ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

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記憶と記録-「探偵ナイトスクープ」に感動し・・

2011年01月08日 19時19分55秒 | その他
入試で、大学へ。画文集の原稿をかくのに悩んだ。講座会議のレジュメをかき、そして、いろんなメールをだした。
仕事は進まず、寒いこと、寒いこと。いろいろやることが多くて、講座会議の資料を添付してメールをだすのをわすれてしまった。

記憶・記録の重要性について、昨日の「探偵ナイトスクープ」の「身重の妻をおもう葉書の解読」で実感した。あわせて、奈文研の研究や技術が、人の生きた証を再度、照らすものとなったこともよかった。「遊び」も、ムダなことのように言われても、それが必要なのだとも思う。
そんなこともあり戦後障害児教育史をあらためて今年の重要課題とすることを決意。

戦後障害児教育史のページをつくろうとおもって、HPをいじる。昔つくったものをすこしさわったが、なかなか難しい。
資料として、この間、ブログにアップしてきた『桃山の教育を語る会』の冊子の関連部分を資料としてアップしてみた。



探偵ナイトスクープのHPより転載
『レイテ島からの葉書』(田村裕探偵)
大阪府の男性(65)から。私の父は新婚5ヵ月で召集され、フィリピンのレイテ島に出征し、私が生まれた昭和20年1月には、すでに戦死していたようだ。女手一つで私を育てた母の苦労は並大抵ではなかったが、その母も5年前に他界した。母の遺品を整理していて、出征した父からの葉書を2枚見つけた。それは鉛筆書きで、母が何度も読み返したためか、かなり磨り減っている。1枚は何とか読めたが、もう1枚はほとんど読めない。しかしその中に「身重であるお前」と読める箇所を発見した。父は母が私を身ごもっていたことを知っていたのか。それとも、知らずに逝ってしまったのか。父の葉書をなんとか判読してもらえないか、というもの。

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1 コメント

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施設づくりから学校へ (与謝の海養護学校の設立の原点)
2011-01-08 22:32:14
元京教組障害児教育部書記長

 与謝の海養護学校の設立運動は、最初から養護学校設立運動ではなく、施設づくりから学校づくりへの転換だったことを記載するの忘れていました。
 与謝の海養護学校設立について、京大経済学部の研究者などを中心に行財政分析の論文があったことを忘れていました。
 近日お届けしますので、与謝の海養護学校設立が京都府の財政状況の中でどんな位置をしめていたのか、義務教育学校と高校との財政比較などと当時、蜷川知事が与謝の海養護学校をつくるときに約束した言葉の意味などを知っていただければと思います。
 資料が重複していたらお許しください。
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