ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

『兄弟の育ちゆき』によせて

2014年07月24日 14時02分30秒 | 生活教育
7月に入り、暑い日々が続きますが、みなさまにはいかがお過ごしでしょうか。いつもお世話になっています。

このたび、元京都府立与謝の海養護学校保護者の山本民子さんの記録をまとめる作業のお手伝いをさせていただく機会を得ました。就学猶予をした後、宮津小学校の青木嗣夫先生の「特別学級」で学び、与謝の海養護学校の開校に伴って与謝の海養護学校に入学することとなった子どもさんの記録とともに、その兄を弟たちがどのように受けとめていったのかという発達の記録でもあります。このたび、『兄弟の育ちゆき』として製本がなされましたので、皆様や学生さん、また、障害のあるきょうだいをお持ちの方に読んでいただき、ご意見をいただければと思い、謹呈させていただきます。戦後障害児教育と福祉の実践や運動の研究の一環として、歴史の中に忘れ去られようとしているものをなんとか記録にとどめたいと思い、いろんな形で世の中に残していきたいという思いでもあります。
 この記録と出会ったのは、2011年11月のことでした。与謝の海養護学校づくりの先頭に立った青木嗣夫先生、大阪で重複の教育を担って児童詩を発表していた岡田道智先生、近江学園時代から与謝の海養護学校づくりに着目し、京都大学に赴任してからも深く関与していた田中昌人先生などが、この記録に目を通し、それを「すべての子どもにひとしく教育を」という言葉の内実として受けとめ、広めていったことを知りました。
 山本民子さんは、青木先生がお亡くなり、その後、この記録を田中昌人先生に託したということでした。しかし、田中先生もお亡くなりになり、年月がたってしまいました。非力にもかかわらず、解説を書かせていただいたものとして、この記録の意味をくみ取ることははじまったばかりとの思いです。丹後ちりめんの白をバックにして、夏の宿題の水彩を配した巻紙に、深い赤の表紙は、もともとの記録がなされた『赤いノート』を再現したものと、編集にあたった方は仰っています。編集にあたった方の思いがなければこの本は出来なかったものと思っています。それぞれ、思いが強いものですが、是非お目通しいただければと思います。
 1冊を大学の図書館に入れていただき、もう1冊を研究室においていただければと思っています。重複して受けとられた場合は、是非、ご活用下さればと存じます。お手数をおかけしますが、よろしくおねがいいたします。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿