知念グスク跡
南山王の出城だった。
玉城グスク跡
尚泰久王の次男、三津葉多武喜の居城。王の長女にして悲運の王女、百度踏揚も波乱の末に余生をここで閉じた。
知念グスク跡
南山王の出城だった。
玉城グスク跡
尚泰久王の次男、三津葉多武喜の居城。王の長女にして悲運の王女、百度踏揚も波乱の末に余生をここで閉じた。
陸軍病院南風原壕群20号
虚妄の「大東亜共栄圏」を旗印に、資源と労働力収奪を目的に侵攻した中国大陸、朝鮮半島、東南アジア、グァム・サイパン、ミッドウェーなどの太平洋諸島、ミクロネシア諸島を次々と奪還され本土決戦寸前まで追い込まれていた日本皇国軍。
本土決戦準備のための時間稼ぎの捨て石とされた沖縄戦。沖縄に配備された第32軍は、アメリカの大群上陸にもちこたえられず、住民を盾に犠牲にしながら南へ南へと敗退を繰り返し南端の地摩文仁で自らが鼓舞してきたはずの玉砕さえも果たすことなく、身勝手な自決で雲散霧消してしまうことになる。
陸軍病院南風原壕も首里から遁走してきた皇国軍が南風原住民を強制動員して手掘りで掘らせた病院豪群であった。そのほとんどは米軍の爆撃などで崩壊、現在その第20号豪だけが観覧可能な跡地として公開されている。
国が遺族懐柔とアリバイ作りのために作った国策「平和祈念」公園なんかよりよほど訪れる価値がある。
豪内に残されていた医薬品。
手掘りで壕を掘った時に使われたツルハシ。
憲法9条の碑。町民各世帯500円ずつ出し合って建立されたそうだ。町民の平和への強い決意がうかがわれる。
左は犠牲者慰霊(組まれた祈りの手)と平和への願い(上部が平和の象徴ハトの翼をモチーフ)を込めたモニュメント。