大阪府文化財センターなどが24日、大阪府高槻市上牧町3丁目の上牧(かんまき)遺跡で、古墳時代初頭(3世紀前半)に出現し、古墳時代後期(6世紀前半)まで継続した集落跡が見つかったと発表した。
遺跡は淀川右岸にあり、昨年11月から約4000㎡を発掘した。
建物跡はこれまでの調査結果と合わせ、竪穴建物と掘立柱建物、計約30棟が確認されている。
◆竪穴建物は、建物の中軸が正方位に近い古墳時代初頭~前期頃(3~4世紀)の一群と、それらよりやや新しい中期前半頃(5世紀前半)の地形に沿ってやや西に傾く一群とがある。正方位の一群は、一辺6~7m前後のやや規模の大きなものが多く、西に傾く新しい時期の一群は、一辺5m前後のやや小ぶりなものが多い。
◆掘立柱建物は、古墳時代中期中頃(5世紀中頃)以降のものが多く、この時期を境に竪穴建物から掘立柱建物へと建物構造が変化する。 掘立柱建物の中には、周囲に区画溝を伴う一辺5.4mの規模の大きな建物や、建物規模は小さいものの神社建築との関連が指摘される独立棟持柱建物などがみつかっている。独立棟持柱建物(年代不明)については、建物の中軸方向や古墳時代初頭の遺物がまとまって出土した井戸と隣接することから古墳時代前期以前に遡る可能性が高いとみている。
上記井戸から古墳時代初頭頃(3世紀中頃)の壺や甕がまとまって出土した。また、これら土器から桃の種が50個出土した。祭祀・儀式が行なわれていたとみられる。
建物跡が多数見つかった居住域に隣接する地点で、周溝墓が3基見つかった。いずれも方形で、一辺6~8ⅿ前後。周溝の形状などから古墳時代初頭~前期(3~4世紀頃)とみられる。
数百m西の井尻遺跡でも同じ頃の集落跡が見つかっており、集落はさらに広がるとみられる。
古代の淀川は大阪湾から木津川を経由して奈良盆地へ向かう重要な水運だった。
上牧遺跡から内ヶ池を挟んだ西側に位置する梶原南遺跡付近が古代山陽道の大原駅家(おおはらのうまや)の推定地とされる.また、周辺には安満宮山古墳なども所在することから、初期ヤマト王権の中心だった奈良盆地につながる交通の要所に集団が存在したことが明らかになったとしている。
出土土器の形式から、滋賀県の近江南部との交流も考えられるという。
10月27日(土)13時から15時まで一般公開される。
[参考:毎日新聞、ABCテレビ、関西テレビ、大阪府HP/報道資料「淀川右岸における古墳出現期集落の発見…」]
過去の関連ニュース・情報
古山陽道
桃の種
参考:周辺の名所・遺跡など
◆春日神社(かすがじんじゃ) 高槻市上牧町2-12-12
御祭神;天児屋根命、菅原道真、神奈備神社
はじめ一の宮と呼ばれ、春日大神の一座であったが、延喜元年(901)、菅原道真が九州の大宰府に赴く途中立ち寄った縁から、のちに当社に合祀されたといわれる。大正4年(1915)には、古歌にも詠まれた『神南備森』の神南備神社を合祀している。
◆神南備の森
この辺りから北は、かつての大字地名を「神内」(こうない)といい、古代和歌に詠まれた「神南備の森」がこの地にあり、神南備の音が、年月の経過とともに変化したといわれる。 「かんなび」とは、神の宿る所との意味で、和銅4年(711)設置とされる山陽道の官駅・大原駅があったと推定される。 明治9年(1876)の東海道本線開通に伴う鉄道敷設工事で「森」は姿を消してしまった。
キーワード: 上牧遺跡、古代山陽道、桃の種、モモの種
遺跡は淀川右岸にあり、昨年11月から約4000㎡を発掘した。
建物跡はこれまでの調査結果と合わせ、竪穴建物と掘立柱建物、計約30棟が確認されている。
◆竪穴建物は、建物の中軸が正方位に近い古墳時代初頭~前期頃(3~4世紀)の一群と、それらよりやや新しい中期前半頃(5世紀前半)の地形に沿ってやや西に傾く一群とがある。正方位の一群は、一辺6~7m前後のやや規模の大きなものが多く、西に傾く新しい時期の一群は、一辺5m前後のやや小ぶりなものが多い。
◆掘立柱建物は、古墳時代中期中頃(5世紀中頃)以降のものが多く、この時期を境に竪穴建物から掘立柱建物へと建物構造が変化する。 掘立柱建物の中には、周囲に区画溝を伴う一辺5.4mの規模の大きな建物や、建物規模は小さいものの神社建築との関連が指摘される独立棟持柱建物などがみつかっている。独立棟持柱建物(年代不明)については、建物の中軸方向や古墳時代初頭の遺物がまとまって出土した井戸と隣接することから古墳時代前期以前に遡る可能性が高いとみている。
上記井戸から古墳時代初頭頃(3世紀中頃)の壺や甕がまとまって出土した。また、これら土器から桃の種が50個出土した。祭祀・儀式が行なわれていたとみられる。
建物跡が多数見つかった居住域に隣接する地点で、周溝墓が3基見つかった。いずれも方形で、一辺6~8ⅿ前後。周溝の形状などから古墳時代初頭~前期(3~4世紀頃)とみられる。
数百m西の井尻遺跡でも同じ頃の集落跡が見つかっており、集落はさらに広がるとみられる。
古代の淀川は大阪湾から木津川を経由して奈良盆地へ向かう重要な水運だった。
上牧遺跡から内ヶ池を挟んだ西側に位置する梶原南遺跡付近が古代山陽道の大原駅家(おおはらのうまや)の推定地とされる.また、周辺には安満宮山古墳なども所在することから、初期ヤマト王権の中心だった奈良盆地につながる交通の要所に集団が存在したことが明らかになったとしている。
出土土器の形式から、滋賀県の近江南部との交流も考えられるという。
10月27日(土)13時から15時まで一般公開される。
[参考:毎日新聞、ABCテレビ、関西テレビ、大阪府HP/報道資料「淀川右岸における古墳出現期集落の発見…」]
過去の関連ニュース・情報
古山陽道
桃の種
参考:周辺の名所・遺跡など
◆春日神社(かすがじんじゃ) 高槻市上牧町2-12-12
御祭神;天児屋根命、菅原道真、神奈備神社
はじめ一の宮と呼ばれ、春日大神の一座であったが、延喜元年(901)、菅原道真が九州の大宰府に赴く途中立ち寄った縁から、のちに当社に合祀されたといわれる。大正4年(1915)には、古歌にも詠まれた『神南備森』の神南備神社を合祀している。
◆神南備の森
この辺りから北は、かつての大字地名を「神内」(こうない)といい、古代和歌に詠まれた「神南備の森」がこの地にあり、神南備の音が、年月の経過とともに変化したといわれる。 「かんなび」とは、神の宿る所との意味で、和銅4年(711)設置とされる山陽道の官駅・大原駅があったと推定される。 明治9年(1876)の東海道本線開通に伴う鉄道敷設工事で「森」は姿を消してしまった。
キーワード: 上牧遺跡、古代山陽道、桃の種、モモの種