言うまでもなく、松本清張原作の日本映画を代表する一本。
底辺から這い上がるのは簡単だと思っていた。実は底辺と呼べる仮住まいの地はなくて、どこまでもどこまでも落ちていく漆黒の暗闇であることを知った。人は、「砂の器」を見て、なぜ、涙するのだろう。絶対的な差別を当然のごとくするにもかかわらず、自分がその状況に置かれた時を思って哀れんで泣くのだろうか・・・・・・。
だれもが、幼い頃に海べりの砂浜で遊んだことがあるだろう。砂浜に作られた砂の器。砂で形を形成できるのは、砂の湿り気による。液架橋力と呼ばれる作用である。しかし、水分が乾燥してなくなれば、砂はもとのバラバラの粒子に帰る。したがって、放置された砂の器は、時間とともにしだいにサラサラ崩壊していく。崩壊が運命付けられた砂の器。子供たちは何故、砂遊びに夢中になるのだろう。人はもともと創造する楽しみと破壊の喜びを持っているのかもしれない。砂遊びの子供を見て、いつもそう思う。
砂の器。実は鋳物を作るときに砂の器を使う。どろどろに熔かした鉄を砂でできた型に流し込むのだ。冷えて固まった鋳物を取り出す際に、砂型はたやすく崩壊して中の物の取り出しを容易にする。この時に砂を固めるのにフェノールレジンなどの樹脂が使われる。鋳込むときに樹脂が燃えて灰になる。この時に発生する悪臭や、砂型をばらす時に発生する粉塵から典型的な3K職場にならざるを得ない。砂は熱伝導率が低いため、熔けた鉄の凝固がゆっくり起こり欠陥を抑制できるメリットもある。
砂のお城。サンドキャッスル。松任谷由実の『ドーンパープル』という1991年のアルバムに収録されている。日曜日の早朝、逗子方面から、七里ヶ浜の JJ.monksに行く時に良く聞いていた曲だ。七里ガ浜を望むテラス。新鮮な魚や野菜を使った多彩なメニューが並ぶ店だ。久しぶりに思い出して行ってみたら、そのJJ.monksはなくなっていた。ぼくが学生の頃よく行っていた店なので、かれこれ20年以上営業していたはずだ。国道134号線沿いで七里ガ浜のシンボル的存在だった。永遠に存在すると勘違いしていた・・・・・・。
♪世界で一番 幸せと信じてた
もういつだってゴールインねと
からかわれてた
砂のお城に住んでた
プリンセスとプリンスね
Somebody to kiss, Somebody to hug, Somebody to love♪ by Yumin
彼らの恋は、崩壊するのが運命だったのだろうか?互いに大切に思っていても、知らぬうちにサラサラ崩れていってしまう。気がついたときには、どうしようもないくらい修復ができなくて・・・・・・。砂の城なら、乾燥させない、樹脂で固める、水分を補給する、あるいは凍結させてしまうなどで崩壊を抑制することができるのだが。人は何故、創造する楽しみと破壊の喜びを併せ持っているのだろう。