この事故で生存を分けたのは、沈没の際に人々が居た場所だった。1階と2階の客室にいた5名は、船の沈没があまりにも早かったため逃げ遅れ、沈んだ船の船室で遺体となって発見された。
海上で遺体となって発見された2名は、生存者らの言葉によれば船からの脱出に成功したものの救命ボートにたどり着けず、大荒れの海で命を落としたものと思われる。
船のあまりにも早い沈没の原因がなんであるのかは、まだわかっていない。だが、沈没の直接の原因となったのは、生存者の話によれば、まちがいなく竜巻状の風によってもたらされた大波である。そして、これまでの多くの竜巻による事故が示すように、発生の予測はもちろんのこと、竜巻をかわすことはできなかった。
ただ、竜巻に襲われたのがまだ乗客たちが眠りにつく前でよかった。竜巻の襲来がもっと夜更けで、乗客たちが階下の客室で休んでいた時であったら、被害はもっと大きなものになっていたのかもしれない。
危ういところを、窓ガラスをぶち抜いて、からくも脱出した日本人のダイビングインストラクター。インストラクターたちは水中での危機管理として、身の回りのリスクに対して、そのリスクを回避する方法を常々考える訓練をしている。だから、船が転覆するというような危機に遭遇しても、冷静に行動ができるのだろう。
この海難事故の後、ダイブアジアジャパンのホームページは、事故に対する謝罪のページを残して、それ以外の関係するポータルサイトはすべて閉じられてしまった。さらに、ダイブアジアジャパンは、ダイビングに関する一切の営業を停止した。旧経営者は退陣し、新経営者で営業を行うことになった。営業の再開は、事故の全容が解明されるであろう2009年の11月以降を目指しているようだ。