金海市大成洞古墳博物館による金海大成洞古墳群7次発掘調査が2012.6.4から始められ、現在も進行中?である。
日本の歴史を探る上でも関連のあるとても重要かつ大きな発掘成果であるが、残念ながら日本では新聞に取り上げられていないし、日本の考古学者・歴史学者などからの発信もされていない。 ところが、日本の考古学者・歴史学者も多数訪れているという。 いかに「歴史」といえども、大事なニュース性があるのであれば、早い対応(発表など)を望むところである。
韓国の「新聞」「ニュース記事」より、6月4日以降、現在までの簡単な発掘調査経緯を追ってみた。
6月4日 発掘調査を開始
8月8日 現場説明会を開催
今回の発掘調査結果、竪穴式石槨墓5基、木槨墓2基が発見された。 この中、88号および91号木槨墓は規模からみて支配者階層の墓と推定され、特に特に91号墳は墓の規模と出土遺物からみて王級墓に該当する。
91号墳墓は4世紀第2四半期築造と見られ、龍文金銅辻金具、金銅鈴など慕容鮮卑系の遺物が出土した。
88号墳は4世紀第3四半期築造とみられ、巴形銅器2点、銅鏃など倭系の遺物が出土した。
8月16、17日 2日間で約10人の日本の考古学者が大成洞古墳群を見学した。
8月20日 大成洞古墳博物館に嶺南・九州考古学共同研究会所属の日本考古学者約40人のほかに、日本から来た研究者を併せて70名余りが訪問して第7次学術発掘調査結果を確認した。
この日までに、88号墳では巴形銅器が計8個見つかった。 巴形銅器が6個相次いで出土した場所では木製盾と箭筒の痕跡も確認されている。
91号墳で発見した馬具、馬鈴、銅鋺(青銅器)等の三燕時代の遺物に関する関心が高い。 日本では5世紀後半古墳時代に三燕の影響を受けた遺物が発見された。 この遺物を基に、倭と三燕が直接交流したという説と伽耶か新羅を経由した間接交流がなされたという二種類説があるが、ともに根拠が充分でなかった。 しかし91号墳で4世紀前半三燕遺物が発掘されて伽耶を通じた交流が確認されたわけだ。…としている。
9月10日までに91号墳で龍文様が透彫された金銅製腰帯金具が出土した。 一方、88号墳墓では巴形銅器の出土が合計12個に達したという。
今回、韓国のメディアが、出土した遺物の漢字表記で違和感を覚えたものが2つあったので挙げておくことにする。
① 金銅辻金具(금동십금구)→ 金銅十金具と表記している。
② 巴形銅器(파형동기) → 波形銅器と表記している。
過去の関連ユース・情報
2012.8.9大成洞古墳群 4世紀の木槨墓2基を発見 うち1基は鮮卑族との交流を示す遺物が出土
2020.11.19追記
2013.08.30から大成洞古墳博物館で大成洞古墳群の重要遺物が初公開された。
一年前に4世紀大王級墓である88号墳と91号墳から、龍模様が彫られた立派な金銅製遺物など合計150点余りの重要遺物が出土したが、この遺物がたくさんの写真資料とともに展示された。
龍模様のある金銅製遺物は韓国で発掘された遺物中最も古いことが確認され、大成洞の4世紀代古墳で発掘されたという事実は、その当時この地域が先進地域であり、中国・倭との交易中心地だったことを語っているとしている。
最初に91号墳から出土されたという龍文金銅製腰帯装飾は88号墳からの出土に変わっている?