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『京都・鎌倉五山』『禅文化』『禅寺』

2024年12月27日 | 宗教
🌸禅文化が花開いた臨済宗+黄檗宗(2)

⛳禅文化の中心を担った京都五山と鎌倉五山
 ☆禅宗は鎌倉時代に、北条氏をはじめ武家のあいだに受容された
 *武家は、戦闘に従事し死と隣り合わせで生きていた
 *武家にとって、死の覚悟をしながら修行にいそしむことを説く禅
 *禅における悟りは、死の覚悟と等しいものだと考えられた
 *禅は、密教を取り入れなければ公家のあいだには広まらなかった
 ☆南都六宗や天台、真言宗
 *奈良時代から平安時代に確立された
 *朝廷や公家と密接な関係をもち
 *階層出身の僧侶でなければ出世が叶わなかった
 *武家出身の僧侶は、禅宗に行くしかなかった
 ☆鎌倉時代末期、五山の制度が作られた
 *南宋の五山をモデルとしたもの
 *足利義満の時代、南禅寺を別格で、京都五山と鎌倉五山が確立された
 (京都五山は、天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺)
 (鎌倉五山は、建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺)
 *五山の下に「十利」に定められ、その下に、各地の禅寺が所属する
 *他の禅寺は「林下」として区別された
 *曹洞宗もこの林下に入る
 ☆室町時代後期
 *五山派が、幕府の弱体化によって衰えていく
 *林下の大徳寺派や妙心寺派が、戦国大名や堺の豪商などに広がる

禅文化として花開いた水墨画・茶道・五山文学
 ☆禅寺では、純粋禅を追求するようなところ
 *座禅の実践が仏道修行の中核に位置づけられていた
 *禅僧の目的は、そうした修行を通して悟りを開くことにある
 ☆悟りを表現するものとして
 *禅宗においては独自の宗教美術が形成されていった
 ☆相彫刻、禅寺の講堂や食堂に常時安置されている
 *弟子たちの修行を見守ることになった
 *禅の悟りの境地、生死の境涯を超越するものであることを示した
 ☆禅宗に発している美術「水墨画」
 *水墨画は、足利義満に愛好され、日本の水墨画にも多大な影響を与えた
 ☆日本に特異な芸術「茶道」
 *茶道は、日常の世界から一歩距離をおいた簡素な空間において
 *茶を嗜むことによって脱俗の境地を味わおうとするもの
 *禅の精神に通じ、「茶禅一味」ということばさえ生まれた
 ☆室町時代の五山では、「五山文学」の漢文学が隆盛を迎える
 *禅寺では、中国語が日常的に用いられた
 *禅寺は、中国との外交や貿易の上で媒介者の役割を果たす
                       (敬称略)
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⛳出典、『浄土真宗の檀家は多い』




『京都・鎌倉五山』『禅文化』『禅寺』

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