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慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

世界三大宗教(イスラム教)

2017年05月28日 | 新聞記事
イスラム教二大宗派(スンニ一派とシーア派)の対立は続く

イスラム教を二分するスンニ派とシーア派は、権力抗争を要因として誕生した
創始者ムハンマドの死後、政治的指導者「カリフ」がイスラム共同体を率いた
 ☆カリフは有力部族から選出され、初代~3代目迄順調に引き継がれた
カリフ4代目の時代に、ムハマンドの従兄弟アリーを推す派が4代目を暗殺した
アリーが4代目カリフの地位に就くが、アリーも暗殺される
シリアの総督がウマイヤ朝を開いてカリフの地位に就く
アリーを推していた人々は抗議し分派しシーア派になる
 ☆派閥名は「アリーの党派」に由来している
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、世界『三大宗教(洋泉社)』(中法大学保坂教授)






イスラム教分派(世界『三大宗教(洋泉社)』記事より画像引用)

スンニ派
分派時、既存の共同体にとどまつた人々をスンニ派と呼ぶ
名前は預言者の言行(スンニ)に従って生活することを重視していることに由来する

シーア派
分派時、分派した宗派に移動した人をシーア派と呼ぶ
シーア派の派閥名は「アリーの党派」に由来している
シーア派内ではいくつもの派がある
現在は十二イマーム派が中心となっている
幼少で姿を隠したムハンマド・アルムンタザルを最後のイマームと考えてる
最後のイマームが救世主として再臨するとしている

シーア派とスンニ派の相違点
聖地
 ☆スンニ派では、メッカ、メディナ、エルサレム
 ☆シーア派では、歴代イマームゆかりの地も含む
宗教的権威
 ☆スンニ派では啓典や法学者の見解
 ☆シーア派では歴代イマームの言行も含む
イスラム教徒の比率(スンニ派が90%、シーア派が10%)
イスラム原理主義思想のワツハーブ派はスンニ派の一派です
スンニ派は、サウジアラビアでは国教とされています


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中国&パキスタンによる人権弾圧

2017年05月28日 | 国際情勢
未婚女性の30万人~50万人ぐらいが中国に強制連行された

「アジアの平和と人権に関する国際シンポジウム」が日本の参院議員会館で開かれた
パキスタンのバロチスタン侵略問題
 ☆パキスタン最大の面積を持つバローチスターン州 (州都はクエッタ)は、パキスタンに侵略された
中国の新疆ウイグル、内モンゴル自治区(東トルキスタン)侵略問題
 ☆第二次世界大戦後、モンゴルの半分が中国に引き渡された?
 ☆その後中国の一部となって内モンゴル自治区と呼ばれている
 ☆内モンゴルでは、計画出産との理由で、ウイグル人は500~800万人位削減された
 ☆内モンゴルでは、未婚女性は30万人から50万人ぐらいが中国に強制連行された
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『産経新聞』






中国&パキスタンによる人権弾圧(ネットより画像引用)

『バロチスタンへの侵略』スレマン氏(バロチスタン藩王国国王)
パキスタンは、武器の力でバロチスタンを侵略し世界も許可した
パキスタンの中のバロチスタンの人権問題は非常に深刻だ
殺して捨てる、強制的に行方不明になるというのが日常茶飯事だ
 ☆バロチスタンの人らが生存権を脅かされている
「中国パキスタン経済回廊は中国の軍事的なプロジェクトだ
バロチスタン人は中国による植民地化に強く反発している

『バロチスタンへの侵略』ムニール・メンガル氏(バローチ・ヴォイス・アソシエーション代表)
バローチ人は、独立国家でしたが、パキスタン人に侵略され占領地となった
バロチスタンには豊富な資源があるが、それが中国人によって略奪されている
バロチスタンから略奪することしか彼らの頭の中にはない
中国は、日本を含め、この地域全体を植民地化する意図がある
日本もパキスタンに圧力をかけて伝えてほしい

『東トルキスタンへの侵略』トゥール・ムハメット氏(日本ウイグル連盟)
主権、自治権、基本的人権の獲得がウイグル人の目標
東トルキスタンは、今の中華帝国の「一帯一路」の中心地域です
東トルキスタンは、バロチスタンの状況とまったく同じ
東トルキスタンは不法に占拠された独立国家です
中国はこの68年間、ウイグル人の民族浄化を続けている
 ☆核実験による虐殺、生物実験による虐殺、人口侵略による支配
中国人(漢民族)の人口が49年は4%だったが、今は50%に増えた


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世界史(宋)

2017年05月28日 | 歴史
官僚が支配した帝国「宋」

武断政治から文治主義へ転換した宋代
庶民の生活が向上し、経済・文化が発展した
陰では、官僚の腐敗が進行した
宋代の三大発明(印刷技術、火薬、羅針盤)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『世界史(成美堂)』






宋(『世界史(成美堂)』記事より画像引用)

科挙による官僚国家体制
唐が減びてからの50年間激動(多くの王朝・国家の支配体制)の時代
門閥貴族が衰退し、節度使ら武人や、それと結びついた新興地主層が優勢となる
後周(太祖)が皇帝となって「宋」を建てた
「宋」は武断政治を改めるため、節度使の実権を奪い、皇帝の直属軍禁軍を置く
文人官僚による文治主義を推し進わた
官僚を出した家は、とよばれ大きな特権を得た
官僚への賄賂が横行し腐敗が進行した

宋代の文化産業
稲作が発達し、塩、茶、酒などの生産もさかんにかなる
専売によって国庫を潤した
首都の開封は、交通の要衝で大運河を利用して各地の物資が集散した
商業の発展は貨幣経済の浸透を促し、手形の一種である会子が使われた
文化面では宋学が興り、科学進歩が三大発明を生んだ

宋代の三大発明
印刷技術、火薬、羅針盤は、いずれも宋代に改良・実用化された
技術はイスラーム商人によりヨーロッパに伝えられ大きな影響を与えた


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