タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

たった独りの山旅~5

2021年01月24日 | 山歩きから
このシリーズを書きながら昔の登山を思い出してみました。

ここで書いたように、たった独りの山旅は淋しいものですが、そのようなことを考えながら山を歩いていることは少なかったようです。

       

その頃は串田孫一の影響を受けていたようで、単独行のときはベレー帽を被って、スケッチブックを持って山を歩いていました。

そのような時は見るものが多くて、淋しさを感じる時間はありませんでした。楽しい時間ばかりでした。

その頃、山を歩きながら楽しいとか淋しいとか、そのようなものとはまったく違った感情を持った経験が1回だけあります。

    

木曽駒ケ岳に登ったときのことです。

その日、北沢峠のテントを出発して、仙水峠に登り、摩利支天の岩壁に圧倒されたあと駒津峰をへて無事甲斐駒ヶ岳の山頂に立つことが出来ました。

その登山のどの段階からか記憶にありませんが、唐突に親父のことが頭に浮かんだのです。

実際には無理なことですが、このような山に連れてきてやると喜ぶのではないか、というようなことを想った記憶もあります。

親父は健在で同居していましたから、亡き親父を思い出したと言うようなドラマチックなものではありません。幼少のころから親父に連れられて旅行していたタカ長が、初めて親父をどこかへ連れて行ってやりたいと思った時だったのかも分かりません。

そのような思いにとらわれると帰心矢の如し、双児山経由で北沢峠に下りるとすぐにテントを撤収、その足で戸台に下山してしまいました。

戸台に下山した翌日広島に帰ったのならこの物語はめでたく完成します。

しかし、戸台に下山したころには親父のことなどどこかへ霧散していました。

    
                  画像はネットより借用

そのときの山旅は天気に恵まれ、予備日を使う必要がありませんでした。その上に予定を早めての下山で1日の余裕が出来ました。その時間を無駄にすることなど考えられません。

その余った時間を使って戸隠高原、そして能登半島の最先端まで放浪しました。遊び過ぎて時間が無くなり、仕方なく特急列車を乗ることになりました。

そのような山旅をして、広島に帰ったときの所持金は100円だけ。その時代、広島のバスセンターから自宅までのバス代が65円でした。まさにギリギリのご帰還です。

それにしてもあの時の親父への気持ち、あれは一体何だったのでしょうか?未だに答えが見つからない、たった独りの山旅の記憶です。


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