今日は、田中昌人先生が亡くなって1周忌の日。
学生時代は、休講が多く、講義を受けた記憶はあまりない。そのころは、『人間発達の科学』、『人間発達の理論』を出され、その間に、『子どもの発達と診断』を乳児期前半から順次刊行されていった時期にあたる。
研究者というのは、田中先生のような方のことを言うとすれば、「研究者にはなれない」と思ったのもこの時期であり、今もその思いは続いている。
教えていただきたかったことはたくさんある。残念で仕方がないし、それができなかった自分のふがいなさでいっぱいである。しかし、今、それはかなわぬことである。先生の思索の跡をたどりながら、切りひらかれた発達研究の遺産をできるところで受けとめていきたい。
今日午前中から附属小学校の公開研究会。附属小学校の東側の障害児学級への階段をおおうモミジが紅く紅葉して美しかった。公開従業と研究授業を見て、授業研究と分科会討議に参加。
附属小学校公開研究会の終わる頃、雨。冷え込みが身体にしみた。
学生時代は、休講が多く、講義を受けた記憶はあまりない。そのころは、『人間発達の科学』、『人間発達の理論』を出され、その間に、『子どもの発達と診断』を乳児期前半から順次刊行されていった時期にあたる。
研究者というのは、田中先生のような方のことを言うとすれば、「研究者にはなれない」と思ったのもこの時期であり、今もその思いは続いている。
教えていただきたかったことはたくさんある。残念で仕方がないし、それができなかった自分のふがいなさでいっぱいである。しかし、今、それはかなわぬことである。先生の思索の跡をたどりながら、切りひらかれた発達研究の遺産をできるところで受けとめていきたい。
今日午前中から附属小学校の公開研究会。附属小学校の東側の障害児学級への階段をおおうモミジが紅く紅葉して美しかった。公開従業と研究授業を見て、授業研究と分科会討議に参加。
附属小学校公開研究会の終わる頃、雨。冷え込みが身体にしみた。