奈良市の東大寺、奈良文化財研究所、奈良県立橿原考古学研究所は22日、東大寺境内で、かつて七重塔として建立された東塔の創建時・奈良時代の基壇と「七」の文字がある鎌倉時代の軒丸瓦が出土したと発表した。
東大寺は創建当初(750~60年代ごろ)、大仏殿を挟んで東塔と西塔が並んで建立されたが、東塔は平安時代に平家の南都焼き討ちで焼失。鎌倉時代1227年に再建されたが1362年に落雷で焼失し、基壇跡だけが残っている。西塔は934年に焼失した。
発掘では基壇東側で、創建時の階段跡の一部も出土した。創建時の基壇は24m四方で、鎌倉の再建時に27m四方へ拡幅された。昨秋、同時代の基壇が確認されている。当初の基壇を壊さずに保存したらしい。
塔は国内最大級(70~100m)だった可能性のあることがわかった。今回、その下部で、創建時の基壇の東側階段の一部や、鎌倉時代の瓦が出土した。直径約15cmで蓮華文の中央に「七」の文字が刻まれていた。七重塔を意味するとみられ、いずれも同じ鋳型で、再建時の13世紀初頭の製作とみられる。塔の再建に携わった僧・栄西が瓦に塔の層の数を入れさせたとみている。左右反転した軒平瓦の2種類があった。
臨済宗を広めた栄西は、東大寺復興に尽力した僧・重源の死後、1206年にその任を継いだ。京都にあった法勝寺(ほっしょうじ)でもこの3年後、九重塔の再建に関わった。この塔跡から「九」の瓦が出土している。
現場はすでに埋め戻されている。
速報展が4月29日~5月13日、境内の東大寺ミュージアムで開かれる。
[参考:共同通信、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、産経新聞、NHKニュース]
東大寺の東塔跡で「七重塔示す」瓦が大量出土
東大寺東塔、創建時の基壇確認 「七」刻んだ瓦も出土
東大寺は創建当初(750~60年代ごろ)、大仏殿を挟んで東塔と西塔が並んで建立されたが、東塔は平安時代に平家の南都焼き討ちで焼失。鎌倉時代1227年に再建されたが1362年に落雷で焼失し、基壇跡だけが残っている。西塔は934年に焼失した。
発掘では基壇東側で、創建時の階段跡の一部も出土した。創建時の基壇は24m四方で、鎌倉の再建時に27m四方へ拡幅された。昨秋、同時代の基壇が確認されている。当初の基壇を壊さずに保存したらしい。
塔は国内最大級(70~100m)だった可能性のあることがわかった。今回、その下部で、創建時の基壇の東側階段の一部や、鎌倉時代の瓦が出土した。直径約15cmで蓮華文の中央に「七」の文字が刻まれていた。七重塔を意味するとみられ、いずれも同じ鋳型で、再建時の13世紀初頭の製作とみられる。塔の再建に携わった僧・栄西が瓦に塔の層の数を入れさせたとみている。左右反転した軒平瓦の2種類があった。
臨済宗を広めた栄西は、東大寺復興に尽力した僧・重源の死後、1206年にその任を継いだ。京都にあった法勝寺(ほっしょうじ)でもこの3年後、九重塔の再建に関わった。この塔跡から「九」の瓦が出土している。
現場はすでに埋め戻されている。
速報展が4月29日~5月13日、境内の東大寺ミュージアムで開かれる。
[参考:共同通信、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、産経新聞、NHKニュース]
東大寺の東塔跡で「七重塔示す」瓦が大量出土
東大寺東塔、創建時の基壇確認 「七」刻んだ瓦も出土