🌸米英を撃ちてし止まむ 3
☆八紘一宇と大東亜戦争
⛳「皇軍発祥之地」と「日本海軍発祥之地」の記念碑
☆宮崎県には、日名子実三の設計の記念碑があとふたつ存在する
*「皇軍発祥之地」碑と「日本海軍発祥之地」碑
*記念碑はそれぞれ陸軍と海軍を代表するもの
*石材は、八紘之基柱で集められたものの残余が使われた
☆陸軍の記念碑が皇居屋にある
*石材は、八紘之基柱で集められたものの残余が使われた
☆陸軍の記念碑が皇居屋にある
☆海軍の記念碑が美々津という聞き慣れない場所にある理由
*神武天皇が東征へと船出した場所だからだ
☆「おきよ丸」は、神武天皇が乗ったとされる船名である
*記紀にはみえないものの、伝承が残っている
*同船を彫刻した本製の郵便ポストまで散見される
⛳宮崎は「神話県」になった理由
☆宮崎県は神話県である
*空港に降り立つと、神話のステンドグラスが迎えてくれる
⛳宮崎は「神話県」になった理由
☆宮崎県は神話県である
*空港に降り立つと、神話のステンドグラスが迎えてくれる
*そのイメージは、かならずしも昔から続くものではなかった
☆戦前は、鹿児島県もまた「肇国聖地」として売り出していた
☆戦前は、鹿児島県もまた「肇国聖地」として売り出していた
*神武天皇が出航した記念碑は鹿児島県にも立っている
*『古事記』や『日本書紀』に出航地の具体的な地名が記されていない
*それが、宮崎県を神話県にした理由だ
☆『古事記』に、神武天皇たち高千穂宮にいて日向から出発と記載
*『日本書紀』では、地名が出てこない
*『日本書紀』では、地名が出てこない
*神武天皇の出発地を「南九州」と表現をしてきたのはこのためだ
☆天孫降臨の地とされる高千穂二説存在する
☆天孫降臨の地とされる高千穂二説存在する
*高千穂は、宮崎県北部の西日杵郡高千穂町
*同県と鹿児島県の境に位置する高千穂峰
*ここでも宮崎県と鹿児島県のあいだで争いが起こった
☆現在からすると鹿児島県の頑張りが意外かもしれない
☆現在からすると鹿児島県の頑張りが意外かもしれない
*鹿児島県の歴史的観光資源は、神話というより明治維新だ
☆鹿児島県に、神代三陵が揃っていた(神武天皇の祖先三大)
*神武天皇の祖先三代の御陵
☆「上からの統制」と「下からの参加」があったから
*神話国家としての日本は成り立っていた
⛳国が認定した神武天皇「東征ルート」
☆皇紀二六〇〇年には神武天皇聖蹟の調査保存顕彰
⛳国が認定した神武天皇「東征ルート」
☆皇紀二六〇〇年には神武天皇聖蹟の調査保存顕彰
*記念事業として文部省で行われ、政府主導で実施された
☆以下の箇所が保存顕彰すべき聖蹟として認められた
①菟狭推考地 大分県宇佐市(宇佐神宮)
②向水門 福岡県遠賀郡芦屋町(戦後、近くの神武天皇社に移された)
③埃宮多郡理宮伝説地 広島県安芸郡府中町(多家神社)他15社
☆神武天皇の東征ルート定められた
①菟狭推考地 大分県宇佐市(宇佐神宮)
②向水門 福岡県遠賀郡芦屋町(戦後、近くの神武天皇社に移された)
③埃宮多郡理宮伝説地 広島県安芸郡府中町(多家神社)他15社
☆神武天皇の東征ルート定められた
*神武天皇が出航した場所は記紀に掲載がないので
*どこの候補地も採用されなかった
☆文部省の事業で聖蹟として認定された場所には記念碑が建てられた
☆文部省の事業で聖蹟として認定された場所には記念碑が建てられた
(敬称略)
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⛳出典、『「戦前」の正体』
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皇軍発祥之地、日本海軍発祥之地、神代三陵、東征ルート
(『「戦前」の正体』記事・ネットより画像引用)
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