歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

咸平郡・金山里方台形古墳 人物埴輪が初出土

2018年12月28日 | 韓国の遺跡・古墳など
全南文化財研究所は26日、10月から発掘調査中の咸平金山里方台形古墳(금산리 방대형고분、全南記念物第151号、全長40~50m、高さ約9m)で人物埴輪(인물식륜)と動物埴輪(동물식륜)が出土したと発表した。
 人物埴輪は顔と頭の一部が出土した。目を現わすために2つの穴を平行にあけ、真ん中に鼻部分があったとみられる。頭の部分は三角形に見える、鼻周辺には6本の陰刻の線でひげを描写している。韓国で人物埴輪の出土は初めて。
 また、馬形埴輪の顔の一部と脚部が出土した。
 埴輪は日本からの輸入品というよりは栄山江流域に居住した工人が日本の埴輪の存在を知って製作したようだとする。また材質は、丈夫な須恵器(스에키)土器系としている。
 古墳築造時期は5世紀後半から6世紀前半間と推定される。
 これまでの調査で、墳丘表面を割石で覆った葺石跡が確認されている。
6世紀まで韓半島南部で強力な勢力を維持した馬韓の支配層墓と推定されるとする。
[参考:聯合ニュース、東亜日報]
 
2019.7.3 馬韓と葺石情報を追記
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各務原市・坊の塚古墳 前方部も3段構造で白い葺石

2018年12月21日 | Weblog
 各務原市埋蔵文化財調査センターは18日、同市鵜沼羽場町の前方後円墳「坊の塚古墳(全長120m、前方部高さ約8m、後円部高さ約10m、4世紀後半~末期)」の前方部が3段部に整備され、全体に葺石が並べられていたと調査結果を発表した。今回の調査で古墳全体が葺石で覆われていることが分かった。
 県内に3段以上の古墳は少なく、埋葬者の権威がより裏付けられたという。
 墳頂部からは並べられた状態で円筒埴輪の破片も多数見つかった。
 現地説明会が22日(土)に開かれる。

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 坊の塚古墳
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京都市・聞名寺 本尊・木造阿弥陀三尊像は行快作と判明

2018年12月20日 | Weblog
 京都国立博物館(京都市東山区)は17日、京都市左京区の聞名寺の本尊・木造阿弥陀三尊像(13世紀)について、行快作と確認したと発表した。行快銘入りの仏像は10例目。
 三尊像は阿弥陀如来立像(高さ83cm)、勢至菩薩立像(同58cm)、観音菩薩立像(同59cm)。左右に並ぶ脇侍の両菩薩立像の左足と台座をつなぐ枘(ほぞ)の部分に「行快」と墨書されているのがわかった。勢至菩薩立像には、「法眼」の文字もあった。
 三尊像は来年4月13日~6月9日、京都国立博物館で開かれる特別展「国宝一遍聖絵と時宗の名宝」で公開される。
[参考:京都新聞、朝日新聞、読売新聞、NHK]

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 行快
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咸安郡・末伊山古墳群13号墳 竪穴式石槨墓蓋石に刻んだ125個の星座が見つかる

2018年12月19日 | 韓国の遺跡・古墳など
 韓国文化在庁は18日、咸安郡と(財)東亞細亞文化財研究院 が調査中である慶南咸安郡伽倻邑道項里の「咸安末伊山13号墳(말이산 13호분、直径40m、高さ7.5m)」(史跡515号)で四つの壁面をすべて赤く彩色した竪穴式石槨墓(구덩식 돌덧널무덤)蓋石から125個の星座(별자리 )を捜し出したと発表した。
 西側にはさそり座(東洋龍星座)、南側には射手座(南斗六星)が刻まれている。
 13号墳は1千基余りに達する末伊山古墳群のうち最中央部の最も高い地帯にあり、王の墓とみられる。
 石室は花崗岩製で長さ9.1m、幅2.1m、高さ1.8m。 5世紀後半の築造と推定される。
[参考:聯合ニュース]
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石神井公園・三宝寺池(石神井城址)とカワセミ

2018年12月17日 | Weblog


今日は朝のうち雨が降っており、午前10時くらいに止んで、11時くらいから晴れ間が出てきました。
久しぶりに、石神井公園の三宝寺池に行きました。
三宝寺池の南側の小高い部分に往時、石神井城の主郭がありました。
その手前の池のそばの木の枝にカワセミが止まって、その姿を楽しませてくれました。

~現地解説板より
石神井城跡
 石神井城は、中世武士の豊島氏の城です。
 豊島氏は、葛西、江戸両氏とともに、秩父流平氏で、鎌倉時代の末には、石神井郷を領有していました。
 室町時代に、城主の豊島泰経は、武蔵守護の上杉顕定にそむいた長尾景春に味方しました。そのために顕定を援助していた江戸城主の上杉定正の重臣の太田道灌は、文明9年(1477)4月、この城に泰経を攻めて、これを落としました。
 石神井城は、中世の平城の一つで、三宝寺池の谷と石神井川の低地とに挟まれた小高い丘陵の上にあって、その周囲は空堀や土囲(どい)でめぐらされていました。
 今でも空堀のあとの一部を見ることができますが、落城によって照姫が水中に身を投げたという伝説など数々の哀れな物語を秘めています。
昭和58年3月 練馬区教育委員会
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鳥取市・松原田中遺跡 3世紀後半の高床式建物の地中梁を公開

2018年12月15日 | Weblog
 鳥取県埋蔵文化財センターは14日、鳥取市の松原田中遺跡から出土した古墳時代前期(3世紀後半)の2本の地中梁(ちちゅうばり)を公開した。
 スギ材で、長さは7.33mと7.22m。梁の長さなどから、巨木を加工している
出土地周辺は地盤が弱いことから、高床式倉庫の沈下を防ぐ目的で梁を2本一組で地中に埋め込んで基礎部分の補強に用いられたとみられる。
出土した2本の地中梁は、22日午後1時~3時、鳥取県埋蔵文化財センター美和分室(鳥取市源太)で一般公開される。
[参考:共同通信、朝日新聞、山陰中央新報]

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 松原田中遺跡


古墳時代の「地中梁」公開、鳥取 弱い地盤、建物の沈下防ぐ

古墳時代の地中梁、鳥取で 軟弱地盤に基礎、技術確立
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香南市・高田遺跡 古代官道「南海道」か

2018年12月15日 | Weblog
 高知県文化財団埋蔵文化財センターが香南市野市町下井の高田遺跡で、奈良時代の道路状遺構とみられるほぼ直線で東西方向に平行に走る2本の溝跡が見つかったと発表した。
 道路幅は県内最大となる10m以上で、8世紀に敷かれた官道・南海道の可能性が極めて高いとしている。
 遺構は高知東部自動車道・南国安芸道路の建設予定地。
 現地説明会が16日午前10~11時に開かれる。
[参考:読売新聞、高知新聞、NHKニュース]

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南海道


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