表題の現地説明会が予定されています。
2006年に室町時代の寺院跡とみられる礎石や瓦、ほかに青磁、古瀬戸などが発見されました。1401年に大石地区に再興されたと伝えられる「霊山寺」の有力な候補になるとされ、このうち菊の文様が配された軒平瓦は、同市梁川町の伊達家が建立した筆頭寺院格である東昌寺跡でも発見されているため、伊達家の関与が示唆されました。
2007年には、新たな礎石建物跡1棟と掘立建物跡1棟が発見され、霊山寺跡とほぼ断定されました。
礎石建物跡には火災で倒壊した可能性があり、大量の瓦が出土していることから、当時では珍しい総瓦葺きの建物だったと推定されています。
今年度は、新たに室町時代の建物跡が見つかりました。礎石が確認され、茶碗や茶壺の一部が見つかり、寺院の生活関連施設とみられます。
発掘調査現地説明会
日 時: 2008年11月1日(土)午後1時30分~
場 所: 宮脇遺跡(伊達市霊山町大石字宮脇)
主 催: 伊達市教育委員会
[参考:福島民法、
福島県文化財センター「まほろん」、10/29毎日新聞]
霊山寺概要: 福島県伊達市霊山町・相馬市
2500から3000万年前の火山活動で生まれた霊山は奇岩がそそりたち、高山植物の宝庫、紅葉の名所として、国の史跡、名勝に指定されている。
霊山城址に立てられている説明板には、下記が記されている。
霊山(りょうぜん)は貞観元年(859)、比叡山延暦寺の座主円仁(慈覚大師)によって開山されたといわれ、釈迦が修行したというインドの霊鷲山(りょうじゅせん)に因み霊山と命名され、山号を南岳山山王院霊山寺と称した。往時は伊達・宇多・刈田を寺領とし、南奥における宗教・文化の中心地として栄えた。
下って延元2年(1337)正月、陸奥の守北畠顕家は後醍醐天皇の皇子義良親王を奉じて霊山に拠り、南朝再興を策してここに国府を開いたが、貞和3年(1347)北朝方の勢力に抗しきれずついに落城し、山中の堂宇はことごとく消失した。今霊山山中には数多くの遺跡群が埋もれており、往時の栄華を今に伝えている。
このような悠久の歴史を秘め、四季折々に山容を変える霊山は、玄武岩質の火山角礫岩によって構成されており、長い年月にわたる風化侵食作用によって出来た奇岩怪岩と、岩間に映える新緑、紅葉はすばらしく天下の景勝地として広く知られているところである。
昭和60年12月 文化庁、霊山町教育委員会
霊山寺は天台宗の東北中心として隆盛を極め、以来500年平泉の北奥文化に対し霊山は南奥文化として栄華を極めたといわれるが、その性格は全く異なる。最大標高825mの霊山、その標高約760mのところに霊山寺は建立され、3600坊の大伽藍を誇る東北山岳仏教文化の中心であった。
現在、霊山に登るには「霊山こどもの村」の直ぐ上、標高約530mのところに駐車場があり、そこを利用すると便利である。直ぐに登山口がある。駐車場脇に説明板があり、下記が記されている。
この山は元は不忘山と言ったが、貞観元年(859) 滋覚大師円仁が南岳山山王院霊山寺を創建し、霊山と改めた。以後天台修験の霊場となった。
南北朝の争いで焼失後、伊達氏が再興し(注)霊山寺を中心に衆徒12坊があった。会津藩となって寺領を失い、堂宇破壊され現位置に移った。
大正13年中腹の霊山寺跡が発掘調査され、千手観音堂を根本中堂とした僧坊3600と称された霊山寺の規模が明らかになった。
霊山寺跡の隣の日吉神社は山王権現を祀ったものである。尚北麓の霊山神社は、明治14年南朝正統論の立場から創建されたもの。
(注) ここで、「伊達氏が再興し・・・」とあるが、再興した場所は霊山でなく、宮脇遺跡(標高約130m)ということになる。
[関連年表]
貞観元年(859) 第3代天台座主円仁(慈覚大師)によって開山される
元弘3年(1333) 後醍醐天皇は奥州政府開府のため、義良親王(後の後村上天皇)と陸奥国司・北畠顕家を多賀の国府へ下した。
建武2年(1335) 顕家らは数万の奥州兵を率いて、京都の足利尊氏軍を追い払うのに成功し、凱旋帰国したが、まもなく足利方によって多賀城が危うくなる。
建武4年(1337) 義良親王と顕家は霊山寺の勢力と南朝の有力武将であった伊達氏7代当主の行朝(行宗)、結城宗広入道を頼り、霊山寺に移った。国府を多賀城から移し、社寺仏閣を霊山城として利用した。
建武5年(1338) 顕家が討死にし、北朝方に攻め込まれ堂宇のほとんどが焼失した。
正平2年(1347)足利尊氏軍によりついに落城し寺院や城は消失。伊達氏は北朝に降った。
応永8年(1401)頃 伊達氏宗(1371~1412)が宮脇遺跡の地に再建する。(衆徒21坊が存在)
寛永17年(1641) 霊山寺跡から約6km北の場所である場所に移し、現在の霊山寺を再建した。
[参考: 宮脇遺跡第2次調査現地説明会資料(伊達市教育委員会)、「霊山寺縁起」]