作者を捜し求めたが・・・・・・

結局、読み人知らずに終わった。

私はこの作者を密かに「トイレの哲人」と尊称した。≫哀しきオヤジギャグ

 

◆人はトイレに入ると「考える人」、或いは「哲学者」になるという。

沖縄ではトイレに行くことを「ムヌカンゲー」しに行くと言うくらいだ。

「ムカンゲー」とはそのまま「物考え」と書けば自ずとその意味はわかる。

人は自分の分身が己の身から離れ落ちる瞬間頭の考えが閃くらしい。

トイレで新発見をしたという話を良く聞くがトイレから出た瞬間それが単なる「空想(クソ」だったことがわかる。 トイレでケツ別したた我が分身を「新陳代謝の結末」という哲人もいる。

だが、冒頭に引用したようにトイレの落書きに己の英知の結晶を書き連ねる哲人が存在するのは事実だ。

あえてトイレに落書きをするのは、トイレを出てしまったら何もかも忘れてしまうのだろう。 

色即是空の境地か。

色といって世俗のイロ事ではなく、人生の煩悩全て(空想も含めて)を色で表す。

◆ある男、トイレで小用を足そうとしたら、
目の前に張り紙がある。

「一歩前。
君のはそんなに、長くはない。」 

【追記】08:35

「一歩」の一言で空想が宇宙を一飛びして月面まで行ってしまった。

アポロ11号アームストロングが月面に足を踏み入れたときに発した有名な言葉を思い出してしまった。

検索でその有名な言葉を見つけた!

"That's one small step for man,
one giant leap for a toilet-cleaner."

“小さな一歩ですが
トイレ清掃人にとっての偉大なる飛躍です”


失礼!実際のアームストロング船長の言葉は次の通りでした。

"That's one small step for man,
one giant leap for mankind."

“小さな一歩ですが
人類の偉大なる飛躍です”

 
◆これもある公衆トイレでのおなじみ?の話。
しゃがんでフンばっていると、
目の前に、

「右を見よ」と落書きがある。

右を見ると、

「左を見よ」

左を見ると、

「便所の中でキョロキョロするな。」 

さすがにこの哲人も「上を見よ」迄は書けなかったようだ。

しゃがんだまま上を仰いだら、

「しゃがんだまま上を仰ぐのはきついだろう。ゴクロウさん。」

・・・とでも書いてあったらケツ作だが、最近のデパート等の公衆トイレでは、天井の落書きは不可能だろう。 それでもと強行したらって? 

掃除のおばさんに見つかって、不審者として通報されるのがオチだ。

     

◆これも公衆トイレでの話し。

用を済ましてふと見ると、
トイレットペーパーが切れている。

ポケットを探ってもティッシュの持ち合わせがない。

切羽詰まったところで紙の、・・・じゃない、神の声を聞いた。

壁の落書きいわく。

「汝、カミに見放されし時、ウンは自らの手でツカミ取れ!」 

うーん、ウンチク、・・・じゃなく、ガンチクがある!

だが、哲人は一人だけはなかった。

もうひとつの落書き。

「たとえカミに見放されてもうろたえるな! そのまま乾くまで待て!

 人生は長い!」

◆トイレの落書きの主をトイレの哲人と尊称しているが、必ずしも落書きでなくともトイレで哲人がふと呟いた一言が口伝となって語り継がれた例もある。

長い間便秘に悩んでいた男。

やっと便りがありそうになってトイレでフン張っていたところで隣が火事の模様。

火の手は激しくトイレまで類焼しそうだが、目下快調に1週間分の納税中。

やっと出かかったモノだ!

途中で止める訳には行かない。

隣から「便所が火事だー!」の声。

火事で逃げるには「フン切り」がつかない。

男はしゃがんだまま唸った。

こうなったら「ヤケクソ・・・だ!」 

 

◆ヤケたクソはどんな匂いがするのだろう。

匂いと言えば、日曜日(10月1日)の琉球新報の住宅の広告に、宣伝商品とは全く関係のない面白い広告があった。

≪尻(ちび)のあくび

沖縄では屁のことを、

尻(ちび)のあくびとか、

歯無(ハーモー)ラッパと表現する。≫

≪屁のくささは、

幽霊も悪霊も苦手だってさ

   (略)

でも、これだけは、いくら知っていても、

すぐに出すことは出来ないよね。≫

これが住宅の宣伝だから面白い。

 

◆≪すぐに屁を出すことは出来ない≫というが、世の中には変わった人がいるもの。

今度は屁を自由自在に操る男の話。

この男いつでも自由に屁をひることが出来るようになったので、調子に乗って、屁で音階、つまり♪ドレミ♪を奏でる荒業に挑戦した。

努力と訓練の結果何とかドとレまでは成功したが次のミが中々難しい。l

やっと成功したので会社の宴会で余興に社長の前でこの芸を披露することになった。

無事ド・レまで来たがいつものようにミで詰まってしまった。

「社長の前だ、絶対成功させよう」 

思い切って気張ったら「ミ」は出ないで「実」が出てしまった。

その後のこの男のウン命はって?

その後理由不明で左遷されたと言うが、何で左遷されたかミに覚えが無いと言い張っているそうだ。   

最後は上品に決めてみよう。

あるトイレの小用便器の前に張ってあった歌。

心して 支えて振れよ

棹しずく

傍に散らすな  朝顔の露

 
【蛇足】

引用した哲人達の箴言の数々は全て「詠み人知らず」故、著作権は発生していないものと解釈します。

 

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日中首脳会談実現!? 「小泉前首相の置き土産」

2006-10-02 07:43:41 | 県知事選

安倍首相、8日に訪中=胡主席らと首脳会談-9日には訪韓も  

日中両政府は1日、安倍晋三首相が8、9両日に中国を訪問することで基本合意した。
北京で胡錦濤国家主席と温家宝首相と会談する。複数の日中関係筋が明らかにした。一方、別の外交筋によると、安倍首相は訪中後、9日に韓国も訪問し、盧武鉉大統領と会談する方向で最終調整している。
 日本の首相が、北京を訪れて首脳会談を行うのは、小泉純一郎前首相の2001年10月以来で、首脳の相互訪問は5年ぶりに再開されることになった。また、日中首脳会談は昨年4月にジャカルタで行われて以来だ。
 (時事通信) - 10月2日1時1分更新


政府関係者は首脳会談の最終決定は「ボールはすでに相手の手にある」と説明している。

 だが、中国は日本がボールを投げる前に、既に首脳会談開催のブロックサインを日本側に送っていた。 

日本メディアがこれを見逃していただけだ。

中国の首脳会談実現への最初のサインは既に、ヘルシンキでの国際会議で小泉前首相には送られていた。

日本のメディアが小泉首相は温家宝首相とは立ち話程度で、「接触は無かった」と冷ややかに報じたが、中国側は報道部が撮った「両首脳の笑顔の握手写真」を「アジア欧州国際会議」のホームページに掲載するよう要請していたのだ。

 Asem

このいきさつ当日記「接触はしていないはずなのになのに日中首相の握手写真」で詳しく書いた。


「接触はしていない」はずなのに日中首相の握手写真?


日本のメディアは読めなかったようで「(小泉首相が)あいさつにこられたので、立ち話をしただけ。 接触は無い」と冷ややかのコメントを報道していた。

この裏に中国側が贈った第一のサインが潜んでいた。

第二のサインは反日運動のメッカとも言われる「南京大虐殺記念館」の展示物の変化だ。( http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/tyousa01/nanking5.htm)

昨日のフジテレビ「報道2001」で武村健一さんが紹介した、雑誌「諸君」の最新号によると、これまでの「日本軍の悪行」を糾弾する数々の展示物を引っ込めて、代わりに日本と中国の歴代首脳が握手する写真が展示されていると言う。

 その「歴代首脳の握手写真」の最新の写真は、なんと、 問題の「小泉首相と温家宝首相」だと言うのだ!

「靖国問題は外交カードにしてはいけない」という小泉前首相の信念が勝ったのだ。

靖国問題で振り上げた拳をそっと下ろそうとしている中国。

これは安倍に託した「小泉の置き土産」ともいえるだろう。

★追記:08:10

「アジア外交が心配だ」と悲観論丸出しだった朝日の面目丸潰れ。

もうこれ以上騒がないほうがいいと思うよ。 中国が困っているよ。


朝日社説9/27:安倍内閣発足 果たしてどこへ行く

(前段省略)

 ●アジア外交が心配だ
 アジア外交の立て直しは、小泉政権から引き継いだ最大の懸案だ。首相も中国などとの関係修復に意欲を示している。だが、この人事を見る限り、果たして本気なのかと疑いたくなる。
 安倍氏は、歴史認識や靖国神社問題であいまいな発言を続けている。私たちはこの姿勢を批判してきた。国内はもとより中国、韓国などアジア諸国が納得するのは難しいと考えるからだ。最近、ワシントン・ポスト紙が社説で批判したように、欧米でも反発を呼びつつある。
 この安倍氏の立場を強力に後押しするのが中川昭一政調会長である。就任後の記者会見で「ぴしっと整理されている。私も同じ考えだ」と歩調をあわせた。
 中川氏は97年、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を旗揚げして会長になった。この時、事務局長として支えたのが安倍氏である。
 この会は、植民地支配や侵略の過去を率直に認めることを「自虐史観」と批判し、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書採択を働きかけてきた。議員の会からは高市早苗氏が沖縄・北方相に、事務局次長だった下村博文氏が官房副長官に、山谷えり子氏は教育再生担当の首相補佐官にそれぞれ起用された。

●謙虚な政権運営を
 下村氏は最近、安倍氏が官邸主導で設置を検討している教育再生会議のテーマのひとつとして「自虐史観の歴史教科書はやめさせる」と語った。
 山谷氏は歴史教科書について「いまだにレーニンの言葉を守っているんでしょうか、自虐的な内容の教科書をつくっている」と述べている。
 それが、安倍氏のいう教育再生の方向性なのだろうか。教育内容への過剰な政治介入は事態を混乱させるばかりだ。
 安倍氏への世論の支持は確かに高い。
 だが、近隣国とのまともな関係づくりや、教育をめぐる問題の解決を切望する声もそこには含まれている。そのことをかみ締め、謙虚に政権運営に当たってもらわなければ困る。
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