歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

臨済宗妙心寺派 佛日山東禅寺

2015年04月30日 | Weblog
 
           東禅寺  山門                      境内
今日の読売新聞の夕刊で、「飫肥」(城)」のことが書かれていた。「飫肥」とは読みを忘れてしまっていたが、「おび」と読む。
「飫肥」の語源は、冬も暖かくて肥沃な土地であるため、食べ物 にも不自由しない所から来ているらしい。
何故、「飫肥」を覚えていたかというと、昨年10月に、幕末の安政6 年(1859)に最初の英国公使館が置かれた東禅寺に行ったことによる。東禅寺は、開基の飫肥藩主伊東家の他、仙台藩主伊達家、岡山藩主池田家等の菩提寺となった。東禅寺は公使館の姿を伝えるほぼ唯一の寺院であることから国史跡に指定されている。
東禅寺は、開基の伊東祐慶(すけのり、1589-1636)の法名・東禅寺殿前匠征泰雲玄興からとっている。嶺南宗六(れいなんすうろく、1583-1643)禅師が開山となり、慶長15年(1610)赤坂溜池に嶺南庵と号して創建、寛永13年(1636)当地へ移転して東禅寺と改めたという。正式名は海上禅林佛日山東禅興聖禅寺、臨済宗妙心寺派別格本山である。
屋根の軒丸瓦は飫肥藩伊東家の定紋・十曜紋である。


(境内の案内板より)
国指定史跡
東禅寺
所在地 港区高輪三丁目
指 定 平成二二年二月二二日
 東禅寺 は、幕末の安政六年(一八五九)、最初の英国公使館 が置かれた場所です。東禅寺は、臨済宗妙心寺派 に属し、開基の飫肥藩主伊東家の他、仙台藩主伊達家、岡山藩主池田家等の菩提寺となり、また、臨済宗妙心寺派の江戸触頭でもありました。
 幕末の開国に伴い、安政六年六月、初代英国公使(着任時は総領事)ラザフォード・オールコック が着任すると、東禅寺はその宿所として提供され、慶応元年(一八六五)六月まで七年間英国公使館として使用されました。その間、文久元年(一八六一)五月には尊皇攘夷派の水戸藩浪士に、翌二年五月に松本藩士により東禅寺襲撃事件が発生し、オールコックが着した「大君の都」には東禅寺の様子や、東禅寺襲撃事件が詳述されています。
 現在の東禅寺の寺城は往時に比べ縮小し、建物の多くも失われていますが、公使館員の宿所となっていた「僊源亭」やその前の庭園などは良好に残っています。庭園と僊源亭を含めた景観は、公使館時代にベアトが撮影した古写真の風景を今に伝えています。
 幕末期の米・仏・蘭などの各国公使館に当てられた寺院は大きく改変され、東禅寺が公使館の姿を伝えるほぼ唯一の寺院であることから国史跡に指定されました。
平成二四年三月 建設  東京都教育委員会

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 伊東マンショ(祐益)
  伊東マンショの母の兄・義益は祐慶の祖父でもある。
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天理市・豊田トンド山古墳 7世紀前半、直径約30mの円墳に全長9・4mの横穴式石室を確認

2015年04月28日 | Weblog
 天理市教委は27日、同市豊田町で7世紀前半に築造された古墳が新たに見つかったと発表した。
 昨年12月から市道整備に伴う調査を実施していた。
 墳丘は直径約30mの円墳とみられ、全長9・4mの大型横穴式石室が確認された。石室は最大で一辺3mの巨石を積み上げていた。石室の天井を覆う石や側壁の一部や石棺はなくなっていた。一部の石材には、石を割る際に生じる矢穴跡も残っていることから、後世に他の用途に用いられたとみられる。
 玄室は長さ4・9m、高さ2・6m、幅2m。床には30cm程度の石を丁寧に敷き詰めていた。石室奥の壁は、顔料で赤く彩色した跡も見つかった。中世に盗掘された痕跡があり、棺は残っていなかったが、石の破片が多数見つかり、石棺が安置されていたとみられる。床面に赤色の顔料「ベンガラ」が残り、鉄くぎが多数出土したことから、木棺が追葬された可能性がある。鉄鏃や大刀の金具などの破片も出土したが、副葬品は盗掘で失われていた。
 羨道は幅1・7m、長さ4・5m。
 古墳の南側約1kmには物部氏の本拠地跡とされる布留遺跡が位置する。一帯が古墳時代の豪族・物部氏の本拠地だったことから、物部氏の首長クラスの墓である可能性が高いとしている。6世紀後半に一族を率いた物部守屋が蘇我氏との戦いに敗れ、衰退した。
 現地説明会は5月2日午後1時~同3時30分に開かれる。雨天の場合、9日に順延となる。
[参考:共同通信、読売新聞、産経新聞、毎日新聞]


奈良の石上・豊田古墳群で横穴式石室が新たに発見(産経新聞) - goo ニュース

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長谷川等伯作 水墨画「猿猴図」と「松竹図」を発見

2015年04月21日 | Weblog
 京都造形芸術大(京都市)が20日、絵師・長谷川等伯が描いたとみられる水墨画の屏風絵「猿猴図」と「松竹図」(ともに2曲屏風で縦162.4cm、横241.2cm)が見つかったと発表した。等伯の代表作と極めて似ており、専門家は等伯作の可能性が高いとみている。
 「猿猴図」は右に雌猿、左に雄猿が躍動している。絵には傷みがありはっきりとしないが、雌猿の背中に小さな手が見え、小猿を抱えていたと想定され、猿の描き方や墨の濃淡の付け方などは、妙心寺龍泉庵(京都市)所蔵の「枯木猿猴図」と共通するという。
 「松竹図」は竹の稈(かん)や葉を描き、流れる霧や光を表現している。 
等伯50代後半の円熟期の作品、どちらも6曲1双の屏風だったのだろうとしている。

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 長谷川等伯作「枯木猿猴図」の所有者の変遷と消失
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安芸高田市・甲立古墳 長方形の区画に5基の家型埴輪を1列に並べる

2015年04月21日 | Weblog
 広島県安芸高田市教委が20日、同市甲田町上甲立の甲立古墳で、5基の家形埴輪が1列に並べられていたことが分かったと発表した。
 甲立古墳(こうたちこふん):全長約78mの前方後円墳。古墳時代前期、4世紀末。

後円部(直径56m)上の南東部分に、円礫(河原石)を並べて長さ6・3m、幅3mの長方形の区画を作り、その中に家形埴輪5基を約50cmの間隔で並べていた。埴輪の周辺にも丸い石を敷き詰めていた。
 北側の二つは高床式建物、南側の二つは小型建物とみられ、真ん中は囲いのある建物を表現したもの。
 家形埴輪の残りがよいものを接合したところ、高さ約70cm、最大幅約90cmと分かった。
 この他、蓋形埴輪、甲冑形埴輪、国内最古級と見られる船形埴輪も見つかっており、畿内の製作技術が導入された可能性が高いという。
 甲立古墳は山間部にあるが、市教委は「被葬者は内陸交通の拠点を支配した、大和政権とのつながりをもった首長ではないか」と評価している。
[参考:共同通信、産経新聞、安芸高田市HP]

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 甲立古墳

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奈良県大宇陀町・又兵衛桜

2015年04月09日 | Weblog

     又兵衛桜(平成27年4月8日撮影)

今朝のNHKニュースで、奈良県大宇陀町本郷から又兵衛桜が中継されていた。実は昨日16時30頃にこの又兵衛桜を見に行っていたのである。その時、結構な人数の放送クルーが翌日中継の準備をしていた。(写真の右下)

又兵衛とは戦国武将後藤基次(又兵衛)のことで、後藤家屋敷跡にある桜との伝えから「又兵衛桜」といわれている。
後藤基次は慶長20年(1615)、大坂夏の陣で玉手山公園(柏原市玉手)山付近で戦死したため、同公園に碑が建てられている。

             後藤基次の碑       (平成17年11月3日撮影)      同説明板

また、側にはしだれ桜が植えられており、説明板には下記が記されている。

後藤又兵衛としだれ桜
 後藤又兵衛基次は、一五六〇年四月十日兵庫県加西市で、後藤基国の次男として生まれた。
 槍の名人として、黒田孝高とその子長政に仕え、長政の九州博多へ着任に伴い一万六平石の大隈城主となった。その後、時代の変化につれ、自ら城を捨てて浪人となったが、一六一四年大坂冬の陣には、亡き秀吉の恩義に感じ、劣勢の秀頼に応援すべく豊臣方へ加勢し、木村重成とともに河内付近で徳川方と奮戦し、恐れられた。
 一時、和睦となったが一六一五年再び大坂夏の陣が始まり、堀を埋められた大坂方は、徳川軍の大軍を河内の峠で迎え撃つべく、五月六日未明、又兵衛は自ら先陣として約三千の手勢を連れて、この山まで来たが既に徳川方の先陣二万余の軍勢は、国分へ到着していたので、大坂方の二番手薄田隼人等の軍を待てずに、戦いの火ぶたは切られた。
 又兵衛の軍は奮戦したものの、多勢に無勢、遂に又兵衛は敵弾に当たり、自決し側近の吉村武右衛門が介錯してその首は、この地の西北の片山・深田へ埋めさせた。翌七日大坂城は落城した。(五十六歳)
 豪傑、後藤又兵衛が義に感じ花と散ったこの地に、「しだれ桜」を植えて、昔を偲び歴史を永く後世に伝えると共に、柏原市の名所にしたいと念ずるものである。
                                 柏原市長 □□□□

  
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