歴歩

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高槻市・安満遺跡 弥生前期の水田跡や墓地、足跡が見つかる

2015年06月23日 | Weblog
 高槻市教委が19日、弥生時代の環濠集落跡として知られる大阪府高槻市の国史跡・安満(あま)遺跡で、弥生時代前期(約2500年前)の大規模な水田跡と墓地が出土したと発表した。
 安満遺跡は1928年に発見。その後の調査で集落を囲む環濠や住居の柱跡、弥生時代中期から後期の方形周溝墓や木棺墓が確認されており、一部が国の史跡に指定されている。稲作開始時期の生産、居住、埋葬の機能が同一遺跡で確認出来るのは全国的に珍しいという。
 今回は遺跡公園の造成に伴い、昨年9月から調査。
 水田跡は東西90m、南北100mにわたり、幅20~30cm、高さ5cmの畔(あぜ)・小畦畔(しょうけいはん)で区切られ、1枚10~65㎡の区画の水田約60枚が整然と長方形に区画されていた。
 水田域は弥生前期末の洪水で堆積したとみられる数十cmの土砂に覆われている。
 洪水直後に土砂の上を歩いた人の足跡も約20か所で見つかった。
 弥生中期以降に開削された溝や水路も確認され、集落が拡大していく様子がわかるという。
 墓は水田域に点在し、溝で囲まれた方形周溝墓12基(1辺約4~8m)と、子供を納めたとみられる木棺墓、土器棺各2基が確認された。方形周溝墓の地下には土砂層と水田跡があったことから、前期末の洪水で使えなくなった水田を墓に転用したとみられる。
 弥生時代前期の大規模な水田跡は、秋津・中西遺跡(奈良県御所市)、服部遺跡(滋賀県守山市)、池島・福万寺遺跡(大阪府八尾市、東大阪市)などがあり、それらに次ぐ広さという。
 現地説明会は27日午後1~3時、28日午前10時~午後3時に開かれる。(雨天中止)
[参考:読売新聞、産経新聞、朝日新聞、毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 池島・福万寺遺跡
 秋津遺跡
 中西遺跡


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明日香村・飛鳥寺 創建期の出土瓦に「飛」の文字 国内最古か

2015年06月12日 | Weblog
 奈良文化財研究所が10日、奈良県明日香村の飛鳥寺で、「飛」「女瓦(めがわら)」「白髪部(しらかべ)」などの文字がある計6点の飛鳥時代の瓦が出土していたことがわかったと発表した。
 1957年以降、同寺の発掘調査で出土した瓦を調べ、11点の文字瓦を確認。うち平瓦6点の文字が判読された。

「飛」は飛鳥寺を示し、寺創建期(6世紀後半~7世紀初め)の国内最古の文字瓦の可能性があるという。創建時から「飛鳥寺」と呼ばれていた可能性を示す資料という。

 1992年の調査で出土した「飛」とヘラ描きされた文字がある瓦片は、平瓦で縦10cm、横11cm。表面の特徴などから寺創建期の瓦の可能性があり、創建期とすれば、これまで最古とされる中宮寺(同県斑鳩町)出土の文字瓦(7世紀中頃)よりも古い。 
日本書紀(8世紀に編纂)には、飛鳥寺について、最初は「法興寺」、次に「飛鳥寺」として現れる。

■『日本書紀』崇峻天皇元年(588)是歳。(略)百濟國遣使并僧惠總。(略)獻佛舍利。百濟國遣恩率首信(略)等進調。并獻佛舍利。(略)蘇我馬子宿禰請百濟僧等。問受戒之法。以善信尼等付百濟國使恩率首信等。發遣學問。』壤飛鳥衣縫造祖樹葉之家。始作法興寺。此地名飛鳥眞神原。亦名飛鳥苫田。
■『日本書紀』斉明天皇三年(657)七月辛丑(15) 作須彌山像於飛鳥寺西。(略)

 女瓦(平瓦)の文字がある瓦は2点あり、いずれも7世紀後半で、女瓦の文字としては最古級の資料という。
  女瓦(平瓦)は男瓦(丸瓦)と対になる言葉。
 白髪部の瓦も女瓦と同時期のものとみられる。白髪部は第22代清寧天皇(白髪皇子)に仕えた集団をルーツとする。今回の発見で、白髪部が飛鳥寺の瓦生産にかかわっていた可能性が浮上した。

 このほか、文字を練習した痕跡とみられる「多」と「名」と記した瓦や、僧を管理する役職の「僧都(そうず)」の文字のある瓦も確認された。

 6点の瓦は9月13日まで奈文研藤原宮跡資料室(同県橿原市木之本町)で展示される。
[参考:奈良新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞]
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福岡県春日市・須玖タカウタ遺跡 国内最古の青銅鏡鋳型が出土

2015年06月02日 | Weblog
 福岡県春日市教委は27日、同市の須玖タカウタ遺跡で、弥生時代の青銅鏡「多鈕鏡」の鋳型(弥生時代中期前半、紀元前2世紀)が国内で初めて出土したと発表した。国内の青銅鏡生産の開始時期が200~150年遡る。
 多鈕鏡は国内に最初に流入した青銅鏡で、従来、朝鮮半島製とされていたが、今回の出土で国内での生産の可能性も出てきた。
 出土した鋳型は朝鮮半島産の滑石製で、復元すると直径15cmほどになる。「重弧文」を描く線の溝があった。年代や鈕の形状から、文様の線が細い「細文鏡」用の鋳型という。
[参考:共同通信、西日本新聞、毎日新聞、産経新聞、朝日新聞、読売新聞]

国内最古の銅鏡鋳型が出土…弥生中期前半

過去の関連ニュース・情報
2014.11.12 福岡県春日市・須玖タカウタ遺跡 国内最古級の鋳型出土
 福岡県春日市教委は12日、同市の須玖(すぐ)タカウタ遺跡で、弥生時代中期前半(紀元前2世紀)に生産された青銅器の鋳型(石製と土製)の破片が出土したと発表した。
 350㎡を調査。住居跡などから石製の鋳型の破片6点、土製の破片24点が出土した。破片の大きさは1cm〜十数cm四方。 銅剣や銅矛、銅戈(どうか)などの製作用だった。
 土製鋳型出土は九州では東小田峯遺跡(福岡県筑前町)に次いで2例目で、今回の鋳型はそれより古く、日本最古級ではないかとしている。
 銅剣の石製鋳型は、朝鮮半島に由来する柄を本体と一体に鋳造した有柄式銅剣のもので、有柄式銅剣の出土例は吉野ケ里遺跡(佐賀県)など国内3カ所の王墓クラスの遺跡から出土しているが、鋳型の出土例は朝鮮半島を含めて初という。ほかに、矛や銅鐸用もあった。
[参考:共同通信、西日本新聞、朝日新聞、毎日新聞]



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