
☆関ヶ原で敗者=徳川に負けた藩
(長州(毛利家)は徳川幕府に散々な処遇を受けた)
☆恨みが、幕末にいたる約300年大きなパワーとなった
☆薩摩は、薩英戦争で大英帝国と薩摩藩単独で戦争し互角の勝負をした
(大英帝国旗艦の艦長と副艦を打ち取る)

☆徳川幕府は諸藩に力を持たせぬよう、参勤交代、普請工事等でお金を使わせた
☆幕末のころは、全国どの藩も経済は困窮、薩摩も収入の10倍以上の借金
☆薩摩は、財政改革の藩政を行い財務整理を慣行
(大阪商人を味方にし、借金踏み倒しともいえる借財整理を実施)
☆「密貿易」 などで莫大な利益を上げ、藩政を見事立て直した
☆支藩(薩摩→奄美)の多大なる犠牲で、薩摩は大きな力をもてた

☆金があれば優秀な人材も雇え、武器を買うことも出来る
☆金を上手く使える人材が、その時期に登場した
(薩摩→名君薩摩斉彬のもと西郷隆盛、大久保利通らの登場)
(長州→木戸孝允、高杉晋作らの登場)
☆これを持てた薩摩が、倒幕勢力の中心になったのは自然の流れ


☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します









薩摩は、幕末何故活躍できたのか(BSTBS諸説ありテレビ画面より画像引用)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます