関西在住の鳥友は古典に造詣が深く、その豊富な知識を基にした名文を彼等の機関誌に発表しています。私もときどき拝見するのですが、私とはまったく違った世界の文章をただただ感心して読ませてもらっています。
今日検診のために病院にいって、待ち時間に文庫本を開いていたら次のような歌が目にとまりました。
磯の崎 漕ぎ廻み行けば 近江の海 八十の港に くぐいさはに鳴く
磯の崎 漕ぎ廻(た)み行けば 近江の海
八十(やそ)の港に くぐいさわに鳴く(高市 黒人)
旅先の琵琶湖で、くぐいが鳴いているのを見て故郷を偲んでいる歌、と言う注釈が書かれていました。
さて、その「くぐい」とはこのとりだそうです。
写真:キム・ソンヒョン
そうです。コハクチョウです。この歌によると琵琶湖に流れ込む河の河口にコハクチョウがいたことになります。八十とは、別に河の数を一つ一つ数えたわけではないでしょうが、多くの河に、もしくは作者が目にしたすべての河口にコハクチョウの姿が見られた、と言うことなのでしょうか。
写真:キム・ソンヒョン
普通に考えればこのようにガン・カモ類が一緒に泳いでいたことが想像されます。
いまの琵琶湖の様子は知りません。私は一度だけ余呉湖の方に、晩秋の頃でかけただけですから、ほんとに何も知らないのですが、病院でこの歌を見たときの第一印象は昔は鳥が多かったのだなぁ、と言うことです。私のこの感慨には多分に予断が含まれていますが、本当のところはどうなのでしょうか?
万葉人は私たちより多くの鳥を見ていた
そのように考えても間違いないと思うのですが、、、、、、
今日検診のために病院にいって、待ち時間に文庫本を開いていたら次のような歌が目にとまりました。
磯の崎 漕ぎ廻み行けば 近江の海 八十の港に くぐいさはに鳴く
磯の崎 漕ぎ廻(た)み行けば 近江の海
八十(やそ)の港に くぐいさわに鳴く(高市 黒人)
旅先の琵琶湖で、くぐいが鳴いているのを見て故郷を偲んでいる歌、と言う注釈が書かれていました。
さて、その「くぐい」とはこのとりだそうです。
写真:キム・ソンヒョン
そうです。コハクチョウです。この歌によると琵琶湖に流れ込む河の河口にコハクチョウがいたことになります。八十とは、別に河の数を一つ一つ数えたわけではないでしょうが、多くの河に、もしくは作者が目にしたすべての河口にコハクチョウの姿が見られた、と言うことなのでしょうか。
写真:キム・ソンヒョン
普通に考えればこのようにガン・カモ類が一緒に泳いでいたことが想像されます。
いまの琵琶湖の様子は知りません。私は一度だけ余呉湖の方に、晩秋の頃でかけただけですから、ほんとに何も知らないのですが、病院でこの歌を見たときの第一印象は昔は鳥が多かったのだなぁ、と言うことです。私のこの感慨には多分に予断が含まれていますが、本当のところはどうなのでしょうか?
万葉人は私たちより多くの鳥を見ていた
そのように考えても間違いないと思うのですが、、、、、、
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