南風原文化センター
陸軍病院壕跡が「文化遺産」として保存されている。壕跡も見学できる。
単なる歴史資料館でなく、町と町民の平和への強い想いが伝わってくる。
国が遺族懐柔とアリバイ作りのために作った国策「平和祈念」公園なんかよりよほど訪れる価値がある。
沖縄戦、このバカげた戦争の本質、それは、
「日本軍は県民も国民も守らなかった!」
ただこの1点に尽きる。
沖縄戦終盤、劣勢の日本軍は軍病院を南風原村(当時)へ移した。
村民を動員し手掘りで病院壕を掘らせた。
女子学徒隊も動員され看護にあたった。負傷兵が亡くなると初期には埋葬もしたが、末期には麻酔薬もなく押さえつけて手術したり、亡くなると爆撃でできた穴に切断した手脚と一緒にゴミ捨て場のように放り込まれたという。
いよいよ戦況悪化しこの地も放棄し摩文仁へと死の行軍撤退。動けない者には青酸カリ入りのミルクが渡された。