開始から1時間。結局、プレスの取材は上毛新聞社の1社だけ。その取材は、デジカメでテーブルにたむろしているぼくらの写真を何枚か撮って終わりだった。その若い記者は、スノーブーツでゲレンデの雪を慎重に踏みしめながら帰っていった。上毛新聞社にはスポンサー募集のCDを送ったのだが、たしかその所在地は前橋だったと思う。土曜日のこの時間、車を飛ばしても草津から帰れば帰社は夕刻になるに違いない。それから記事をまとめるとなると、帰宅は遅いのだろう。結構大変な商売だ。
もう取材に来るところはないだろうと、ぼくは今日の目玉のフォーメーションスキーのための準備をはじめた。ビンディングにブーツをセットして、さっきみんなの分をまとめて買っておいた1回券のリフト券を使ってリフトを登った。リフト降り場の下の斜面にたむろしているボーダー達に、ゲレンデ右側のロマンスリフト傍のコースを使わせてくれるようお願いする。そこにいたお子ちゃまボーダー達は、素直に言うことを聞いてくれた。かれらは、さきほどブースに来て一緒におしゃべりをしてくれていたやつらだった。
ぼくは、一人みんなから離れて、今日の発表会のことを考えているうちになんだか切なくなってきた。大勢の2chの仲間がスキー文化の創出に対して賛同してくれた。そして製作委員会と言う名の実行部隊が立ち上がって、映画製作のためのプロモーションビデオを創ってくれた。その映画のシナリオ発表会の当日。たくさん集まると思っていたプレスは、地元の新聞社1社だけだった。それでも救いは、ゲレンデのボーダーやスキーヤー達が冷やかしに覗いて行ってくれることだ。ぼくらは、なんのために昨年末から情熱を燃やしていたのだろう。やっぱり、素人集団ではできることに限界があるのだろうか。無駄な努力に終わるかもと思っていたが、ことさら世間の壁を思い知らされた。どう考えても素人じゃあ無理だよなあ・・・。
どうしようもない絶望感に囚われながら一人想いにふけっていると、ポケットの携帯がなった。ヒロコさんからだった。ユミちゃんをピックアップして、ホテルで着替えて駐車場に到着したとのことだ。ぼくはブースに置いてある、まとめて購入したリフト券を使って上まで登って来てくれるように伝えた。・・・どうしよう。3時間もかけてまたひとり、無駄な努力の犠牲者がやってくる・・・。
しばらくすると、リフトを登ってくるヒロコさんの姿が見えた。隣りに腰掛けているのがユミちゃんだろう。ゲレンデから手を振ると、ぼくを見つけたヒロコさんが手を振ってきた。リフトから二人が降りてきた。オフホワイトのスキーウエアーと淡いピンクのニットキャップに身を包んだユミちゃんは、半端じゃなくスキーがうまそうだ。長身のヒロコさんと並んで立っても小さくは見えないから、きっと身長は170cmに近いのだろう。ぼくよりも背が高そうだ。そして、ゴーグルとスキーウェアで顔の大部分が隠れているものの、見えている部分から彼女がかわいらしい顔立ちであることが見て取れる。女性には、第一印象で冷たい感じを受ける女性と、側にいるだけで暖かみを感じる女性と2種類いる。彼女は後者のほうだ。ゲレンデの雪が、ひょっとしたら遠慮して溶けてしまうんじゃないかと思えるぐらい彼女のまわりだけ明るく輝いているように見えた。彼女なら、フォーメーションを組んだぼくらの前を滑らせても絵になるに違いない。ぼくは、先ほどまで暗く沈み込んでいた気持ちが急速に晴れていくのを感じていた。取材が1社だけでもいい。胸を張って、やることはやろう。いまここで引くわけには行かないし、やらずに後悔するのはまっぴらだ・・・。ぼくは、暗い気持ちを振り払うように勤めて明るい声を出した。
「おせーよ(遅いよ)!」
目の前で止まった彼女に挨拶しようとして、ぼくは瞬時に固まってしまった。一瞬、彼女を会社の同僚と勘違いしたのだ。しかし、会社のどの娘とも違うことは一目瞭然だ。彼女の顔をどこかで見たことがあるような気がするが、それがいつだったか思い出せなかった。どこかで出合ったどころじゃなく、毎日にように顔を合わせていたような気もする。ぼくは、一生懸命、彼女が誰なのか思い出そうとするが名前がでてこない。しばらく彼女の顔をまじまじと見つめていたのだろう。ユミちゃんはちょっとあっけにとられたように笑顔で挨拶してくれた。
「はじめまして。ユミです・・・。」
ゴーグル越しに引き込まれそうな彼女の黒い瞳に目を奪われつつも、彼女の声に我に返ったぼくは大急ぎで返事をする。
「はじめまして。***です。じゃなかった。ヤノです。」
ニコニコ笑う彼女。思わず笑顔に引き込まれ見とれてしまう。ずーっと見ていたいと思わせる笑顔だ。ぼくは脳内で知人・友人のデータベースをすべて検索しつくして、次は芸能人のデータベースに進んでいた。ぼくは芸能人をあまりにも知らなすぎるため、ぴったり合致するデータを選び出すことができなかった。しかし、かろうじて彼女は少し前のNHK朝のドラマのヒロインに印象が似ていることを感じていた。毎朝、そのヒロインの顔を見ていたため、よく顔を合わせていた女性として勘違いしたのかもしれない。しかし、依然としてそのヒロインが誰なのか名前が出てこない。
ぼーっとしているとヒロコさんがお土産といって、ポケットから温泉饅頭をひとつ取り出してぼくにくれた。バスターミナルに迎えに行く途中にあった店で購入したらしい。あんこのタップリ入った饅頭はとてもなつかしい味がした。