
これまで何度も何度も行ったことのある伯耆大山の地図です。
この地図を見て、ここに書かれた地名を見ると今でも血が騒ぐような気がします。
登ったことのある山頂、足を踏み入れたことのない沢などいろいろあります。
この地図の右のほうに見える振子沢は、残雪期にはタカ長程度の登山技術でも登降できる沢らしくて、、、
青春の頃から一度いってみたいと思いながらいまだにその機会に恵まれていません。
と、、、、何十年も考えていたのですが、、、それがチョッとあやしくなったのです。
私たちのグループにもいろいろあって、タカ長も昔の登山のことをあれこれ考えることがあり、、、、
ある年の春、友だちと登った大山の槍尾根のことを思い返しているのです。


時期はゴールデンウイーク前でした。
その日私たちは文殊越え近くに張ったテントをあとにして槍尾根を登ったのですが、、、
その核心部といえる槍が峰の近くの状態が悪くて命からがら登りきったのです。
左の画像の上部あたり、このような岩壁ともいえないような壁をトラバースしながら槍が峰の向こうにまわりこむのですが、、、
冬の間に風化した岩はもろくて、あちらをつかんでもこちらを持っても浮いていて、、、、、
自分が足を置いている岩もいつ落ちるのか分からないような状態で、、、、
ジリジリ身を焼かれるような思いで登っている間も、足元では何回も岩が崩落して三の沢に落ちてゆく音がして、
極度の緊張を強いられる登山になったのです。
そのルートを三の沢に落ちることもなく何とか登りきり、安心できる天狗ヶ峰に登りついたとたん座り込み、呆然としていました。
近くをイワツバメかアマツバメかそのころは識別できなかったのですが、、、、
とにかくたくさんの鳥が飛んでいたところまではハッキリ覚えているのです。
しかし、、、、、そこから文殊越え近くのテントにどうして帰ったのか記憶に無いのです。
昨年のことそのときの友だちに確認したら、振子沢を降りてテントに帰ったというのです。
地理的なことを考えるとそのルートが一番常識的なので、彼の記憶には間違いないと思うのですが、、、、
しかし、タカ長の認識としては振子沢は未知の沢で、途中にある駒鳥小屋の写真をネットなどで見ても、見覚えなどまったくないのです。
ということは、あのときの極度な緊張、精神的なストレスがひどくて、その後半日程度の記憶が飛んでしまったのでしょうか?
これって記憶喪失???

広島から一番近い山らしい山である大山には何度も行き、、、、
いまから考えれば「若気の至り」で、怖い思いをしたことはその時だけではないのですが、、、、
何故かしらあの日の、天狗ヶ峰からテント場までの記憶は本当にまったくないのです。