歴歩

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鳥取市・青谷上寺地遺跡 古代の港湾施設の可能性

2017年02月28日 | Weblog
 鳥取県埋蔵文化財センターは27日、青谷上寺地遺跡(鳥取市青谷町)で、古代の港湾施設を示す可能性がある木材や土器片を含む地層を発見したことを明らかにした。
 同センターは7日、同遺跡の北側2か所で、ボーリング調査を実施し、弥生中期の土壌から、数cm~十数cmの土器片や十字形に組まれた木材が確認された。 約40m北側の地層では、海底だったことを示す粘土層が見つかっており、調査地点は当時海に面していた場所と推測される。土器や木材は堤防を作る際の港湾施設の一部とも考えられるとしている。
[参考:読売新聞、毎日新聞]

関連ニュース・情報
 青谷上寺地遺跡


<青谷上寺地遺跡>港湾示す出土物か 中心域に大量木材 /鳥取
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京都市西京区・芝古墳 造り出しが存在する可能性

2017年02月27日 | Weblog
 京都市文化財保護課は22日、乙訓古墳群の首長墓の一つである芝古墳(西京区大原野石見町)の規模や形状が明らかになったと発表した。
 芝古墳は古墳時代後期(6世紀初頭)、墳丘長32mの前方後円墳。近くの井ノ内車塚古墳と井ノ内稲荷塚古墳は同族の墓とみられている。
 墳丘のくびれ部の幅が13mで、後円部が直径23mであることや、前方部の開き方が想定よりも大きいことがわかった。
また、後円部東側の墳丘の立ち上がり部でL字状に屈曲した痕跡を確認したため、祭祀などを行う「造り出し」が存在する可能性が出てきたという。 造り出しは後円部と前方部の境のくびれ部周辺に付くのが一般的で、後円部は珍しいという。
他に、円筒埴輪と朝顔型埴輪片が多数出土した。
現地説明会は25日午前10時~正午に開かれた。
[参考:2017.2.24 産経新聞、朝日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 芝古墳(芝1号墳)

備考
 芝古墳群は,京都市と長岡京市にまたがって分布している古墳群で,方墳1基・円墳12基・前方後円墳1基の計14基が確認されている。
 芝古墳群唯一の前方後円墳・芝1号墳を単に芝古墳と呼んでいる。
 墳丘長32.7m、後円部径22.4m、前方部長約10.3m、前方部幅未確定(推定20m)、前方部高3.4m。
 周濠を含めた全長は38m以上。 [参考:平成27年度芝古墳発掘調査現地説明会資料より]

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岡山市・金蔵山古墳 くびれ部の東西に祭壇

2017年02月27日 | Weblog
 岡山市教委は25日、同市中区沢田の前方後円墳・金蔵山(かなくらやま)古墳(全長165m、4世紀後半築造)で現地説明会を開き2016年度の発掘調査の成果を発表した。
 これまでに、くびれ部の西側で「造り出し」が見つかっていて、石敷きや柵形埴輪が出土している。
 16年度は、くびれ部の東側から約10mの場所で「島状遺構」が出土した。「造り出し」とともに、祭壇として使われていた可能性があるという。岡山県内での出土は2例目。一辺10m、高さ2mの方形壇と推定され、上面には祭祀場を区切るとされる柵形埴輪片や、河原石が散在していた。石を敷き、埴輪を置いたとみられる。北側斜面は葺石で装飾され、裾部には小石が敷かれていた。遺構と前方部を接続する陸橋部分(長さ7m、幅推定2m)も見つかった。古墳の主軸に直行して、岩盤および盛土でつくられていた。
 「島状遺構」は、津堂城山古墳(大阪府藤井寺市)、巣山古墳(奈良県広陵町)など4世紀後半~5世紀初頭の限られた時期に畿内を中心に出現する。当時の大王墓級の規格を反映しており、吉備と大和の密接な関係を示す一方、畿内古墳に比べ敷石などで祭祀場の性格が強調されており、吉備独自の祭祀形式があったとみている。
 金蔵山古墳は墳長約165mで県内第4位。県内最大の造山古墳(岡山市北区新庄下)などが出現する前段階に築かれ、同時期では畿内を除いて最大規模。
同古墳被葬者の後継者の墓として有力視される湊茶臼山古墳(同市中区湊、5世紀初め)も島状遺構を持つが造り出しはなく、二つの施設を造り分けた理由の解明などを進めたいという。

 湊茶臼山古墳(同市中区湊、5世紀初め)は金蔵山古墳より古い4世紀後半の築造とされてきたが、平成20年度の湊茶臼山古墳第1次調査以降、金蔵山古墳よりも新しい時期の古墳らしいことがわかってきた。
[参考:2017.2.26読売新聞、2017.2.16山陽新聞、岡山市HP]

過去の関連ニュース・情報
 金蔵山古墳
 湊茶臼山古墳


岡山・金蔵山古墳で島状遺構出土

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北本市・デーノタメ遺跡 県内初の縄文時代の大豆痕跡

2017年02月26日 | Weblog
 縄文時代中・後期(約5000年前〜3800年前)の「デーノタメ遺跡」(北本市下石戸下)の出土品から、当時栽培されていたとみられる大豆の痕跡が県内で初めて見つかった。
 「クルミ塚」から出土した土器の破片の表面に長径約1.2cm、短径約5mmの楕円球形の「圧痕」(植物の種や実を含んでいた小さな穴)があり、形状から大豆と分かった。
[参考:毎日新聞]

<北本のデーノタメ遺跡>県内初、縄文時代の大豆痕跡 栽培管理し品質向上 /埼玉

過去の関連ニュース・情報
 デーノタメ遺跡
 大豆

2016.9.3北本市・デーノタメ遺跡 縄文時代中期の関東地方最大級の環状集落
 北本市下石戸下の「デーノタメ遺跡」で、縄文時代中期の集落が長径約210m、短径約140mの楕円形の規模で、関東地方最大級の環状集落と判明した。ドーナツ状に竪穴住居群、中央に広場があることが確認された。桶川市の直径約200mの環状集落を持つ高井遺跡などを上回る規模となった。
 縄文後期の大規模集落(長径約170mの半円形)が東側に隣接していたことも新たに分かった。
[参考:2016.8.23埼玉新聞、産経新聞]


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阿南市・加茂宮ノ前遺跡 1~3世紀の水銀朱の精製工房跡か?

2017年02月25日 | Weblog
 徳島県教委と県埋蔵文化財センターは22日、阿南市加茂町大西の加茂宮ノ前遺跡で見つかった弥生時代中期後半~古墳時代前期初頭(1~3世紀)の竪穴住居跡の内外から、赤色顔料の水銀朱が付着した石器15点と、水銀朱の原料の辰砂原石10点が出土したと発表した。
遺跡の南西約5kmには辰砂の採掘遺跡として全国で唯一確認されている若杉山遺跡があり、同遺跡に関連する水銀朱の精製工房跡とみている。
 25日(土)午後1時から現地説明会が開かれる。
[参考:徳島新聞、朝日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 若杉山遺跡

<阿南・加茂宮ノ前遺跡>顔料精製の石器出土 「水銀朱産地の可能性」 県教委など /徳島
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三重県・斎宮跡 斎王宮殿を取り囲む板塀跡を発見

2017年02月24日 | Weblog
 斎宮歴史博物館(明和町竹川)は21日、初期斎宮を解明する同館南側での国史跡斎宮跡第189次調査で、奈良時代(約1300年前)の斎王宮殿を取り囲む板塀とみられる柱穴列跡を発見したと発表した。
 発掘現場(多気郡明和町竹川字中垣内)は同館の南約500mの近鉄線路北側沿いの約100㎡で、南北4本、東西3本の柱穴が直角に交わっていた。過去の調査と合わせ、奈良時代の斎宮の中枢区画は南北56m、東西48mと判明した。
 東側では別の区画とみられる柱列の穴が南北に並んでいた。
 聖武天皇の娘、井上内親王など奈良時代の斎王の宮殿を厳重に囲むためのものだったと考えられるとしている。
 発掘調査速報展示「初期斎宮〜その成果と展望〜」を同館で開催中(~5月7日まで)。
 3月3日までの平日、発掘調査現場を無料公開している。
 現地説明会が2月25日の午前10時、11時、午後1、2時の計4回開かれる。
[参考:伊勢新聞、三重新聞、産経新聞、三重県HP]

2017.2.26追記
 25日の現地説明会には209人が参加。[参考:産経新聞]

過去の関連ニュース・情報
 斎宮跡


明和町 宮殿取り囲む板塀跡発見 斎宮跡、25日に説明会

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明日香村・飛鳥寺西方遺跡 総柱建物のような本格的な建物跡が初めて見つかる

2017年02月23日 | Weblog
 明日香村教委は23日、「槻の樹の広場」(日本書紀では「槻樹之下」)跡とされる飛鳥寺西方遺跡で、飛鳥時代(7世紀後半)の本格的な建物跡が初めて見つかったと発表した。
 建物跡は東西11m、南北6.5m以上で、9カ所の柱の抜き取り穴が東西は3・6m間隔、南北は3・3m間隔で並んで見つかり、柱を埋めるために掘られた穴の深さは約90cm、柱は直径約20cmでしっかりと造られていた。格子状に柱を配した総柱(そうばしら)建物のように、倉庫によくみられる構造という。 高床式で、広場で行われた供宴などに関連した施設の可能性もあるという。
 同遺跡では壬申の乱(672年)で軍営用に仮設された建物跡は見つかっているが、本格的な建物跡が確認されたのは初めて。場所は広場の南限付近と推定される。
 現地説明会が26日午前10時~午後3時に開かれる。
[参考:共同通信、産経新聞、読売新聞]

2017.2.28追記
 2/26の現地説明会に約1200人が参加。 [参考:奈良新聞]

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 飛鳥寺西方遺跡



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糸島市・三雲・井原遺跡 床面積90㎡の大型掘立柱建物跡が見つかる

2017年02月23日 | Weblog
 糸島市の三雲・井原遺跡の番上地区で古墳時代前期(4世紀ごろ)とみられる大型掘立柱建物跡が見つかった。首長の居館か倉庫、古墳関連の施設だった可能性が高いとみている。
 伊都国は弥生時代、大陸との外交の窓口だったとされ、番上地区では昨年、弥生時代後期(1~2世紀)とみられる硯(すずり)の破片や大量の楽浪系土器が、土器だまりから発掘され、中国・楽浪郡の使節が伊都国を訪問していたことを裏付けた。
 この土器だまり周辺を調査したところ、約1m四方の穴に直径30~40cmの柱を立てたとみられる12の痕跡が規則的に並んでいるのを発見。写真からは2間×3間の建物で、床面積は約90㎡。東側には庇を支えた可能性もある4本の柱の跡もあった。もし庇があったならば首長の居館、そうでなければ倉庫の可能性が高いが、南側約50mに隣接する全長約79mの前方後円墳・端山(はやな)古墳(築造時期4世紀初め頃)と主軸の方位が近いことから、この古墳に関連した施設であることも考えられるという。
これまで14棟の掘立柱建物跡が確認されているが、今回の建物跡は最大規模という。
 市教委は26日午前10時から現地説明会を開く。現場は伊都国歴史博物館から徒歩10~15分のところ。
[参考:西日本新聞、産経新聞、朝日新聞、読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
 三雲・井原遺跡

キーワード:端山古墳



キーワード:弥生硯
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鳥取市・青谷横木遺跡 古代「山陰道」から平安時代の柳の街路樹跡が見つかる

2017年02月22日 | Weblog
 鳥取県埋蔵文化財センターは21日、青谷横木遺跡(鳥取市青谷町)の古代官道「山陰道」跡から、平安時代のものとみられる柳の街路樹跡が見つかったと発表した。
 古代山陰道に並行した10世紀後半の盛り土約100mの区間で、18本の木の根や大量の木製の杭が2015年8~9月に見つかり、このうち8本の種類を調べたところ全てが柳と判明。さらに2本を放射性炭素年代測定したところ、9世紀後半~10世紀後半のものと分かった。木々は0.5~2m間隔で並んでいた。

 奈良時代の歌人・大伴家持が読んだ歌に、
「春の日に はれる柳を 取り持ちて 見れば都の 大路し思ほゆ」(万葉集巻第19 4142)
があり、平城京の朱雀大路には柳の並木が植えられていた。地方の街道にも街路樹が植えられていたことを裏付ける。実際に樹木が発掘されたのは全国で初めてという。

 青谷横木遺跡は青谷平野を流れる日置川の下流域にある。律令国家で敷設された山陰道の遺構約300mのほか、条里遺構や倉庫と見られる建物跡、出挙に関する木簡木製、祭祀具2000点以上も発掘されており、古代に官衙(役所)があったと考えられている。
 今月25日から鳥取市歴史博物館(同市上町)ので始まる発掘調査展で現地の様子を写したパネルや古代山陰道のイメージ図を展示する。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞、NHKニュース]

過去の関連ニュース・情報"
 青谷横木遺跡
2013.9.6 古代「山陰道」とみられる幅9mの道路遺構が確認され、交通の要衝だったことがうかがえる。
 山陰道


平安時代の街路樹か 狭い間隔で並ぶ柳の木の根


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天理市・ヒエ塚古墳 箸墓古墳とほぼ同時期の築造の可能性

2017年02月17日 | Weblog
 天理市教委が16日、大和古墳群の北端にある天理市萱生(かよう)町にある前方後円墳「ヒエ塚古墳」の後円部が、想定より10m大きい直径70m規模であることが分かったと発表した。
昭和52年と平成14、25年に行われた測量・発掘調査の結果、全長約130m、後円部は直径約60mと推定されていた。平成25年度の調査で埴輪が出土せず、今回も見つからなかったことから、埴輪が普及する前の古墳時代前期前半(3世紀後半~4世紀初め)に築造された可能性が高まった。箸墓古墳(桜井市、全長280m)とほぼ同じ時期の築造。
 今回、後円部北側で行った調査で、後円の周囲を囲う周濠(幅約5.8m、深さ約50cm)と墳丘を覆っていた葺石を確認。これらの位置から、後円部は想定より大きい直径70m規模であることが分かった。
 発掘調査現地説明会が19日(日)午後1時~3時30分に行われる。
[参考:奈良新聞、産経新聞、読売新聞、NHK奈良ニュース、天理市HP]

過去の関連ニュース・情報
 ヒエ塚古墳
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いわき市勿来町 伊勢両神宮神社

2017年02月17日 | Weblog

 勿来駅前に八幡太郎義家騎馬像が建っています。そばには、「吹く風をなこその関と思へども道もせに散る山桜かな」の歌碑もあります。(標高6.6m)


 ここから、陸前浜街道沿いに北へ約300mの所に、伊勢両神宮への裏参道があり、「村社 伊勢両宮」と刻んだ石柱が建っています。(標高9m) 現在は、ここから100m先に車が通れる道ができているのでこちらが利用されています。
また、本来は東からの入口が表参道のようです、
 参道を登ると、広場に至り、さらに階段と鳥居が見えます。(標高27m) 階段の手前には説明板が建っており、神社の由来が書かれています。

伊勢両宮神社 の由来
 所在 いわき市勿来町四沢字伊勢林5番地
 祭神 内宮 天照皇太神 外宮 豊受大神
 伊勢両宮神社 は、文禄年間、窪田山城守家盛の叔父道通なる者、松山寺住職宥長上人と協力して、伊勢国渡会より、勧請せるものという。
 一説に岩城下総守親隆公の志願による、との伝えもある。神域は、伊勢山城あるいは鬼岡館といい、前九年の役(永承六年)に源義家の陣せし所という。
 また神域西方には、伊勢林前遺跡があり、縄文時代後期から古墳時代に至るまでの土器等が、発見されている。


 階段を登ると二の鳥居があり、その先、左(西)に内宮、左(東)に外宮が鎮座しています。(標高32m)


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東松山市・将軍塚古墳 3次元地形測量と地中レーザー探査による非破壊調査を実施へ

2017年02月17日 | Weblog
 東松山市教育委員会は十五日、同市下野本にある前方後円墳「将軍塚古墳」の形状や内部構造を調べるため、早稲田大学考古学研究室の協力で三次元地形測量と地中レーザー探査による非破壊調査を行うと発表した。
 調査は27日から一カ月かけて行われる予定。

 将軍塚古墳から約1km南の反町遺跡(同市高坂)では、4世紀ごろに大集落があったことが分かっている。
 反町遺跡の西側にある高坂古墳群からは2011年、県内で初めて「三角縁神獣鏡」が発掘された。

東松山市にホームページでは、将軍塚古墳を県内第2位の大きさ(全長115m、後円部の高さ15m、前方部の高さ8m)とし、築造年代は5世紀後半から6世紀前半のものと推定としている。
[参考:東京新聞、東松山市HP]

過去の関連ニュース・情報
反町遺跡
高坂古墳群


東松山の将軍塚古墳 市教委と早大研究室が3次元測量調査へ




キーワード: 野本将軍塚古墳、野本1号墳
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橿原市・新堂遺跡 5世紀前半の木製椅子、須恵器、馬の骨などが出土

2017年02月16日 | 竹姫(浄岸院)
 橿原市教委と奈良県立橿原考古研は15日、橿原市の新堂遺跡で、古墳時代中期(5世紀前半)の川の遺構から大規模なしがらみ(柵)遺構、木製の椅子、須恵器、柵、馬の骨などが多く出土したと発表した。
 大型店舗建設に伴い、市教委と橿考研が共同で約7000㎡を調査した。
① 幅約15~35m、深さ最大約2・5mの川跡を検出。川の勢いや流れを変えるためと考えられる大規模なしがらみ遺構が見つかった。
② 木製の椅子はコウヤマキの一木造りで、高さ約12cm、幅約35cm、奥行き約16cm。儀礼の場で使われた可能性があるという。曲線を生かした優美な造り。このほか、木づちや刀を模した祭祀具も見つかった。
③ 壺や甕、高坏、器台など70点以上が出土。朝鮮半島の伽耶地方産の特徴「火炎形透かし」といわれる穴の装飾をまねたものをはじめとし、試作品などのようなものも含まれ、朝鮮半島の文化を取り入れ日本で生産が始まった須恵器導入期の資料として注目される。 これまで知られていない須恵器の窯が近くにあった可能性があるともしている。
④ 馬とみられる肩甲骨や歯が出土し、複数の馬を飼っていた可能性もある。

 今回の出土品のうち、木製品以外は、15日から6月まで「歴史に憩う橿原市博物館」で展示される。
 腰かけなどは今月26日(日)と3月4日(土)の午後1時半から、同館そばのクリーンセンターで開く成果報告会で公開される。
[参考:共同通信、奈良新聞、読売新聞、産経新聞、毎日新聞、朝日新聞、NHKニュース、TVN奈良テレ放送]


古墳時代の首長級が座った?…木製の椅子出土
奈良・橿原の新堂遺跡で最古級の須恵器70点超出土…当時の生産体制を考える第1級資料
古墳時代の腰掛け?ほぼ完全な形で出土 奈良・新堂遺跡
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明日香村・飛鳥寺西方遺跡 飛鳥時代の石組溝と石列の一部を検出 2017年2月26日に現地説明会

2017年02月16日 | Weblog
明日香村より、飛鳥時代の石組溝と石列の一部、柱穴などを検出したので、平成29年2月26日(日) 10:00~15:00現地説明会を開催いたしますとの発表がありました。

写真は、昨年11月15日に撮影したもの。中央に首塚、後方に甘樫丘が見える。入鹿の首塚より左側(南側)に約130mのところが今回の調査個所。
[参考:明日香村HP]

過去の関連情報・ニュース
 飛鳥寺西方遺跡


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八尾市・東弓削遺跡 由義寺の塔基壇跡を発見

2017年02月09日 | Weblog
八尾市・東弓削遺跡 由義寺の塔基壇跡を発見
 大阪府八尾市教委は9日、同市の東弓削(ひがしゆげ)遺跡の発掘調査で塔の基壇(1辺約20mの正方形)が見つかったと発表した。
平城京の東大寺や興福寺と同型の瓦が多く出土しているため国家寺院と考えられ、塔は七重塔である可能性が高いという。
基壇は、高さ約100mともいわれる東大寺七重東塔の基壇(1辺24m)より小さいが、大安寺七重塔の基壇(同20.4m)に匹敵する大きさ。大安寺七重塔は塔高さ約70mと推定されている。
基壇の造成には、版築工法が用いられ、高さ約70cmの層が確認された。実際には1.2~1.5mあったとみられる。柱を支えていた礎石とみられる巨石も見つかった。
基壇の周りから凝灰岩の切石の破片が多数出土した。凝灰岩で基壇を装飾する作業は塔建築の最終工程とされ、塔が完成していたと判断できるという。
付近からは塔頂部の相輪の破片とみられる銅製品も見つかった。
 発掘された礎石とみられる巨石の破片には焼け焦げているものもあり、塔は火災で焼失した可能性があるという。
これまで幻とされていた、続日本紀に記載がある由義(ゆげ)寺の塔の遺構とほぼ断定した。
 由義寺は孝謙上皇(後の称徳天皇)のそばで権力を握った僧・道鏡(不詳~772)の出身地であり、道鏡が建設に関わったとされる寺院。
 現地説明会は11日午前11時~午後3時に開かれる。
市立歴史民俗資料館(八尾市千塚3丁目)では18~26日(21日は休館)に出土品を展示する。
[参考:共同通信、毎日新聞、産経新聞、NNNニュース]

過去の関連ニュース情報
 由義寺(弓削寺)
 道鏡

幻の「由義寺」裏付け、道鏡の権力見せつける 称徳天皇の寵愛背景に

追記 2017.2.12
 現地説明会が11日に行われた。開始1時間前から考古学ファンら約2000人が詰めかけたとの報道。
 [参考:毎日新聞]


キーワード:東弓削遺跡、弓削寺、由義寺、
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