歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

京都・大山崎町・松田遺跡 古墳時代の大規模集落をうかがわせる遺構や13世紀の大型溝などが出土

2011年02月26日 | Weblog
 京都府埋蔵文化財調査研究センターは23日、大山崎町円明寺松田、下植野一丁田の松田遺跡で、弥生時代中期~古墳時代後期の竪穴式住居跡5基と、奈良時代~中世に掘られた溝4本などが見つかったと発表した。 小泉川沿いで広い時代の遺構が同時に出土し変遷をうかがうことができるとしている。
 見つかった竪穴式住居跡5基のうち、古墳時代前期の住居跡は縦5m、横6・2m、深さ0・8mと大型。北東隅には石を敷いた貯蔵穴や、中に石を多数詰めた用途不明の穴を備えている。
 同じ場所から、13世紀ごろに掘られた幅1・7m、深さ0・5mの大型溝も見つかり、中からは13世紀の中国製の青磁片や瓦器碗や土師器皿などが出土し、杭を打って護岸工事を施した跡もあった。
 このほか、奈良時代後半~平安時代前期に掘られた溝2本も出土した。
 近隣ではこれまでに弥生時代の方形周溝墓群や、13~14世紀の建物跡が見つかっている。
 現地説明会は26日午前10時半から開かれる。
[参考:2011.2.24京都新聞、2011.2.25毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2010.8.26 松田遺跡 13~14世紀の建物跡と中国・南宋から輸入?の白磁や青磁も出土
 2008.8.1 松田遺跡 継体天皇ゆかりの地で古墳時代後期の集落跡

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加古川市・人塚古墳 円丘脇に方形状の突出部を確認、帆立貝形の可能性

2011年02月26日 | Weblog
 加古川市教委文化財調査研究センターの調査により、国史跡・西条古墳群の一つで古墳時代中期(5世紀前半)の人塚古墳(同市山手2)で、円丘脇に方形状(一辺約7m)の突出部があったことがわかった。
 同ンターは、08年度にも調査を行っており、この時には後円部は直径60m、高さ12m、周濠の幅約14mを確認し、前方部は単に短いとだけしていた。
 今回、ほかに墳丘中ほどで円筒埴輪列の跡を確認した。
[参考:毎日新聞、加古川市HP]

過去の関連ニュース・情報
 2009.3.21 加古川市・人塚古墳 発掘調査を実施 現地説明会3/22
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鎌倉市・下馬周辺遺跡 中世の竪穴遺構から鎧や埋蔵銭が出土 3月5日に見学会

2011年02月26日 | Weblog

   (桜咲く時期、段葛北端から鶴岡八幡宮を見たところ)

 かながわ考古学財団が行っている鎌倉署の移転予定地・下馬(げば)周辺遺跡(鎌倉市由比ガ浜2)の発掘調査で、中世の竪穴遺構が発見され、床面に掘られた穴から鎧、大量に埋められた埋蔵銭が出土した。
 鎧は、腹巻鎧の可能性があり、胴から下げて大腿(だいたい)部を守る草摺(くさずり)と呼ばれる部分など、鎧の大半が残っていた。
 また、埋蔵銭は当時の中国から輸入された銅銭で、百枚余りを穴に紐で通してまとめたものが、21も出土した。
 下馬周辺遺跡は、主に鎌倉時代から室町時代にかけての遺跡で、同財団が昨年6月から発掘調査を実施し、これまでに竪穴遺構36基と土坑250基、井戸址(いどし)3基と土器や陶磁器などが発見されている。
 見学会が3月5日(土)午前10~11時と午後1時半~2時半の2回開かれ、遺構と鎧や埋蔵銭、皿や壺の土器、刀などの鉄製品など遺物が展示される。 荒天の場合は6日に順延。
[参考:産経新聞、東京新聞]

備考: 下馬周辺遺跡は現在の一の鳥居の北、鎌倉女学園に隣接する。当時の一の鳥居は現在のものより北に約200mのところにあったらしい。 平成2年(1990) 下馬交差点の南約100m、バス停小学校前付近から直径160cmの柱根が発見された。 天文22年(1553)に北条氏康により造立された大鳥居のものである可能性が強い。 また、段葛の南端は下馬交差点そばの湘南信用金庫あたりとみられる。
 したがって、下馬周辺遺跡は、当時の段葛南端および大鳥居(一の鳥居)よりも南にあったことになる。
[参考:「鶴岡八幡宮寺」 貫達人著 発行 1996有隣堂]

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宇治市・平等院鳳凰堂 明治後期に流出した天井板が見つかり、菩薩像が描かれているのを確認

2011年02月25日 | Weblog
 平等院は25日、明治後期の修理時に流出したとみられる鳳凰堂(国宝)の天井板が見つかり、菩薩像が描かれているのを確認したと発表した。
 天井板は横2・5m、幅約30cm。天井の木枠で隠れていた部分に、朱色の線で描かれた菩薩の顔と右足(いずれも縦6cm、横4cm)が流れるようなタッチで描かれ残っていた。平安後期の特徴をよく示しているという。
 平安時代、天喜元年(1053)の鳳凰堂創建時、仏絵師が板に彩色する際の筆慣らしとして落書きしたとみられる。
 鳳凰堂の天井には、「宝相華」が描かれており、明治35年(1902)から4年間の修理で、一部の板が取り換えられた。古材は修理費捻出のために売却されたとみられる。
 奈良教育大大山明彦准教授(絵画記録保存)が、平成20年(2009) 京都市内の古美術商から購入して調査した結果、宝相華と同じ緑、赤、青の顔料がわずかに残っていたことなどから、鳳凰堂の天井板とわかり寄贈した。
 天井板は26日(土)から、同寺の「鳳翔館」で公開される。
[参考:共同通信、読売新聞、産経新聞]

菩薩像描かれた平等院鳳凰堂の天井板見つかる(読売新聞) - goo ニュース
平等院鳳凰堂の天井板返還=1世紀ぶり―彩色痕の形状など一致・京都(時事通信) - goo ニュース

過去の関連ニュース・情報
 2010.12.26 平等院鳳凰堂 本尊の台座から見つかったガラス玉3個が正倉院宝物と同じ成分組成
 2010.10.6 平等院 幻の本堂の本尊「大日如来像」の一部か
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 2010.3.25 平等院鳳凰堂 国宝壁画「仏後壁」に描かれた舞楽は延喜楽と判明
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 2008.12.29 平等院 浄土院地蔵菩薩半跏像 南北朝期の作と判明
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姫路市・山之越古墳 周濠跡が見つかり、東西約60mの方墳を確認

2011年02月25日 | Weblog
 姫路市埋蔵文化財センターは24日、同市御国野町国分寺の5世紀中期の方墳・山之越古墳(やまのこしこふん)で周濠跡が見つかり、墳丘の大きさが東西約60mだと分かったと発表した。
 現地説明会は26日(土)午後1時半から開かれる。
[参考:毎日新聞]
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奈良市斑鳩町・中宮寺跡 東端の塀跡が見つかる

2011年02月25日 | Weblog
 斑鳩町教委は24日、聖徳太子ゆかりの中宮寺跡で、南北に並ぶ金堂や塔の中軸線から東約65mの場所から、7~8世紀の掘っ立て柱の塀跡が、南北に9つの柱穴跡が約20mにわたって見つかったと発表した。 中央から東端までの距離が判明したことで、東西の範囲を130mと推定した。
 また、南門推定地の南側に東西に並ぶ6つの柱穴が見つかった。周囲にはほかに穴がないことから、儀式の際に宝幢(ほうどう)の遺構で旗竿と支柱を立てる穴とみられる。 宝幢は寺の正門前に立てられるため、この穴が寺の南端と推定。この結果、寺の範囲は東西130m、南北205mとなる。
 また、寺域北西部で鋳造関連遺物数百点が出土。銅や鉄製品を作る工房があったらしい。
 現地説明会が3月12日、13日午前10時~午後4時に開かれる。
[参考:産経新聞、奈良新聞、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2010.2.19中宮寺跡 心柱立てる櫓の柱穴とみられる遺構を確認
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羽曳野市・応神天皇陵 初の立ち入り調査、内堤に2列にわたる円筒埴輪列

2011年02月24日 | Weblog
 宮内庁が管理する、大阪府羽曳野市の国内2番目の巨大前方後円墳応神天皇陵(5世紀前半、全長約420m)で24日、日本考古学協会など16学会の研究者が古代の天皇陵では初めて立ち入り調査を行った。
 調査では同協会などの考古学者ら16人が、内堤部分の全周約2.2kmを3時間かけて視察した。 墳丘を囲む堤(内堤)の前方部側で、円筒埴輪数本分の底部が築造当時に据えられた状態で1列に並んでいたのを確認した。
 さらに、別の場所では円筒埴輪の破片が散らばった状態で見つかったことから、内堤には2列にわたって円筒埴輪が並べられた可能性が高いという。
 天皇陵などの立ち入り調査は、宮内庁が平成20年から考古学者らを対象に許可。 これまでに実施された神功皇后陵(奈良市)などでは、墳丘の縁辺部分まで入ることができたが、今回は墳丘に行くには水をたたえた周濠があるため、安全上の理由で内堤部分の調査となった。
[参考:時事通信。毎日新聞、産経新聞]

応神陵、初の立ち入り調査=堤を観察、「状態良い」―大阪(時事通信) - goo ニュース

キーワード:誉田御廟山古墳、応神天皇陵、応神陵
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桜井市・茅原大墓古墳 4世紀末の最古の人物埴輪・「盾持人埴輪」が出土

2011年02月24日 | Weblog
 桜井市教育委員会が24日、帆立て貝形の前方後円墳・茅原大墓古墳(ちはらおおはかこふん、全長約86m、4世紀末)で、「盾持ち人」と呼ばれる最古の人物埴輪が見つかったと発表した。
 市教委によると、埴輪は古墳の前方部と後円部の境目付近の周濠跡から見つかった。埴輪は壊れていて、数百点の破片で見つかった。復元できた大きさは幅50cm、高さ67cmだが、推定復元長さは約1m。顔の部分は縦17cm、横16cm。同じ古墳から見つかった別の埴輪の特徴から年代を特定した。
 円筒形の埴輪の上部を首のように細くし、前が編み笠のような形の冑を被った人物の顔を取り付けていた。口は半円状に開き、口元は笑っているようにも見える。頬は赤色の顔料で塗られ、顎には入れ墨のような縦線があった。鼻は取れていたが、黒ずんだ三角形の接着面が残っていた。笑顔には邪悪なものを威圧する意図があったという説もある。
 盾は埴輪の前面を平らに加工し、その両側に張り出す形で四角い板を付けて表現。きれいな菱形や三角形の模様をあしらっていた。
 3世紀に誕生した初期の埴輪は円筒形で、人物埴輪は墓山古墳(5世紀前半、大阪府)などでの出土例が最古とされていた。
 さらに、盾持人埴輪は関東地方を中心に、50カ所以上の古墳などで100例以上が出土しているが、大半は5世紀後半以降という。
 現地説明会は26日午前10時~午後3時に開かれる。
[参考:時事通信、共同通信、毎日新聞、読売新聞]

日本最古級の人物埴輪=4世紀末、茅原大墓古墳―奈良(時事通信) - goo ニュース
日本最古の人物埴輪、盾持人…被葬者の魔よけ?(読売新聞) - goo ニュース

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 2011.1.24 羽曳野市・城不動坂古墳 6世紀中頃、全長36mの前方後円墳、被葬者は春日山田皇女の可能性も
 2008-12-29 19 茅原大墓古墳 第2次調査
 2008.9.14 鹿児島県大崎町 神領10号墳鉄製馬具や武具出土
 2008.8.25 発掘された日本列島2008 太子塚古墳 人物埴輪
 2008.8.15 鹿児島県大崎町 神領10号墳 発掘調査


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東近江市・下羽田遺跡 紀元前5世紀頃の集落跡から竪穴住居と掘立柱建物の跡が出土、稲作の可能性も

2011年02月24日 | Weblog
 滋賀県文化財保護協会が26日、雪野山丘陵の東側の平野部に立地している下羽田遺跡(東近江市上平木町)の縄文時代晩期末(紀元前5世紀頃)の集落跡で、竪穴住居跡6ヶ所と掘立柱建物跡5ヶ所が出土したと発表した。この時期の遺跡で同じ集落から両遺構が出土するのは近畿で初めてという。
 掘立柱建物跡は、太い柱跡が残っていることから、稲などを貯蔵する倉庫として使われていたと推定し、本州では早い時期に稲作が始まっていた可能性があるとみている。
 現地説明会は27日午後1時半から開かれる。

過去の関連ニュース・情報
 2010.4.27 滋賀県東近江市・下羽田遺跡 古墳中期の竈付竪穴住居跡2棟を発見
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福井市・高柳遺跡 古墳前期の金属加工に使う炉や羽口の破片が出土

2011年02月23日 | Weblog
 福井市文化財保護センターは23日、同市中藤島地区の高柳遺跡から出土した遺物に、古墳時代前期(4世紀頃)とみられる金属加工に使う炉壁や羽口(はぐち、送風管)の破片が含まれていたと発表した。
 金属生産時の鉱滓の破片も出土しており、鋳造をしていた可能性が高いとみている。
 発見されたのは、金属加熱のために使った土製の炉壁の破片3個、金属やガラスの不純物が固まった鉱滓4個、炉に空気を送る羽口の破片3個。穴の空いた水色のガラス玉1個(直径7mm)も見つかった。
 26日から3月20日まで、同センター(同市渕4丁目)で開かれる「平成22年度 発掘速報展」で一般公開される。
[参考:福井新聞、産経新聞]
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つくば市・高須賀中台東遺跡 古墳時代前期の住居跡から鏡の土製模造品が出土

2011年02月23日 | Weblog
 茨城県教育財団は22日、つくば市高須賀の高須賀中台東遺跡から、鏡の土製模造品が出土したと発表した。
 古墳時代前期の住居跡の多くから、焼けた土や炭化材が出土しており、住居を集団移転する際、意図的に焼いた形跡と認められるという。
 住居跡からは高坏などの土器のほかに、鏡の土製模造品(直径3cm)と糸巻き状の土製模造品(長さ約2cm)が見つかり、住居を離れる際の祭祀に使ったと考えられるとしている。
 さらに別の住居からは炭化した種子状の植物(ムカゴなどの豆類やノビルに近いネギ属)が多数まとまった状態で出土した。 住居内で保存していたとみられる。
 同遺跡は,つくば市の西部を流れる小貝川左岸の標高約19~21mの台地上に所在する。 調査は昨年4月~今年3月に実施。これまでの調査で縄文時代前期(約6千年前)と古墳時代前期を中心とする竪穴住居跡32軒、土坑、溝跡などを確認した。
 26日午前10時半から同遺跡を一般公開する。
[参考:産経新聞、茨城県教育財団埋蔵文化財部HP、2011.2.25東京新聞]
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大阪市・難波宮跡 遷都(645年)前の地層からアフリカ原産の薬草・トウゴマの種が出土

2011年02月19日 | Weblog
 大阪市博物館協会大阪文化財研究所が発掘した難波宮跡(同市中央区)で、遷都(645)前にあたる6世紀末~7世紀前半ごろの地層からアフリカ原産の薬用植物トウゴマ(ヒマ、蓖麻)の種8個が出土していたことが18日分かった。
 平安時代の「倭名類聚抄」に「カラカシワ」の名で記録され、種の油は「ひまし油」として便秘薬などに用いた。
 中国では659年の唐の医薬書「新修本草」に初めてトウゴマの記載があり、日本にもそのころには伝わっていたことになる。
 同じ地層からはメロンやモモ、オオムギなどの植物の種も見つかった。
 6世紀末の新羅土器も出土した。
[参考:共同通信]
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明日香村・飛鳥京跡苑池 北池護岸に5段の階段を確認、水辺で祭祀に使用か

2011年02月19日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所が18日、発掘調査中の明日香村・飛鳥京跡苑池(7世紀後半)にある北池の石組み護岸の一部が5段の階段構造だったと発表した。水辺で祭祀をするために造られた可能性があるとみている。
 北池の東護岸を調べた結果、西に下る幅1・3m、長さ3m、高さ1・15mの5段の石段が出土。確認できた横幅は1・3mだが、周囲の構造から石段の幅は池の北東角から南へ約6・2mあったと推測できるという。1段の高さは4段目までは12~20cmだが、最上段だけ55cmあった。
 北池では平成13年にも対角の南西部で8段の石段(高さ1・6m)が見つかっているが、今回は踏み面の長さが約2倍の70~80cmある。
 北池の過去の調査では、祭祀に使われる木製の舟形や人形(ひとがた)出土している。
 同苑池は平日(午前9時~午後4時半)に発掘調査を一般公開中で、今週は19~21日も見学できる。
[参考:産経新聞、毎日新聞]

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 2011.2.2 飛鳥京跡苑池 北池の護岸が確認され規模が判明
 2010.12.20 飛鳥京跡苑池 池巡る石組みの溝が見つかる
 2009.7.16 飛鳥京跡苑池 食膳に使用、ブリの骨が出土
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佐倉市・高岡新山遺跡 8世紀後半の骨壺から副葬品の白鳥の骨が出土

2011年02月19日 | Weblog
 佐倉市は18日、高岡新山遺跡から1984年頃に出土した8世紀後半(750~775年頃)の灰釉陶器の骨壺(高さ22.5cm、最大径33cm)から、火葬された人骨と一緒にオオハクチョウの骨1個が見つかったと発表した。 ハクチョウと人骨が古代に一緒に埋葬された例が見つかったのは全国初という。
 見つかったハクチョウの骨は、左翼の「中手骨」の一部で、長さ2cm程度。骨壺には他に30~40歳くらいの男性1人分の骨が入っており、いずれも焼かれていた。 火葬によって埋葬されていることや、骨壺が現在の愛知県の窯で作られたことなどから、市教委は、火葬された人骨は畿内政権と結び付きが強い集落の首長的立場の人物だったとみられるとしている。
[参考:時事通信、毎日新聞、千葉日報]
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香南市・東野土居遺跡 子供の壺棺に魔除けの鋸歯文

2011年02月19日 | Weblog
 高知県埋蔵文化財センターは18日、香南市野市町土居の東野土居遺跡で、弥生時代終末から古墳時代初頭と古墳時代後期の2時期の竪穴建物跡80軒を確認し、建物跡の側で弥生時代末(3世紀前半)とみられる墓地と、そこから壺棺が5基出土したと発表した。
 壺棺は大きさから子供の墓とみられ、鉢形土器で蓋をしたものや、壺の縁部を古代、魔除けに使われたとされている鋸歯文で飾っているものがあった。
 鋸歯文があった壺は高さ45cm、最大径40cmで、縁の近くにへらで細かく刻まれ、鉢形の土器で蓋がされていた。
 新たに弥生時代前期(紀元前4世紀頃)の土器が見つかっているほか、奈良、平安時代(8世紀頃)のハスの花をかたどった寺院の軒瓦や掘立柱建物跡10棟が確認され、古代寺院や役所が近くにあったとみられるという。
 現地説明会は20日午前10時半~正午に開かれる。
[参考:読売新聞、高知県埋蔵文化財センター、高知県HP]

過去の関連ニュース・情報
 2010.10.23 香南市・東野土居遺跡 古墳時代初期からの大規模集落跡やほぼ完形の庄内式土器が出土

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