だまし絵展(兵庫県立美術館)を見に行ってきた。
展覧会では“だまし絵”を“イリュージョン”とも呼んでいた。イリュージョンというと、最近ではプリンセス天功の脱出マジックのような大掛かりなマジックのことを指して言われることが多いが、もともとは幻想、幻覚、錯視(錯覚)と言ったような意味合いで、極めて人間的な高度な脳の働きがあって初めて可能になる現象だ。動物にも錯覚のようなものはあるかもしれないが、幻想に思いを寄せる、幻覚を見る、また錯覚を楽しむといったことはないだろう。
初期の“だまし絵”として紹介されていたダブルイメージ、アナモルフォーズ、トロンブイユなどの手法はいわゆる錯覚、幻想といった意味での“だまし絵”とはちょっと違う気がした。
ダブルイメージは、「要素の集合体でイメージを表現する手法」と言う意味で印象派の代表的画家スーラらの点描画と同様の発想で、現代でも様々な色のペットボトルキャップを並べて構成した絵や色合いの異なる米で描く田んぼアートなどに通ずるものがある。
アナモルフォーズは道路に描かれた縦に長~い「止まれ」の文字も車から見るとちゃんとした文字に見えるという、あの原理だ。
アナモルフォーズの一例。
千円札を折って上から見ると...
なんか芥川龍之介みたいになってしまった野口英世さん。
下から見ると情けない。
トロンブイユは絵の中に現実の物があるように描く手法だが、写真がなかった時代には面白かったこの手法も、写真のある現代では一瞬シャッターを押すだけで作れてしまう。
ということで、本来的な意味での“だまし絵”と言えるものの登場は、本展でも紹介されているマグリット、ダリ、エッシャーに始まる20世紀を待たねばならないことになる。そして近代以降では立体造形による“だまし彫刻”とでもいうような試みも数多く発表されるようになっている。
さて、エラそうなウンチクはこのくらいにして錯覚の一例。
じっと見ていると円が回転しているように見えてきませんか?クリックで拡大して見ていただくとよく分かるはず。
さらに錯覚の一例。
何に見えますか?犬に見えましたか。一つ一つの黒い要素は不定形だけれどある配置で置かれると犬が見えてくる。
人間は、見えたものに必ず自分が知っている何らかのイメージを当てはめて見ようとする性向がある。岩や雲に顔や動物のイメージを見たりすることは誰でも経験があるはず。とりわけ人間は“顔”をイメージする傾向が強いらしく、多々ある怪談話もそうした人間独特の性向によるものだろう。
と、長々と書いてきたが、今回の失敗作。
ある動物の全身像に挑戦していろいろいじっているうちになにやらわけの分からない動物になってしまった。何に見えますか?
虎に見えたらあなたはちゃんと前頭葉が働いて正常に錯覚を起こしている“人間”です。おめでとう。
という、言い訳をするための長い、長~い前フリでした。