🌸葬式仏教の生みの親でもある道元の曹洞宗3
⛳葬式仏教生みの親としての曹洞宗
☆『禅苑清規』
☆『禅苑清規』
*悟りを開いて亡くなった僧侶のための「尊宿葬儀法」と
*修行段階で亡くなった雲水のための「亡僧葬儀法」
*2つの葬儀のやり方が示されていた
☆『螢山清規』
*後者が在家の一般信徒の葬儀に応用された
*もともと雲水のための葬儀の方法であった
*もともと雲水のための葬儀の方法であった
*剃髪して出家したことにし
*その上で戒律を授け、戒名を授ける部分も含まれる
*死者をいったん僧侶にするわけである
☆死後に出家するというのは
*仏教の伝統的な考え方からはずれるが、この方法は定着する
☆曹洞宗以外の他の宗派にもこの方法伝わっていく
*曹洞宗は、今日にまで受け継がれている「葬式仏教」の生みの親だ
☆日本の仏教も当初は葬儀とは関係をもたなかった
*曹洞宗は、今日にまで受け継がれている「葬式仏教」の生みの親だ
☆日本の仏教も当初は葬儀とは関係をもたなかった
*日本仏教が死の領域とかかわっていくのは
*浄上教信仰が流行してからだ
*曹洞宗で編み出された葬儀の方法を通して
*故人の供養という領域に進出したことは大きい
⛳曹洞宗が全国的に伸びていった要因
☆葬儀、法要と仏教が扱ってこなかつた領域の開拓である
☆曹洞宗が広がりを見せていくなかで
☆曹洞宗が広がりを見せていくなかで
*永平寺と大乗寺との関係も修復され
*永平寺は曹洞宗の中心的な道場としての役割を果たすようになる
☆曹洞宗に関係した人物
*江戸時代初期に活躍した鈴木正三、武士であったが、参禅の経験を重ね
*キリシタンを論理的に批判する『破吉利支丹』の著作も書いている
*民衆教化ということでは、江戸時代後期の僧侶、良寛
*民衆教化ということでは、江戸時代後期の僧侶、良寛
*良寛は寺をもたないまま、さまざまな活動を展開した
(良寛は和歌、漢詩、狂歌、俳旬、俗謡、書に巧み)
⛳近代に入ってからの曹洞宗
☆総持寺の焼失と移転
*紹瑾が能登に建てた総持寺は、曹洞宗の中心的な寺院として
*長く君臨していたが、明治31本堂から出火し伽藍の多くが焼失した
*総持寺は、現在地の横浜市鶴見区に移転している
*総持寺は、現在地の横浜市鶴見区に移転している
*能登の総持寺も復興され、現在では総持寺祖院となっている
☆曹洞宗は大教団
☆曹洞宗は大教団
*駒沢大学、愛知学院大学、東北福祉大学、鶴見大学、駒沢女子大学等
*多数の大学や短大を開設している
☆永平寺と総持寺とが初期の時代に対立していたこともあり
☆永平寺と総持寺とが初期の時代に対立していたこともあり
*曹洞宗には、永平寺派と総持寺派という2つの派閥が存在している
☆曹洞宗が大教団であるということは
*宗門に対して多額の上納金が入ってくることを意味する
*それは本来宗門の運営や布教活動に使われるものだが
*多額の金が入ってくると、とかく問題が起こりやすくなる
☆曹洞宗は、大教団ゆえの問題を抱えている
(敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『浄土真宗の檀家は多い』
『禅苑清規』『螢山清規』『葬式仏教の生みの親』
(ネットより画像引用)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます