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心意気
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日本史の闇が見えてくる世界遺産の地1(平泉・紀伊山地他)

2021年10月05日 | 歴史
🌸日本史の闇が見えてくる世界遺産の地1(平泉・紀伊山地他)

⛳平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園
 ☆中尊寺には、奥州藤原氏のミイラが遺されている

 ☆清衡、基衡、秀衡がミイラになった理由
  *武将・統治者がミイラとして残っているのは、ほかにない
 *彼らは自然とミイラになってしまったのか
 *人工的にミイラにされたのかは両説がある
 ☆三体とも同じようにミイラ化するのは偶然とは思えない
 *仏教思想の中心であった法華経の影響がある
 *即身仏と同様、永遠の命を獲得できると考えた
 *死後も肉体を生前と同じ状態で保っておいた

⛳紀伊山地の霊場と参詣道(死の国と畏れ崇められてきた地)
 ☆イザナギノミコトとイザナミノミコトの神々
 *イザナミノミコトの亡骸は熊野の地に葬られた
 *黄泉の国の主宰神になったといわれている
 ☆熊野は、地上の″死の国″として人々に畏れられ崇められてきた
 ☆阿弥陀寺に、死者の霊魂が詣でるという補陀洛山寺
 *補陀洛渡海の出発地として知られる
 *補陀洛とは、南方の彼方にある観音菩薩の住む浄土
 *補陀洛に行き着こうと舟を出したのが、補陀洛波海
 ☆熊野灘を望む那智の浜
 *今では美しい海水浴場に様変わりしている
 *かって死出の旅に出る僧たちを送り出した浜
 *彼らの多くは舟ととも に沈んでいった
 *彼らの骨は、今も熊野灘に沈んでいる

琉球王国のグスク及び関連遺跡群
 ☆沖縄では、城を「グスク」と呼ぶ
 ☆首里城は、13~14世紀に造営された
 ☆首里城の近くに、「玉陵」という王家の墓がある
 ☆琉球王国の王家
 *初代から7代までを「第一尚氏」と呼ぶ
 *その後、琉球王国滅亡の歴代王「第二尚氏」と呼ぶ
 ☆王陵には、呪いの文字が刻まれた石碑が残されている
 ☆初代王の王妃「おぎやか」が「玉陵碑」と呼ばれる石碑を建てた
 *碑には玉陵に埋葬される資格を持つ者
 *王位につくことができる者の名前が列挙されている
 ☆彼女は、自分の血を引く者以外が王になることを許さず
 *これに背いた者には祟りがあると警告している
 ☆「おぎやか」と血のつながりがない夫の弟が2代目王につく
 *彼女は、あらゆる手段を使って義弟を失脚させた
 *わが子を王位につけた
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世界遺産に隠された話ゾッとする話』





日本史の闇が見えてくる世界遺産の地1(平泉・紀伊山地他)
『世界遺産に隠された話ゾッとする話』記事より画像引用)

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