歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

小川の地蔵様 /小泉八雲「漂流」より

2014年10月07日 | 小泉八雲
10月4日、四谷区民センターで『小泉八雲没後110年記念公演「漂流」』を聴きに行く。
会場でいただいた資料の中で 『八雲の「漂流」について』 に興味を抱いた。文章に(注)がなく、それだけではわからない部分が多かったが、それを調べるうちによけいに興味がわいてきた。

「小川の地蔵様」って何なのだろう。
室町時代のこと、城之腰村(現、焼津市城之腰)の沖の海で毎晩光るものがあり、村の人たちは不思議がっていた。ある日、猟師が鰯をとるために網を仕掛けて引き上げたところ、1mほどもある木のお地蔵さんがかかっていたという。しばらくして、そのお地蔵さんをこの浦の西の安養寺(今は海蔵寺、現・焼津市小川)(注1)に祀り、本尊とした。延命地蔵大菩薩あるいは川除地蔵尊とも呼ばれ、大井川の水神様でもあったようである。同寺の寺号も「海蔵寺」に改めた。
(注1)創建時期は不明だが、もとは、天台宗宝城山安養寺といい後白河院の勅願所であったが、嘉元三年(1305)一遍上人の弟子の遊行二祖他阿真教上人が同寺を訪れた時、住職・勧海律師が同上人に帰依して、寺を時宗に改めたという。

小川は「こがわ」と読む。中世は遠江国志太郡小川村にあった。長谷川平蔵の先祖である長谷川政宣こと小川法永(注2)を「おがわ ほうえい」と読んでいたのだが、「こがわ ほうえい」となる。
(注2)小川法栄(1430?-1516?): 法永、豊栄、宝永とも書かれることがある。

「漂流」で、万延元年(1860)のこと、主人公の天野甚助が紀州沖で暴風に会い、乗っていた舟が転覆してしまった。小川のお地蔵様に、一晩中お助けを乞うたという。二日二晩漂流した後、播州の舟に助けられ九鬼の港(現、尾鷲市九鬼町)に着いた。九鬼湾は熊野水軍の拠点のひとつで、九鬼水軍発祥の地である。
この九鬼の港には一度行ったことがある。海のそばにある九木神社(祭神菅原道真)にも訪れた。

関連情報
海老名市・浄久寺 長谷川正成建立の菩提寺
 長谷川長重-政宣(小川法永)-元長-正長 と続く
 政宣は正宣と書くものがあるが、寛政重修諸家譜に倣って政宣とした。
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熊本市・冨重写真所 国内最古級、開業145周年を迎える

2011年09月08日 | 小泉八雲
 江戸時代末期に開業し、営業を続ける写真館としては国内最古級とされる熊本市新町の「冨重写真所」が今年で開業145周年を迎える。
 冨重写真所は、国内初の写真家(写真師)として知られる上野彦馬(1838-1904)に師事した福岡県柳川市出身の冨重利平(1837-1922)が、1866年に地元で開業し、1871年、明治政府からの招きを受けて熊本に移転(注1)した。
 西南戦争(1877年)で焼失する前の熊本城の天守閣を撮影(注2)しており、熊本市が1960年に熊本城を再建する際に参考資料とした。 西南戦争で写真所は焼失したが、写真機材、ガラス原板を持ち出し、貴重な機材や記録はその後も代々大切に引き継がれてきた。 焼失した年に再建された木造2階建ての建物は、現在も店舗として使われており、2006年に国の登録有形文化財に指定された。
 保管している写真には、89年の第五高等中学校(現在の熊本大)の正門、また、同中学校を前身とする旧制五高で教壇に立った小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)(注3)や夏目漱石(注4)、日露戦争の第三軍司令官・乃木希典将軍(1849-1912)ら数々の肖像写真も残されている。
 開業145周年の記念展が9月9日(金)より熊本県伝統工芸館(熊本市)で開かれる。10月2日まで。
[参考:読売新聞、熊本県伝統工芸館HP]

(注1) 1870年熊本県玉名市で開業、同年熊本市新堀町で開業の後、翌1871年現在の熊本市新町で開業した。
(注2) 1871年(明治4年)にエドワード・モースが撮影したものも残っている。
(注3) 小泉八雲(1850-1904)は1891年(明治24年)11月、熊本市の旧制五高の英語教師として赴任し、1894年(明治27年)10月までの3年の間熊本に住んだ。 1891年1月にセツ夫人と結婚し、よく本の中に使用されているセツ夫人と揃って撮った写真が残っている。(1892年の撮影となっている。)
(注4) 夏目漱石(1867-1916)は1896年(明治29年)4月、熊本市の旧制五高の英語教師として赴任し、1900年(明治33年)5月、文部省より英語研究のため英国留学(10月から)を命ぜられ、7月に帰京するまでの、4年3ヶ月の間熊本に住んだ。
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エライザ・シドモア提唱によるワシントンD.C.のポトマック河畔の桜が2012年に100周年を迎える

2010年04月11日 | 小泉八雲
 ナショナル・ジオグラフィック(日本版)2010年4月号の記事、『日本の百年』の中の「桜を愛した米国女性の一生」で、The National Geographic Society (NGS)1914年7月号「若き日本」の取材で米国人ジャーナリスト、エライザ・シドモア(Eliza Ruhamah Scidmore、1856-1928)の言葉「4月の陽光を浴びて咲く桜ほど、理想的なものはない」を、当時撮った写真とともに紹介していた。
 シドモアは1884年に初来日して以来、桜に魅了され、日米友好の証として、ワシントンD.C.のポトマック河畔に桜を植えることを提唱した人と知られる。東京市(市長・尾崎行雄)と大統領夫人(ヘレン・タフト)の協力を得て、1912年に植樹が実現した。再来年は、100周年を迎える。
 さらに、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、1850-1904)も「日本の庭にて」で、親交のあったチェンバレン教授(B.H. Chamberlain)(1850-1935)から、「ヨーロッパのどんな花も比較にならないほど美しい」と紹介し、自らも桜の花を武士の生き方に例え「高い礼節と、きめ細やかな情感と清廉潔白な生き方の象徴」と賛美している。
小泉八雲が来日したのは1890年であるから、シドモアは八雲より6年も早く来日している。二人に交流があったかはわからない。

2010.6.12追記
 2012年は、米国・ワシントンDCのポトマック川沿いにある桜並木が、日本から友好の証しとして贈られて100周年に当たる。 桜並木の実現は、エリザ・R・シドモア(注1)と当時の大統領夫人ヘレン・H・タフトの2人の女性によるところが大きいが、その実現を果すためには、多くの関係者の苦労と努力があった。
(注1) エライザ・シドモア(Eliza Ruhamah Scidmore、1856-1928)は、講談社学術文庫ではエリザ・R・シドモアと表記している。

 タフト大統領の出身地・オハイオ州シンシナティ市立クローン植物園では4月~6月に「日本のチョウ展」を開催した。 オオムラサキ、オオゴマダラ、ナガサキアゲハ、リュウキュウアサギマダラ、アゲハの5種類計900頭のチョウを育成し発送したのは、足立区生物園(足立区保木間2丁目)。 ちなみに、ポトマック川沿いの桜並木の桜の穂木には植物学者三好学博士の助言により、荒川堤(現足立区)の桜が使われている。


 写真は足立生物園のオオゴマダラと龍谷寺(盛岡市名須川町)のモリオカシダレ(国・天然記念物)。
 モリオカシダレは大正9年(1920)、三好学博士が龍谷寺で新種として発見した。 龍谷寺は石川啄木(1886-1912)の伯父・葛原対月(妹が啄木の母)が住職(1871-1892)をしていた。 少年時代の啄木は、しばしばこの寺を訪れて、伯父対月から詩歌の手ほどきを受けたと伝えられる。
 エライザ・シドモアが初来日したのは1884年秋であるが、観桜したと初めて記されるのは1886年4月浜離宮でのことである。 この年に啄木が生まれている。

2011.4.15追記
 外務省のホームページでも2月付けで、「日米桜寄贈100周年」として掲載されている。
 この記事を載せたときから懸念していたが、すなわち「1912年3月27日にタフト大統領夫人と珍田大使夫人によってワシントンDCのポトマック河畔に植樹されました。」と記され、最大の功労者であるエライザ・シドモアの名前が消されてしまっていること。現地のポトマック河畔の説明文でも同様に、植樹に立ち会った珍田大使夫人がいかにも功労者のような書き方には本当の歴史が失われてしまう。

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新宿区内の小泉八雲の旧居跡を尋ねる

2010年04月05日 | 小泉八雲
 今頃になって、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の本を真剣になって読んでいます。日本人が忘れかけている、日本の原点をよく著していると思います。当時の景色や神社・寺院などの描写を記している部分は、場合によっては現状と比較でき興味あるところです。
 桜の季節、新宿区内にある小泉八雲の旧居をメーンに尋ねました。

1.新宿区立小泉八雲記念公園 (新宿区大久保1-7)

 西武新宿駅を降りて、まずは小泉八雲記念公園を訪れました。ここは、平成5年4月に開園されました。
 ギリシャの古代神殿の柱と花壇をイメージした庭園があり、駐日ギリシャ大使から贈られた小泉八雲の胸像が建てられ、在日アイルランド大使から贈られた、八雲が子供の頃を過ごしたアイルランドのダブリンの住宅にあるプレートと同じものが囲いの壁に埋め込まれています。
 庭の手入れが行き届いていて、花がきれいに咲いています。

2.大久保「小泉八雲旧居跡」(新宿区大久保1―1―21)

 小泉八雲記念公園の前の大久保小学校正門脇には、「小泉八雲舊居跡」と刻まれた石碑と「小泉八雲終焉の地」の碑が建てられています。
 明治35年(1902)3月19日に、旧板倉子爵邸を買い取って市谷富久町より移転して、ここに住みました。明治37年(1904)9月26日に心臓発作により、ここで亡くなりました。

3.稲荷鬼王神社(新宿区歌舞伎町2-17-5)

 小泉八雲記念公園からは南へ200mのところ、歌舞伎町の裏手に当たります。全国唯一の鬼の福授けの社として知られます。
 天保2年(1831)、大久保村に氏神として稲荷神社(祭神:宇迦之御魂神)が創建され、宝暦2年(1752)に熊野から鬼王権現(祭神:月夜見命・大物主命・天手力男命)を勧請します。天保2年(1831)に稲荷神と鬼王権現を合祀し、稲荷鬼王神社と改名されました。
 境内の貼りチラシに、「9月中旬例大祭時、御輿渡御だけでなく地元の歴史を振り返る企画地元ゆかりの文豪・小泉八雲、島崎藤村の業績を顕彰する行事と昭和の時代に神社門前に映画館があった事に因みチラシやパンフ等昭和の映画資料、300点近くを境内で無料展示しています。」と記されていました。

4.抜弁天・厳嶋神社(新宿区余丁町8-5)

 稲荷鬼王神社から600mほど東にあり、この周辺の高台にある小さな神社ですが、由緒は古く、応徳3年(1086)、源義家が後三年の役(1083~1087)で奥州平定に向かう途中ここに宿営し、この時、遠く富士山を望み、さらにその先の安芸・厳島神社に戦勝を祈願。そして奥州平定を果たした後、戦勝のお礼のためこの地に神社を建立し、厳島神社を勧請したと伝えられます。
 義家がこの地に立ち寄り、祈願して苦難を切り抜けたという伝説と、また境内参道が南北に通り抜けできることから「抜弁天」ともいわれています。江戸時代の地図にも、厳島神社でなく抜弁天の名前が記されています。その地図と地形からも、参道が南北に通り抜けできることから「抜弁天」という説がぴったりという感じです。源義家が新宿区内に建立したといわれる神社としては、ここが唯一のようです。

5.富久町「小泉八雲旧居跡」(新宿区富久町7-30)

 次は約2km離れた場所、市谷富久町の旧居跡。成女学園の中庭が八雲の旧居跡で、靖国通りに面した同学園敷地内に、「小泉八雲舊居跡」の碑があります。
 八雲は明治29年(1896)9月28日から西大久保に移転する明治35年(1902)3月19日までここに住みました。
 成女学園は明治39年(1906)に麹町より移転してきました。

 参考:島根県松江市「小泉八雲舊居跡」

  明治24年(1891)6月22日から同年11月15日まで住みました。

6.自證院圓融寺(新宿区富久町4-5)

 富久町の小泉八雲旧居の東には自證院圓融寺があります。江戸時代には大きな境内がある瘤寺と呼ばれた寺院でした。明治の初め、明治維新政府の社寺上地令により境内地と墓地の一部を残して寺領の大半は国有地として没収されてしまいました。
 八雲が住み始めたころはまだ、たくさんの木が残っており、お気に入りの場所で、住職とは懇意にしていたそうです。そのうちに、経済的な困難もあり、墓地は中野区上高田に移転、改葬が行われ、広大な寺域も樹木の伐採と寺地が縮小され、それに嫌気をさして大久保に移転しましたが、亡くなった後、葬儀はこの圓融寺で行われました。また、墓は雑司が谷霊園に建てられました。
 昭和20年4月13日の東京大空襲によって、本堂など一切は灰燼に帰してしまい、現在の本堂、庫裡は昭和 52年に再建したものです。
 境内に立つ板碑は、阿弥陀、観音、勢至の三尊の種子が刻まれ、その下に弘安6年(1283)の記年銘が刻まれている区内最古のもので、昭和59年に区文化財に指定されています。
■過去の関連ニュース・情報
 2010.2.28長谷川等伯作「枯木猿猴図」の所有者の変遷と消失→自証院

7.新宿歴史博物館(新宿区三栄町22)
 最後は、新宿歴史博物館で「佐伯祐三展-下落合の風景-」(3月27日~5月9日)が開催されており、観てきました。
 新宿区立佐伯公園(新宿区中落合2-4-22)には何度か足を運んでおり、非常に興味がありました。40点ほどの作品が出品され、そのうち「下落合風景」が13点も含まれています。テニスをしているところ、あるいはスキーをしているところを描いた作品もあり、当時の下落合の状況を知る上でも参考になります。
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