🌸葬式仏教の生みの親道元の曹洞宗
⛳宗教の各宗派によってその雰囲気はかなり違う
☆一つ宗派としての性格が際立っているのが浄土真宗
☆一つ宗派としての性格が際立っているのが浄土真宗
*僧侶と門徒と呼ばれる俗信徒の距離が近いため
*門徒は僧侶を奉ったりはしない
☆宗派の特徴が出るのが曹洞宗
☆宗派の特徴が出るのが曹洞宗
*曹洞宗は、浄土真宗とは反対で、僧侶は必ず剃髪し
*墨染めの衣を身にまとっている
*曹洞宗は臨済宗とともに禅系の教団である
*曹洞宗は臨済宗とともに禅系の教団である
*曹洞宗の僧侶の、いかにも禅僧らしい姿は
*大本山永平寺の厳しい修行に結びついていく
☆曹洞宗は、臨済宗の中心の五山制度の枠の外におかれた
☆曹洞宗は、臨済宗の中心の五山制度の枠の外におかれた
*「林下」として区別されてきた
*臨済宗が、密教などとの兼修する兼修禅としてはじまったのに対し
*曹洞宗では、当初から座禅による悟りをめざす純粋禅が追求されてきた
*曹洞宗では、当初から座禅による悟りをめざす純粋禅が追求されてきた
*永平寺では、禅が実践されてきただけではなく
*生活全体に修行としての意味が与えられている
⛳セブン、イレブン店舗数をしのぐ寺院数約1万5千ヵ寺
☆永平寺で1年間修行した野々村馨の手記『永平寺修行記』によると
*煩悩を打ち砕く手立てとして暴力を正当化している
☆筆者が知る曹洞宗の僧侶のなかには
*それがこころの傷になっている人物もいる
*戦時中の日本軍においても暴力が横行していたが
*禅寺から取り入れられたものだとさえ言われている
☆今の「葬式仏教の原型」曹洞宗が作り上げた
*他の宗派は、同じ禅宗の臨済宗のみならず
*曹洞宗にならって仏式の葬儀の方法を編み出していった
☆曹洞宗は、母体ともなった臨済宗とは異なり
☆曹洞宗は、母体ともなった臨済宗とは異なり
*多くの信徒を抱える大教団、約706万人という信者数
*曹洞宗の寺院の数は1万4604カ寺にも達する
*曹洞宗の寺院の数は1万4604カ寺にも達する
*この数も各宗派のなかで一番多い
*曹洞宗の寺院の数は、セブンイレブンを超えている
☆曹洞宗は不思議な宗派だ
*純粋禅を追求、生活のすべてを修行とする
☆曹洞宗は不思議な宗派だ
*純粋禅を追求、生活のすべてを修行とする
*システムを築き上げた宗派が
*なぜ葬式仏教の生みの親となり、大教団にまで発展したのか
⛳帰国して「自分には仏法はない」と言った開祖道元
☆曹洞宗を開いた宗祖は道元
⛳帰国して「自分には仏法はない」と言った開祖道元
☆曹洞宗を開いた宗祖は道元
*中国にも曹洞宗が存在していた
☆中国での曹洞宗の歴史のなかで重要なことは
☆中国での曹洞宗の歴史のなかで重要なことは
*座禅によって悟りをめざす「黙照禅」を唱えたことである
*道元の禅は、黙照禅とも言えるわけで、その影響は明らかだ
☆中国での禅家五家
☆中国での禅家五家
*潟仰、雲門、法眼の三家は消滅し、臨済と曹洞だけが残った
*中国において臨済が大きく発展したのに対して
*曹洞の勢力はそれほど伸びなかった
*それは、日本で五山が栄えた時代に似ている
☆道元以降、中国の曹洞宗が日本に影響を与えることはなかった
*道元は14歳のときに比叡山にのぼり、出家している
*道元は禅を学ぶようになり、明全とともに宋に渡っている
☆道元以降、中国の曹洞宗が日本に影響を与えることはなかった
*道元は14歳のときに比叡山にのぼり、出家している
*道元は禅を学ぶようになり、明全とともに宋に渡っている
*明全は入宋して3年で亡くなる
☆道元は、悟うの体験を「身心脱落」と呼んでいる
*道元の説法を集めた『永平広録』のなかで
*道元は、中国から何ももたずに還ってきたので
*自分には仏法など備わっていないと述べている
*道元の説法は禅間答の性格を帯びている
(敬称略)
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⛳出典、『浄土真宗の檀家は多い』
『葬式仏教』『林下』『黙照禅』『身心脱落』
(ネットより画像引用)
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