★サイパン、日本人・美人姉妹の失踪事件。
その闇は、どのくらい深かったのか。
懐中電灯を照らし、砂浜で借りたゴムボートに空気を入れながら、押し寄せる波の音に耳を立てていた。
一本のかぼそい懐中電灯以外は漆黒の闇、姉妹は入念な計画を十二分に話し合ったことにより、その作業中は何も言葉を交わさなかった。
そして出発の用意が出来ると、「さあ、行こうよ」と、姉が妹に声をかけた。
サイパン失踪事件、まだ遺体が見つかっていない。
不思議な事件であるが、この狭い島では隠れようがなく、状況的には死亡事件と断定する。
殺人なのか自殺なのかと問われれば、自殺の線が色濃い。
仲の良い姉妹だったそうだが、仲が良いから、ある意味、余りためらうことなく心中を決行できたのではないのか。
サイパン空港での入国時、イミグレでの二人の顔写真が大きく撮られ残っている。その2枚の写真をチェックすると、楽しいバカンスで来たような雰囲気にはどうしても見えない。何か暗い目をした、不安そうな印象に見える。
それほど裕福でもない二人が、今回のサイパン旅行には、格安航空券を使っても、国内分も含めてトータルで一人最低8万円はかかっている。土曜日に成田を発って、月曜日の早朝にサイパンを飛び立つ弾丸個人ツアーだ。バカンスを楽しむなら、やりくりをして1週間の時間は確保するだろう。カネと暇を持て余している気まぐれ弾丸ツアーなら、分からぬでもないが、この姉妹の場合、そうではない。
さて、心中の動機は何か、恋愛トラブル、不治の病、あるいはカネの問題が考えられるが、友人のフリーランサーに聞くと、父親は脱サラして、こだわりのリンゴ農園をやっているという、脱サラ農園というのは事業的にはかなり困難を伴うもので、父親の借金苦を我が身のものとして連帯保証などをやっていれば、自殺の動機付けは十分だ。自殺であっても、1年以上経っていれば生命保険の死亡保険金は下りるし、旅行保険で事故死扱いになれば倍額の死亡金額が支払われる。
日曜の夜10時17分、外は既に真っ暗な時間帯に姉妹はホテルを出た。
そこから舗装もされていないジャングルと形容した方が当たっている狭く険しい道を運転して、ウイングビーチと呼ばれる辺鄙な、誰もいないビーチにたどり着く。道端に駐車したレンタカーの中には、現金(ドル)、パスポートがそのまま残されており、砂浜にはタオルで包んだ車のキー、そしてゴムボートのパドルと空気入れを置いた。
それから、何も見えない恐ろしい漆黒の海にボートを手で漕ぎ出したとしたら、それはとても遊びとは言えまい。
物盗りなら現金(ドル)はないし、わざわざパスポートを車内に置いていったのも、身元の確認がすぐに出来ることを期待して、そしてパドルを置いていったのも、それを使う意味と術はなかったのだろう。
誰かにボートに乗ることを強要されたとか、海辺で殺されてから死体をボートに乗せられて流されたというのも、ホテルからの外出風景、残留品がきちんと置かれている状況からも考えられない。
姉妹の帰国便は翌朝の午前6時5分発デルタ航空だった。
ということは、午前4時頃には、サイパン空港に入るのが普通であり、その為にはホテルのチェックアウトは午前3時から3時半となる。そういう夜明け前のタイトなスケジュールにも関わらず、前日の夜10時17分、ホテルを出て、屈強な男でも近づかない暗闇のビーチに女性2人で行くというのは、ある覚悟がなければ無理な話だ。
サイパンのコーストガードは、2人が使っていたとみられるゴムボートをサイパン沖の40キロ地点で発見した。それには誰も乗っておらず、空気が抜けた状態だったという。子供用の浮き輪ならまだしも、パドル付きゴムボートというのは、簡単に空気が抜けるものではない。
さて、最後の夜のウイングビーチにシーンを切り替える。
その晩は雲もなく、月だけがサイパンの海を照らしていたという。
ゴムボートは砂浜から二人を乗せて離岸流に乗って沖に出た。
そして満天の星の下、姉の手が意を決したように伸び、空気バルブにそっと手をかけた。「ごめんね、ごめんね、この手を離さないで」
(じゅうめい)