盛岡 原敬別邸「介寿荘」跡
昨日(5/29)は、家内の実家の法要があり、法宴の会場をホテル東日本盛岡の日本料理「介寿荘」にて行いました。
「介寿荘」は、政治家・原敬の別邸「介寿荘」の跡地という由来から命名したそうです。
ホテル東日本盛岡と隣接する七十七銀行の北裏には、別邸時代の赤いレンガ塀が残され、圓通(えんず)神社が鎮座しています。
圓通神社の由来と書かれた説明板が赤レンガ塀に掛かっており、下記のように記されています。
圓通神社由来
この地は、原敬(内閣総理大臣 大正7年)の別邸介寿荘のあった所です。
原敬は、少年時代儒経の根本である漢籍を、青年時代は耶蘇経を、そして晩年はコツコツと仏教を深く研究された方です。
仏典の2.3は暗記するほど深く研究し、とても信仰の厚い方でありました。又、神社に対しては、深く尊宗を持ち、自分で菩提寺、大慈寺を建立(大正8年)しております。
原敬の偉大さは、特に兄弟の仲は良く、母に孝養を尽くし、友情に厚く国家本位の政治を行ない、大西郷の遺言の通り美田を求めず、人間原敬の面目全く躍如としております。
孔子の儒教精神と、西洋の自由思想をほどよく摂取調和し実践した人間の手本とすべき人でありました。
昭和55年ホテル建設にあたり、時の流れに荒廃していた氏神の一部が出土した事から有志により復元をはかり、無病息災、家内隆盛、子孫繁栄、良縁、商売繁盛、交通安全の守護神として造られた神社であります。
昭和63年8月吉日
当時(おそらく明治後期から大正初め頃)の「介寿荘」の写真は、「蔵から出てきた盛岡 : よみがえる写真乾板 / 伊山治男 編」(東京 : 国書刊行会, 1989.7)に収蔵されています。奈良真順氏の撮影です。
参考: 2011-07-05 盛岡市・中ノ橋・奈良写真館 宮沢賢治ゆかりの写真館
昨日(5/29)は、家内の実家の法要があり、法宴の会場をホテル東日本盛岡の日本料理「介寿荘」にて行いました。
「介寿荘」は、政治家・原敬の別邸「介寿荘」の跡地という由来から命名したそうです。
ホテル東日本盛岡と隣接する七十七銀行の北裏には、別邸時代の赤いレンガ塀が残され、圓通(えんず)神社が鎮座しています。
圓通神社の由来と書かれた説明板が赤レンガ塀に掛かっており、下記のように記されています。
圓通神社由来
この地は、原敬(内閣総理大臣 大正7年)の別邸介寿荘のあった所です。
原敬は、少年時代儒経の根本である漢籍を、青年時代は耶蘇経を、そして晩年はコツコツと仏教を深く研究された方です。
仏典の2.3は暗記するほど深く研究し、とても信仰の厚い方でありました。又、神社に対しては、深く尊宗を持ち、自分で菩提寺、大慈寺を建立(大正8年)しております。
原敬の偉大さは、特に兄弟の仲は良く、母に孝養を尽くし、友情に厚く国家本位の政治を行ない、大西郷の遺言の通り美田を求めず、人間原敬の面目全く躍如としております。
孔子の儒教精神と、西洋の自由思想をほどよく摂取調和し実践した人間の手本とすべき人でありました。
昭和55年ホテル建設にあたり、時の流れに荒廃していた氏神の一部が出土した事から有志により復元をはかり、無病息災、家内隆盛、子孫繁栄、良縁、商売繁盛、交通安全の守護神として造られた神社であります。
昭和63年8月吉日
当時(おそらく明治後期から大正初め頃)の「介寿荘」の写真は、「蔵から出てきた盛岡 : よみがえる写真乾板 / 伊山治男 編」(東京 : 国書刊行会, 1989.7)に収蔵されています。奈良真順氏の撮影です。
参考: 2011-07-05 盛岡市・中ノ橋・奈良写真館 宮沢賢治ゆかりの写真館