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『禅苑清規』『螢山清規』『葬式仏教の生みの親』

2025年01月01日 | 宗教
🌸葬式仏教の生みの親でもある道元の曹洞宗3

⛳葬式仏教生みの親としての曹洞宗
 ☆『禅苑清規』
 *悟りを開いて亡くなった僧侶のための「尊宿葬儀法」と
 *修行段階で亡くなった雲水のための「亡僧葬儀法」
 *2つの葬儀のやり方が示されていた
 ☆『螢山清規』
 *後者が在家の一般信徒の葬儀に応用された
 *もともと雲水のための葬儀の方法であった
 *剃髪して出家したことにし
 *その上で戒律を授け、戒名を授ける部分も含まれる
 *死者をいったん僧侶にするわけである
 ☆死後に出家するというのは
 *仏教の伝統的な考え方からはずれるが、この方法は定着する
 ☆曹洞宗以外の他の宗派にもこの方法伝わっていく
 *曹洞宗は、今日にまで受け継がれている「葬式仏教」の生みの親だ

 ☆日本の仏教も当初は葬儀とは関係をもたなかった
 *日本仏教が死の領域とかかわっていくのは
 *浄上教信仰が流行してからだ
 *曹洞宗で編み出された葬儀の方法を通して
 *故人の供養という領域に進出したことは大きい

曹洞宗が全国的に伸びていった要因
 ☆葬儀、法要と仏教が扱ってこなかつた領域の開拓である
 ☆曹洞宗が広がりを見せていくなかで
 *永平寺と大乗寺との関係も修復され
 *永平寺は曹洞宗の中心的な道場としての役割を果たすようになる
 ☆曹洞宗に関係した人物
 *江戸時代初期に活躍した鈴木正三、武士であったが、参禅の経験を重ね
 *キリシタンを論理的に批判する『破吉利支丹』の著作も書いている
 *民衆教化ということでは、江戸時代後期の僧侶、良寛
 *良寛は寺をもたないまま、さまざまな活動を展開した
 (良寛は和歌、漢詩、狂歌、俳旬、俗謡、書に巧み)

⛳近代に入ってからの曹洞宗
 ☆総持寺の焼失と移転
 *紹瑾が能登に建てた総持寺は、曹洞宗の中心的な寺院として
 *長く君臨していたが、明治31本堂から出火し伽藍の多くが焼失した
 *総持寺は、現在地の横浜市鶴見区に移転している
 *能登の総持寺も復興され、現在では総持寺祖院となっている
 ☆曹洞宗は大教団
 *駒沢大学、愛知学院大学、東北福祉大学、鶴見大学、駒沢女子大学等
 *多数の大学や短大を開設している
 ☆永平寺と総持寺とが初期の時代に対立していたこともあり
 *曹洞宗には、永平寺派と総持寺派という2つの派閥が存在している
 ☆曹洞宗が大教団であるということは
 *宗門に対して多額の上納金が入ってくることを意味する
 *それは本来宗門の運営や布教活動に使われるものだが
 *多額の金が入ってくると、とかく問題が起こりやすくなる
 ☆曹洞宗は、大教団ゆえの問題を抱えている
                       (敬称略)
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⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『浄土真宗の檀家は多い』




『禅苑清規』『螢山清規』『葬式仏教の生みの親』
(ネットより画像引用)

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