市教委は30日、邪馬台国の最有力候補地、纒向遺跡(2世紀末~4世紀初め)について、来月から中枢部を本格的に発掘調査すると発表した。期間は約5年の予定。
集落部分の学術調査は初めて。71年以来160回の調査をしたが、開発に伴う小規模なものが多かった。
遺跡の範囲は、東西約2km、南北約1.5km。古事記や日本書紀で、歴代天皇の宮があったと伝えられる三輪山麓に広がる。
卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳(全長約280m)をはじめ、前方後円墳が誕生した場所で、九州から関東まで各地の土器が持ち込まれていたことなどから、邪馬台国やヤマト王権との関係が取りざたされてきた。
78年度の調査で神殿風の特殊な約5m四方の掘っ立て柱建物跡(3世紀初め-中ごろ、注1)、南側には祠のような約2m四方の建物跡(注2)1棟、周囲に柵が見つかっており、神殿の一部と考えられている。今回の調査では、その建物跡が出土したJR巻向駅近くの空き地約450㎡と周辺の約100m四方を2カ月かけて調査。市教委は「建物跡の東側に、巨大な中枢の建物の遺構が眠っている可能性がある」として、まだ見つかっていない中心建物の発見を目指し、規模や構造、性格を明らかにする。女王卑弥呼が国家的祭祀を行った神殿の可能性もあり、成果に注目が集まりそうだ。
九州から関東地方の土器も数多く出土していることから、一般的な集落とは異なり、広範囲から人が移動してきた「都市」との見方もある。遺跡内には、卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳(3世紀後半)など最も初期の前方後円墳が点在している。
(注1) 朝日新聞では、正殿(縦4.4m、横5.3m)とみられるとする。
(注2) 朝日新聞では、脇殿(縦1.8m、横1.6m)とみられるとする。
[参考:共同通信、毎日新聞、産経新聞、朝日新聞]
[前出・纒向遺跡関連]
集落部分の学術調査は初めて。71年以来160回の調査をしたが、開発に伴う小規模なものが多かった。
遺跡の範囲は、東西約2km、南北約1.5km。古事記や日本書紀で、歴代天皇の宮があったと伝えられる三輪山麓に広がる。
卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳(全長約280m)をはじめ、前方後円墳が誕生した場所で、九州から関東まで各地の土器が持ち込まれていたことなどから、邪馬台国やヤマト王権との関係が取りざたされてきた。
78年度の調査で神殿風の特殊な約5m四方の掘っ立て柱建物跡(3世紀初め-中ごろ、注1)、南側には祠のような約2m四方の建物跡(注2)1棟、周囲に柵が見つかっており、神殿の一部と考えられている。今回の調査では、その建物跡が出土したJR巻向駅近くの空き地約450㎡と周辺の約100m四方を2カ月かけて調査。市教委は「建物跡の東側に、巨大な中枢の建物の遺構が眠っている可能性がある」として、まだ見つかっていない中心建物の発見を目指し、規模や構造、性格を明らかにする。女王卑弥呼が国家的祭祀を行った神殿の可能性もあり、成果に注目が集まりそうだ。
九州から関東地方の土器も数多く出土していることから、一般的な集落とは異なり、広範囲から人が移動してきた「都市」との見方もある。遺跡内には、卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳(3世紀後半)など最も初期の前方後円墳が点在している。
(注1) 朝日新聞では、正殿(縦4.4m、横5.3m)とみられるとする。
(注2) 朝日新聞では、脇殿(縦1.8m、横1.6m)とみられるとする。
[参考:共同通信、毎日新聞、産経新聞、朝日新聞]
[前出・纒向遺跡関連]