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『一神教=多神教の側面が(聖母・聖人)』『仏教の神=空・無』

2024年07月20日 | 宗教
🌸一神教と多神教は対立するか1

⛳西洋は「神」、東洋は「空・無」
 ☆日本では、 一神教と多神教とが対立するものと考えられている
 *一神教ではもっばら一つの神だけが信仰の対象になるために
 *他の神々が排除され排他的な傾向が生まれる
 *多神教では多様な神々が信仰の対象で、優劣がつけられない
 *異なる信仰に対しても寛容であると日本では理解されている
 *一神教が批判の対象にされることが多い
 *「砂漠の宗教」と「森の宗教」の対立の風土論が重ね合わされる
 ☆一神教は自然環境が厳しい砂漠で生まれた信仰に対して厳しい
 *豊かな自然に恵まれた森のなかで育まれた多神教とは、性格が異なる
 ☆日本人には、一神教と多神教との対比で八百万の神を信仰する点で
 *多神教、日本の宗教の寛容性を高く評価しようとする
 *価値判断が強く働いている

⛳一神教のなかに多神教的な側面を見出せる
 ☆キリスト教の三位一体の教義において
 *父と子と聖霊一体であるとされるが
 *その考え方に多神教的な神観を見出せる
 *キリスト教では、時代を経るにつれて
 *聖母マリアに対する信仰が高まりを見せる
 *父なる神やイエス・キリスト以上に信者たちの信仰を集めてきた
 ☆神学の世界においてもマリアの重要性は増してきている
 *聖人、聖者の信仰もしだいに盛んになってきた
 *聖者に対する信仰は、日本の八百万の信仰にかなり似ている
 *ご利益信仰である点で共通しているからだ。
 ☆キリスト教以上に唯一絶対の神への信仰を強調するイスラム教
 *やはり聖者信仰が盛んである
 *神の絶対性が過度に強調されると
 *人間界との関係は希薄になり
 *日常的な悩みや苦しみからの救いを神に期待できなくなる
 ☆そこに、より身近な存在である聖者の役割がある
 * 一神教にも多神教的な側面が見られる

⛳仏教は、創造神話自体が存在しない
 ☆仏教では、私たちが生きている世界の究極的な原理として示されるのは
 *「空」や「無」といったとらえ方である
 ☆仏教では、あらゆるものは固定的な実体をもたず
 *絶えず生成と消滅をくり返していくにもかかわらず
 *それに執着するところに苦が生まれるというのが
 *仏教の基本的な認識である
 *そこから仏教的な救済論が形成される
 (一神教における神に対比されるものは、空や無)
 ☆仏教では、世界の成り立ちを説明する際に空や無を前提とし
 *因果にもとづいてさまざまな現象が生み出されるとする
 *その因とのくり返しが現実の世界の多様性を生み出していく

多神教の仏教に対し、一神教の立場からすれば
 ☆さまざまな神々を同時に信仰する多神教
 *劣った存在を崇拝する偶像崇拝として批判の対象になる
 *近代の進化論的な科学観で、多神教から一神教への進化が説かれた
 ☆空や無というとらえ方
 *絶対的な神の存在を否定し
 *世界の究極的な姿を虚無としてとらえる点で  
 *根源的なニヒリズムとして受け取られる可能性がある
 ☆神のような究極的な実在がないからこそ
 *人間は自由であり、世界は多様な姿をとり豊だととらえる
 ☆一神教と多神教という側面からではなく
 *神と空、神と無という視角から
 *西洋の宗教と東洋の宗教とを対比させるべきなのである
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世界の宗教がざっくりわかる』






『一神教=多神教の側面が(聖母・聖人)』『仏教の神=空・無』
(ネットより画像引用)

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