次々に、山のもっと上にある振り子坂ゲレンデから降りてくる他のボーダーやスキーヤーたちに、リフト際のコースを開けてもらうように頼んでいると、ぼくの携帯が鳴った。イズミさんからだ。
「オーストラリアのテレビクルーが取材に来た!!どうしよう?」
ゲレンデのふもとのブースを見ると、一般のギャラリーが十数人に増えていて、その中に混ざってテレビカメラを背負った男がルソーくんを撮影しているのが見えた。
「オーストラリアのテレビ局ですか!?」 ぼくは携帯のイズミさんに問い返した。
どうやら、偶然にオーストラリアのテレビ局が観光地の取材のため草津に来ていて、ぼくらがやっているイベントが目に止まったらしい。興味を持ったスタッフが、ルソーくんに取材の申し込みをしたとのことだった。
「応対してくれよ」イズミさんが泣きそうになって頼んでくる。
「とりあえず待たしておいて、フォーメーションを先にやりましょうよ」
「わかった。すぐ行く」 イズミさんは、とりあえずガイジンの取材をかわせたことから渡りに船と言った感じで携帯を切った。
「じゃあ、そろそろやりましょう」 ぼくはヒロコさんとユミちゃんに言った。
「どこを滑るんですか?」 ユミちゃんの問いに、
「あの辺からだけど、ついて来てね」
ぼくは、緩めていたスキーブーツのバックルを一つ一つ締めると、小さくジャンプしてスキーのトップを谷に向け滑り出した。と、その時だった。やや、重たい天狗山ゲレンデの新雪の上をスキーを滑らせるため、谷足を意識的に前に送り込んでいたスキーの抵抗が急に軽くなった。・・・なにが起こったんだあ!?。急にスキーの抵抗が小さくなったため、谷足のスキーのトップが思いのほか回り過ぎた。その結果、気がつくとスキーのトップが山頂を向いていて、ぼくはクの字に雪面に手をついて後ろ向きに斜面をずるずるずりすべり落ちていた。体勢をそこから立て直そうにも、どうにもならない。リカバリーができない状態で、そのままずり落ちていく。そして、スキーのビンディングが外れて、ぼくは顔から雪面に突っ込んだ。
「いやー、まいった。まいった。」
転んだ拍子に脱げてしまったニット帽子を拾い上げ、雪を払っていると
「大丈夫ですか?」
ヒロコさんが、聞いてきた。ぼくは考えられないようなこっけいな体勢で転んだらしい。
「死んではいない」 ぼくはそう答えるほか無かった。ユミちゃんがおかしくてたまらないといった顔でぼくを見ていた。
「どうした?ビンディングが甘いのか?」 リフトを降りてかっとんで来たイズミさんがぼくに聞く。
「へへへッ。とりいあえずぅ・・・カシャ」 コスギくんがゴーグルを付け直しているぼくをデジカメで写真を撮りながら言う。それを言うなら<きゃー、すてきー>を忘れていると思うんですけど・・・。
ふと見ると、イズミさんがユミちゃんの顔を見て固まっている。彼もまた、ぼくがしたようにユミちゃんに対してデ・ジャ・ビューを感じながらも、どこであったのか思い出せずに無限ループに陥っているのであろう。口をポカンとあけたまま、ユミちゃんの顔を凝視して思い出そうとしている。あんまり若い女性の顔を見つめると失礼だよ・・・。
「誰かが手を振ってますよ」 ヒロコさんが教えてくれた。見ると、はるかゲレンデのふもとのレストハウス入り口のところで、スキーウエアを着た2人連れの女性の一人が、大きく手を振っていた。手を振っている方の女性は、おそらく高校生ぐらいの年齢の子であろう。彼女の手のウェーブがあきらかにぼくらのグループに向けられたものだったので、ぼくも<おーい!!>声をだしながら大きく手を振り返えした。ぼくの反応を見て、相手の子が遠くで笑い転げている。ぼくが一生懸命に手を振っていると、ユミちゃんがあきれたようにぼくを見ていた。
ぼくらが滑ろうとしているコースを、ゲレンデのボーダーやスキーヤーたちが並んで立って立ち入り禁止にしてくれている。その列の真ん中辺には、例の渋峠で出合った7人組がいた。いま、天狗山ゲレンデのほとんどの人が、僕らのすべりを見守ろうとしていた。
「イズミさん。フォーメーションのセンターお願いできないスか?」 ぼくは傍らに立っているイズミさんに聞いた。実は、さっきの転倒で、ぼくはすっかり弱気になっていたのだった。ゲレンデを滑っていて、滑る雪質から急に滑らない雪質に変化することは良くある。急に制動がかかってスピードががくんと落ちてしまうのだ。しかし、この滑走抵抗が大きくなる雪質の変化は、高速から低速への変化のため対応は簡単だ。体が前に投げ出されそうになるが、ブーツがそれを防いでくれる。しかし、その逆で、滑走抵抗が急に小さくなる場合の対応は難しい。ちょうど、急にアイスバーンに乗ってしまったような具合になる。体が置いてかれることで、ポジションが後ろになり、スピードコントロールが難しくなるのだった。
「花粉症で目が痒くて、斜面が良く見えないんスよ。雪の状況が分からないから、うまく滑れないス。」
と言うぼくに
「ダメ!!!ヤノくんがセンターでフォーメーションを失敗しても、だれも文句は言わねーよ。だけど、他のヤツがセンターをやって失敗したら、だれも絶対納得しない!!」
イズミさんは、いつになく真顔で強く主張した。コスギくんが<そうだ。そうだ。>とうなづいている。
「分かった。」
イズミさんの剣幕に驚いたぼくは、しぶしぶ彼らにしたがうことにした。
「ユミちゃんは、先を自由に滑ってください。我々は4人ならんでその後を追っかけます。」
「え゛ー。どう滑ればいいの?」
急に話をふられたユミちゃんがコースに目をやりながらびっくりして問いただしてきた。こんなにも、ゲレンデにギャラリーが集まるとは思っても見なかったのだろう。コース脇に並んだギャラリーに一番驚いているのは、実はぼくだった。
「コースは任せるよ。とりあえずリフト際を。」
ぼくは、できるだけぶっきらぼうに(見えるように)答えた。たぶん、彼女は基礎スキーの公式戦かあるいはバッチテストでギャラリーに見られながら滑った経験があるように思う。リフトの降り場からたった10m程度しか滑っているところを見ていないが、彼女は体のあらゆるところに気を使って丁寧に滑っている様子が充分に見て取れたし、それが彼女のいつもの滑りになっているようだった。
ユミちゃんを先頭にして、ぼくの右側にイズミさん、左にコスギくんが並んだ。そしてぼくの後ろをヒロコさんが滑る。十字型のフォーメーションだ。
「よし行こう」
ぼくは、ストックをぽんと交差させるとユミちゃんに合図を送った。
こんな時、女性の方が度胸があるのかもしれない。ぼくが言うや否や、ユミちゃんは雪面を小さく蹴って滑り出した。小気味の良いショートターンの連続。しかも、個々のシュプールは上下に落差が大きい。ぼくらは、あわてて彼女に引き離されないように飛ばしてすぐ後ろをついていった。彼女のシュプールをそのままトレースしてぼくが滑る。そして、ぼくのターンのタイミングに合わせて、両翼のイズミさん、コスギくん、後ろのヒロコさんがターンをする。こうすることで、ぼくとユミちゃんはシンメトリックな動きで、ぼくと他3人はシンクロナイズした動きになった。センターを滑るぼくは、ひたすらユミちゃんの後にくっ付いてシュプールをトレースだけでいい。彼女のターンのタイミングに合わせて、ぼくらもターンする。いくつかのターンを繰り返したあとで、無理に合わせなくても自然に彼女のリズムに合い、ぼくら5人は完全にシンクロすることができた。センターを滑るぼくは、ターンする度にイズミさん、あるいは、コスギくんとぶつかりそうなスリルを味わいながら、それでも、ぼくは彼らが絶対ぼくとぶつかることはないと信じて滑っていた。
ぶっつけ本番にもかかわらず、ぼくらは完全に息が合っていた。本来ならば、フォーメーションスキーを決めるためには、それなりの準備とかなりの練習時間が必要である。いくら、スキーがうまくても、ぴったりくっついてスキーヤー同士が交錯しそうになりながら滑るには、それぞれのスキーヤーのターンのタイミングをぴたりと合わせる工夫と、お互いの強い信頼関係が必要である。ユミちゃんを除くぼくらは、前回の志賀高原のOFF会で何度も号令を掛けながら滑って息を合わせる練習をした。うまく滑るコツは、その一つとしてスキーヤーの配置にもあった。列の中心を滑るセンタースキーヤーは、ひたすら正確に一定のリズムで滑ることだ。その隣りを滑る左右のスキーヤーは、センタースキーヤーの動作を見て、ターンのタイミングを計る。難しいのは、左右のスキーヤーのターンのタイミングと、かれらが滑る斜面のコブの位置が合っていないことにある。したがって、左右のスキーヤーは、コブのトップだろうがボトムだろうが、コブのどんな場所でもターンをする高い技術が必要とされる。2列目以降を滑るスキーヤーもまた難しい。前のスキーヤーとシンメトリックにターンを見せる場合、あるいは、シンクロさせて見せる場合、いずれの場合においても、前のスキーヤーの転倒などのアクシデントに対応できるように細心の注意を払いながら滑ることが必要だ。さもなければ、転倒した前のスキーヤーと激突してケガをしてしまうだろう。
ぼくらは、まるでジェット機の編隊飛行のようにぴったりと息を合わせていた。このまま、互いに交錯せずにレストハウスそばのブースまで滑ればゴールだ。