西山事件(にしやまじけん)/ウィキペディア
西山事件(にしやまじけん)は、1971年の沖縄返還協定にからみ、取材上知り得た機密情報を国会議員に漏洩した毎日新聞社政治部の西山太吉記者らが国家公務員法違反で有罪となった事件。別名、沖縄密約事件(おきなわみつやくじけん)、外務省機密漏洩事件(がいむしょうきみつろうえいじけん)。
概要 [編集]第3次佐藤内閣当時、米リチャード・ニクソン政権との沖縄返還協定に際し、公式発表では米国が支払うことになっていた地権者に対する土地原状回復費400万ドルを、実際には日本政府が肩代わりして米国に支払うという密約をしているとの情報をつかみ、毎日新聞社政治部の西山が日本社会党議員に漏洩した。
政府は密約を否定。東京地方検察庁特別捜査部は、西山が情報目当てに既婚の外務省事務官に近づき酒を飲ませ泥酔させた上で性交渉を結んだとして、情報源の事務官を国家公務員法(機密漏洩の罪)、西山を国家公務員法(教唆の罪)で逮捕した。これにより、報道の自由を盾に取材活動の正当性を主張していた毎日新聞は、かえって世論から一斉に倫理的非難を浴びることになった。
裁判においても、起訴理由は「国家機密の漏洩行為」であるため、審理は当然にその手段である機密資料の入手方法に終始し、密約の真相究明は検察側からは行われなかった。西山が逮捕され、社会的に注目される中、密約自体の追及は完全に色褪せてしまった。また、取材で得た情報をニュースソースを秘匿しないまま国会議員に流して公開し、情報提供者の逮捕を招いたことも、ジャーナリズムの上で問題となった。
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米国の公文書公開以降 [編集]沖縄返還協定の密約のもう片方の当事者であるアメリカ合衆国では、密約の存在を示す文書は既に機密解除され、アメリカ国立公文書記録管理局にて公文書として閲覧可能であるが、日本政府(自民党政権)は2010年まで文書の存在を否定し続けて来た[12]。
2005年4月25日に西山は「密約の存在を知りながら違法に起訴された」として国家賠償請求訴訟を提起したが、2007年3月27日の東京地方裁判所で加藤謙一裁判長は、「損害賠償請求の20年の除斥期間を過ぎ、請求の権利がない」とし訴えを棄却、密約の存在には全く触れなかった。
原告側は「20年経過で請求権なし」という判決に対し「2000年の米公文書公開で初めて密約が立証され、提訴可能になった。25年経って公文書が公開されたのに、それ以前の20年の除斥期間で請求権消滅は不当」として控訴した。密約の存在を認めた当時の外務省アメリカ局長・吉野文六を証人申請したが、東京高等裁判所は「必要なし」と却下した。
2008年2月20日、東京高裁での控訴審(大坪丘裁判長)も「20年の除斥期間で請求権は消滅」と、一審の東京地裁判決を支持し、控訴を棄却した。ここでも密約の有無についての言及はなかった。判決後の会見で西山は、「司法が完全に行政の中に組み込まれてしまっている。日本が法治国家の基礎的要件を喪失している」と語った。
原告側は上告したが、2008年9月2日に最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)は上告を棄却し、一審・二審の判決が確定した[13]。
2008年9月、西山を支持するジャーナリスト有志が外交文書の情報公開を外務省と財務省に求めたが、10月2日「不存在」とされた。これにより、西山側は提訴[14][15]。2010年4月、文書開示と損害賠償を命じる一審判決が下った。
さらに、アメリカの公文書公開によって、400万ドルのうち300万ドルは地権者に渡らず、米軍経費などに流用されたことや、この密約以外に、日本が米国に合計1億8700万ドルを提供する密約、日本政府が米国に西山のスクープに対する口止めを要求した記録文書などが明らかになっている[16]。
2009年9月16日、民主党主導の鳩山由紀夫内閣が成立した。外務大臣となった岡田克也は外務省に、かねて計画していた情報公開の一環として、密約関連文書を全て調査の上で公開するよう命じた。これにより設置された調査委員会が2010年3月、全てについて密約及び密約に類するものが存在していた事を認めた。また岡田は同年5月、作成後30年を経過した公文書については全て開示すべき事を定めた。
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2011年1月30日 - 沖縄密約情報開示訴訟原告団、「市民による沖縄密約調査チーム」を結成。日本側に残っている文書とアメリカ国立公文書記録管理局保管の文書を突き合わせて、欠落・廃棄部分は何か究明を目指す。
2011年5月17日 - 密約情報開示訴訟控訴審結審。判決言い渡しは9月28日予定。
2011年9月29日 - 密約情報開示訴訟控訴審判決。「政府が文書はあったが廃棄済みで存在しないと言っているからそれを信じるしかない」との趣旨で原告逆転敗訴。原告側は上告。 |