武田じゅうめい 愛と誠と正義

色即是空とは、すべての存在は虚無であると知る。
旗印は日本愛、 日本人には日の丸が足りない

押尾学と死亡遊戯、第二弾

2009年08月06日 | 人生の意味

押尾学と死亡遊戯、第二弾。
桜田門の方から変な話が流れてきた。押尾学の部屋で、全裸で死亡した30歳の銀座クラブホステスは、岐阜県選出の国会議員の娘だというショッキングな情報なのだが(未確認)。そういえば桜田門は、死亡した女性に関して、妙にガードが固かった。また死亡遊戯の部屋の名義は、女性用輸入下着の通販で急成長したPJのM・N社長のものだという。
じゅうめい探偵の口笛が低く鳴り始めた。六本木6丁目のヒルズ・レジデンスの前に立った。平均で月200万円の賃料、100万円は安い方だという。ホリエモンや、名だたるバブル紳士が住んでいる。かつては関口房朗も住んでいたが、カネを湯水のように使い切り、今はヒルズを去った。さて、押尾学にMDMAを飲まされて死んだ30歳のクラブホステス、T・K子(本名)は、岐阜県出身、お台場に住んでいる。2年前まで新宿歌舞伎町のキャバクラで番を張り、その後、銀座8丁目の「H」を経て、高級クラブ「J」のホステスに変身した。半年前、パトロンに連れられて行った銀座のクラブ「J」で、押尾はT・K子に会った。T・K子は170センチ長身の美人。押尾と仲良くなったT・K子は、押尾が住むヒルズのレジデンスに行った。エクスタシーMDMAを1錠飲み、2錠目を舌の上で転がし始めた時、様子がおかしくなり、そのまま心臓発作で死亡した。セックスの恍惚感に陶酔しながら、逆腹上死。 T・K子の死亡推定時刻は2日の午前11時30分と発表されたが、もっと前ではなかったか。なぜなら、押尾は2日のお昼12時に友人とランチをとっている。発表通りに午前11時30分に死亡したなら、その30分後に平気な顔をして友人とランチを食べられるか。さらに死後硬直は死後20時間が最高になることを考えると、死亡時刻は前の晩の深夜1時頃。正確に言えば8月2日の午前1時頃ではないか。女性に異変が起きた時、押尾は死んだ女性をそのままにして、同じレジデンスの別の部屋へ逃げた。とりあえずパニックから逃避した。ある程度、冷静になってから、昼のランチを友人とする。それを終えて、午後2時にヒルズの別の部屋へ帰宅。しかし考えがまとまらず、午後7時30分になって初めてエイベックスのマネージャーに携帯で連絡、「大変なことになってしまった。すぐ来てくれ」。マネージャーが駆けつけ、全裸で死んでいる女性を見つけて愕然となった。マネージャーが午後9時16分、救急隊に通報、救急隊員は午後9時27分に女性の死亡を確認。その時点で女性は、強度の死後硬直に陥っていた。しかしその時、押尾は姿を消していた。押尾はヒルズに、この他に2部屋の鍵を持っており、自由に出入りしていたという。
さて、死亡した女性を放置して、医師による蘇生措置をさせなかった行為は許しがたい。急死であったにしても、直ぐに医師か救急隊を呼ばなければならない。最低限の人の道というものがある。押尾は死亡した女性をどうしようとしたのか。山の中にでも埋めて捨てようとしたのか。押尾の背中にはタトュー(刺青)が彫ってあるという。卑劣と色欲という刺青なのか。
酒井法子(38歳)
どこへ消えたのやら。酒井法子が4日夜には、山梨県身延山付近にいたとみられるのだが。夫の高相祐一が、3日未明に、渋谷道玄坂の百軒店付近の路上で、警官隊6人に取り囲まれ、パトカーも2台出動した。高相の覚醒剤事件は、桜田門が3ヶ月前から内偵していたものだ。警官に囲まれた高相は、携帯で妻の酒井法子を呼び出した。 彼女は車で現場に来た。 帽子をかぶり、黒のサングラスに黒の上下で酒井法子を隠そうとした。 しかし彼女は、夫の逮捕シーンを見ると、泣きながら路上にしゃがみ込んだという。酒井法子と息子は、まさか富士の樹海をさ迷っているのでは。

福岡市城南区の市立小学校の男性教師(41歳)。
児童42人に平手打ちや足で蹴るという体罰を加えたとして、この教師が戒告処分になった。 5年生3クラスの多くが遠足で、学校配布のおやつ以外に、お菓子を持って行ったからだという。この話を聞いて、「今時」 という言葉が浮んだ。 学校が遠足でお菓子を配るのは、平等を考えてのことだろうが、今の時代、そういう平等はいらぬお世話だ。 100円か200円のお菓子で充分だから、貧困だから買えないという家庭はない。昔の貧しい時代の遠足は、お菓子を持ってくる子供は少なかった。なぜなら、お昼の弁当を持たせるだけでも親は大変だったのだ。 お菓子を持ってきても食べる子は少なかった。 それは持ってこないクラスの子に遠慮してのことだったような気がする。福岡の小学校の、こういうやり方を、平等の中の貧困という。

韓国朝鮮。
米国ワシントンに近い、あるレストランで開かれた北朝鮮脱北者の集まりがあったと韓国の朝鮮日報が記事を載せた。
今年6月、米国の地を踏んだ朝鮮人のキム・チョルギュン(30代)がいた。 「米国が私の亡命を受け入れてくれたが、まだ米国に来られない脱北者の為に、話したいことがある」と切り出した。キムは、「北朝鮮を脱出した後、タイの収容所に収監されていたが、米国に来るのに18カ月もかかった。多くの脱北者が米国に来ることを望んでいるが、手続きに長い時間がかかり、あきらめる脱北者が多い」。 米国行きを望んだ脱北者28人のうち、米国に来たのは8人だけ、今まで71人しか米国は受け入れていない」。キムは、米国が脱北者を受け入れないのは、米国のシステムに問題があると、米国を批判した。朝鮮人というのは、良くしても、何をしても、出てくるのは不満と非難だけ。なぜ韓国へ行かないのか、その理由は、同じ民族の韓国でも脱北者の受け入れは、もううんざりだと聞こえてくる。
(ムラマサ、鋭く斬る)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする