🌸2度も流罪に処された日蓮の日蓮宗3
⛳日蓮6人の弟子たちと、その後
☆日蓮は亡くなる際に、日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持の6人を
☆日蓮は亡くなる際に、日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持の6人を
*直接の弟子と定め、後事を託し、彼らは「六老僧」と呼ばれる
*身延に墓所を作り、そこに身延山久遠寺を建立した
*六老僧は、順番でその墓守にあたることになっていたが
*日興にもっばらその役割が負わされた
☆地頭の波木井氏と不和になった日興
*富士に移り、そこに大石寺を建てる
*日興の系統を引く門流は「富士門流(興門派)」と呼ばれる
*日興の系統を引く門流は「富士門流(興門派)」と呼ばれる
*他の老僧の後を継ぐ形でいくつかの問流が形成されていく
☆門流のあいだでは日蓮の教えに対する理解で隔たりがあり
*大きく「勝劣派」と「一致派」に分かれた
☆鎌倉の比企谷妙本寺を拠点とした一致派が日蓮宗の主流派を形成する
*勝劣派の富士門流は、
*宗祖日蓮を崇拝の対象とする「日蓮本仏論」を唱え
*さらにいくつもの門流に分裂していく
☆日朗の門流のなかで、布教の面で大きな功績をあげたのが日像
☆日朗の門流のなかで、布教の面で大きな功績をあげたのが日像
*日像は、最初は日朗に師事し、その後日蓮の直弟子になった
*日蓮の死後に京都へ出て、そこで布教活動を展開する
*京都は比叡山延暦寺のおひざ元、日像はその圧迫を受けた
(3度も院宣によって京都から追放される)
*日像は、今小路に妙顕寺を創建する
(3度も院宣によって京都から追放される)
*日像は、今小路に妙顕寺を創建する
*妙顕寺を拠点に、日蓮の教えは近畿、北陸、西国、奥羽へと広がる
☆現代でも使われる用語に「不惜身命」がある
☆現代でも使われる用語に「不惜身命」がある
*危険を冒してまで布教に自らのすべてを賭ける人間が輩出されていった
*その代表が室町時代の日親である
*その代表が室町時代の日親である
*拷問を受けた際に、焼けた鍋をかぶったまま説法を行った伝説ある
*日親は、「不受不施」の考え方を説き、それを実践した
*日親は、日蓮の教えに立ち戻るため
*日親は、「不受不施」の考え方を説き、それを実践した
*日親は、日蓮の教えに立ち戻るため
*他の宗派の信者からは布施を受けず
*供養もしないという不受不施の立場をとった
*これが後に不受不施派を生むことにつながっていく
*不受不施派は、江戸時代に厳しく弾圧される
⛳庶民層に広がった日蓮信仰
☆京都に進出した日蓮宗は、公家や武家のあいだにも広まっていく
*その信仰は町人や農民などの庶民層にも広がる
☆題目が武器になった
*「南無妙法蓮華経」の題目を唱えれば
*現世において利益がもたらされる信仰が
*京都の町衆のこころをつかんだ
☆日蓮宗の信徒による一揆は、「天文法華の乱」で敗れ
☆日蓮宗の信徒による一揆は、「天文法華の乱」で敗れ
*信徒は追放されて、6年にわたって日蓮宗の信仰が禁教となる
*その後許され、復興が進んでいった
*その後許され、復興が進んでいった
☆織田信長の安土城下において
*日蓮宗と浄土宗とのあいだで法論が戦わされ
*日蓮宗はこの法論に敗れる
☆江戸時代に入ると、日蓮宗のなかには
*比叡山が焼き討ちにされた結果
*天台宗の僧侶が流れ込んだ影響もあり
*天台教学を中心に研鑽されるようになる
☆江戸幕府がおかれた江戸
*庶民層のあいだに日蓮宗の信仰が広まっていく
*日蓮宗独自の祈蒔が信仰を集める上で大きな役割を果たす
☆日蓮は、空海の真言宗や、天台宗の密教の修法を否定した
☆日蓮は、空海の真言宗や、天台宗の密教の修法を否定した
*しかし、近世に入ると、日蓮宗でも加持祈蒔が行われる
☆日蓮信仰が現世利益を生む構造が作り上げられたことで
*江戸庶民には、日蓮を崇拝の対象とする「祖師信仰」も広がった
*同じく庶民層に広がった浄土真宗の場合も共通するが
*近世以降の日蓮宗寺院では、日蓮像を祀る祖師堂が伽藍の中心になる
☆近代に入るとこうした法華講を母体に
☆近代に入るとこうした法華講を母体に
*日蓮系の新宗教教団が組織されていく
⛳創価学会と日蓮宗の関係
☆戦前の日本社会、大東亜共栄圏を実現するためのスローガン
⛳創価学会と日蓮宗の関係
☆戦前の日本社会、大東亜共栄圏を実現するためのスローガン
*「八紘一宇」が謳われたが
*それを最初に提唱したのは田中であった
*田中は、天皇が法華信仰をもつことによって
*「国立戒壇」が建立され、「広宣流布」が実現されると説いた
☆この考え方は戦後の創価学会に引き継がれるとともに
*日蓮宗自体にも影響を与えた
☆創価学会は、戦前に「創価教育学会」としてはじまるが
*創立者の牧口常三郎が治安維持法違反などでとらえられ
*獄死したために、壊減的な打撃を受けた
☆戦後、創価学会として再興したのが戸田城聖であった
*戸田は、唱題と折伏によって現世利益が実現されると説き
*瞬く間に会員を増やしていった
☆創価学会が、その後巨大教団に発展していくのは
*高度経済成長がはじまり、急速な都市化が進むなかで、
*新たな都市民を教団に取り込むことに成功したからだ
☆昭和30年「小樽問答」という出来事が起こった
*創価学会の幹部と日蓮宗の僧侶が北海道の小博で法論を戦わせた
*判定者が用意されておらず
*本来は勝ち負けがつかないものであった
*当時参謀室長の地位にあった池田大作が
*日蓮宗が法論に負けたというイメージを作りあげた
*その後、日蓮宗は創価学会との法論を禁じる
☆日蓮宗は、創価学会に対する警戒心を強めることに結びつく
☆日蓮宗は、創価学会に対する警戒心を強めることに結びつく
*戦後の日蓮宗の大きな課題は、創価学会対策におかれることになる
☆日蓮宗は、日蓮正宗を加えれば、500万人を確実に超える
*日蓮宗も、かなり大きな勢力を誇っている
*だが、教義の違いなどをめぐって対立が起こり
*それが多数の分派の原因になっている
(敬称略)
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⛳出典、『浄土真宗の檀家は多い』
(小樽問答)
『日蓮宗分裂』『日像』『日親』『創価学会』『小樽問答』
(ネットより画像引用)
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