10月4日、四谷区民センターで『小泉八雲没後110年記念公演「漂流」』を聴きに行く。
会場でいただいた資料の中で 『八雲の「漂流」について』 に興味を抱いた。文章に(注)がなく、それだけではわからない部分が多かったが、それを調べるうちによけいに興味がわいてきた。
「小川の地蔵様」って何なのだろう。
室町時代のこと、城之腰村(現、焼津市城之腰)の沖の海で毎晩光るものがあり、村の人たちは不思議がっていた。ある日、猟師が鰯をとるために網を仕掛けて引き上げたところ、1mほどもある木のお地蔵さんがかかっていたという。しばらくして、そのお地蔵さんをこの浦の西の安養寺(今は海蔵寺、現・焼津市小川)(注1)に祀り、本尊とした。延命地蔵大菩薩あるいは川除地蔵尊とも呼ばれ、大井川の水神様でもあったようである。同寺の寺号も「海蔵寺」に改めた。
(注1)創建時期は不明だが、もとは、天台宗宝城山安養寺といい後白河院の勅願所であったが、嘉元三年(1305)一遍上人の弟子の遊行二祖他阿真教上人が同寺を訪れた時、住職・勧海律師が同上人に帰依して、寺を時宗に改めたという。
小川は「こがわ」と読む。中世は遠江国志太郡小川村にあった。長谷川平蔵の先祖である長谷川政宣こと小川法永(注2)を「おがわ ほうえい」と読んでいたのだが、「こがわ ほうえい」となる。
(注2)小川法栄(1430?-1516?): 法永、豊栄、宝永とも書かれることがある。
「漂流」で、万延元年(1860)のこと、主人公の天野甚助が紀州沖で暴風に会い、乗っていた舟が転覆してしまった。小川のお地蔵様に、一晩中お助けを乞うたという。二日二晩漂流した後、播州の舟に助けられ九鬼の港(現、尾鷲市九鬼町)に着いた。九鬼湾は熊野水軍の拠点のひとつで、九鬼水軍発祥の地である。
この九鬼の港には一度行ったことがある。海のそばにある九木神社(祭神菅原道真)にも訪れた。
関連情報
海老名市・浄久寺 長谷川正成建立の菩提寺
長谷川長重-政宣(小川法永)-元長-正長 と続く
政宣は正宣と書くものがあるが、寛政重修諸家譜に倣って政宣とした。
会場でいただいた資料の中で 『八雲の「漂流」について』 に興味を抱いた。文章に(注)がなく、それだけではわからない部分が多かったが、それを調べるうちによけいに興味がわいてきた。
「小川の地蔵様」って何なのだろう。
室町時代のこと、城之腰村(現、焼津市城之腰)の沖の海で毎晩光るものがあり、村の人たちは不思議がっていた。ある日、猟師が鰯をとるために網を仕掛けて引き上げたところ、1mほどもある木のお地蔵さんがかかっていたという。しばらくして、そのお地蔵さんをこの浦の西の安養寺(今は海蔵寺、現・焼津市小川)(注1)に祀り、本尊とした。延命地蔵大菩薩あるいは川除地蔵尊とも呼ばれ、大井川の水神様でもあったようである。同寺の寺号も「海蔵寺」に改めた。
(注1)創建時期は不明だが、もとは、天台宗宝城山安養寺といい後白河院の勅願所であったが、嘉元三年(1305)一遍上人の弟子の遊行二祖他阿真教上人が同寺を訪れた時、住職・勧海律師が同上人に帰依して、寺を時宗に改めたという。
小川は「こがわ」と読む。中世は遠江国志太郡小川村にあった。長谷川平蔵の先祖である長谷川政宣こと小川法永(注2)を「おがわ ほうえい」と読んでいたのだが、「こがわ ほうえい」となる。
(注2)小川法栄(1430?-1516?): 法永、豊栄、宝永とも書かれることがある。
「漂流」で、万延元年(1860)のこと、主人公の天野甚助が紀州沖で暴風に会い、乗っていた舟が転覆してしまった。小川のお地蔵様に、一晩中お助けを乞うたという。二日二晩漂流した後、播州の舟に助けられ九鬼の港(現、尾鷲市九鬼町)に着いた。九鬼湾は熊野水軍の拠点のひとつで、九鬼水軍発祥の地である。
この九鬼の港には一度行ったことがある。海のそばにある九木神社(祭神菅原道真)にも訪れた。
関連情報
海老名市・浄久寺 長谷川正成建立の菩提寺
長谷川長重-政宣(小川法永)-元長-正長 と続く
政宣は正宣と書くものがあるが、寛政重修諸家譜に倣って政宣とした。