(写真は唐古・鍵遺跡遠景)
江戸東京博物館では、6月5日から発掘速報展「発掘された日本列島2010」が開始されています。(~7月25日まで)
この1,2年に出土した遺物だけでなく、それ以前のものも多く含まれていますが、重要遺跡がいくつもあり興味のあるものでした。
高松塚古墳、キトラ古墳の発掘調査成果や保存修理の状況、整備事業の経過を紹介する展示、あるいは地域展「古代武蔵国の郡衛」も併せて行っています。
ニュースあるいは資料などにより掲載されている写真は、著作権があり使用することができません。そのために、折角、ニュースあるいは情報として採り上げても、写真が載せることができず残念に思うのですが、ここで撮った写真は、このサイトで過去にも振り返って整理したいと思います。
1.赤土山古墳(天理市)
展示室に入ると、最初に出会うのがこの古墳(4世紀後半)から出土した円筒埴輪と朝顔形埴輪(
写真1.)でした。
築造後まもなく発生した地震により、一部の埴輪列が地面ごと8m滑落し、そっくりそのままに土砂に埋まってしまったため、原形で出土したそうです。
天理市教委が発表するところによると、地震は過去2回あり、1回目の地震は埋まった埴輪の風化が少ないことから古墳が作られて間もない5世紀初め、2回目の地震は887年の南海地震であろうということです。
2.池田古墳(朝来市)
昨年2月、池田古墳の渡土堤の部分から、最古の水鳥形をした子持ちの鳥形埴輪計11体が全国で初めて出土しました。さらに9月、東造り出しからも水鳥形埴輪が出土しました。(
写真2.)水鳥はガン、カモ類だそうです。
過去の関連ニュース・情報
2009.2.20 池田古墳 水鳥形をした子持ちの鳥形埴輪出土
2009.10.30 池田古墳 墳丘東側の造り出しから第2段目葺石部までを調査中
3.観音寺本馬遺跡(橿原市・御所市)
土偶と石棒(
写真3.)などが展示されていました。ともに橿原市側、すなわち観音寺地区からの出土のようです。
過去の関連ニュース・情報
2008.12.3 橿原市観音寺地区遺跡・御所市本馬遺跡 東日本文化の影響を受けた縄文晩期遺跡
4.唐古・鍵遺跡(奈良県田原本町)
ここ数年は新しい発掘調査のニュース・情報はないと思いますが、過去に出土した楼閣が描かれた土器片(
写真4-1.)や青銅器工房遺構から出土した銅鐸の土製鋳型外枠(
写真4-2.)、鞴羽口などが展示されていました。
5.三雲・井原遺跡(糸島市)
「魏志倭人伝」の伊都国最大の拠点集落とみられる三雲・井原遺跡ですが、ここ1,2年は大きな発見はないはず。2007年4月に「完形品としては国内最古の内行花文鏡1枚が出土」と発表された朱がかかった鏡(
写真5.)が展示されていました。
6.纒向遺跡(桜井市)
昨年は、3世紀前半の国内最大の建物跡が見つかり昨年最大の話題を提供していました。
過去の関連ニュース・情報
2009.11.01 桜井市・纒向遺跡 3世紀前半の国内最大の建物跡が見つかる
2009.3.20 桜井市・纒向遺跡 卑弥呼時代の建物群と柵が出土
展示されていたのは、列島各地からもたらされた土器(吉備系、東海系、山陰系など)。
写真6.(左)は北陸系甕、(右)は2007年度に出土した木製仮面(3世紀前半)。農耕に関する祭祀に使用されたと考えられています。
7.桜井茶臼山古墳(桜井市)
昨年は、石室上部「方形壇」を囲む巨大な「丸太垣」の痕跡見つかったことを初めとし、全面を朱で彩った石室を60年ぶりに発掘し一般公開し、81枚以上の銅鏡が副葬されていたことが確認されたりなど、大きな話題が提供されました。また、木棺の材質がコウヤマキ製と特定されもした。
過去の関連ニュース・情報
2010.1.9 桜井茶臼山古墳 昨年の調査で81枚以上の銅鏡が副葬されていたことを確認
2090.10.22 桜井茶臼山古墳 全面を朱で彩った石室を60年ぶり発掘し一般公開
2009.6.14 桜井茶臼山古墳 木棺はコウヤマキ製と特定
2009.6.12 桜井茶臼山古墳 石室上部「方形壇」を囲む巨大な「丸太垣」の痕跡見つかる
残念ながら、パネル以外で特別な展示品はみられませんでした。
8.馬場南遺跡(木津川市)
馬場南遺跡は、発見当初(2008.8月)は「文廻池遺跡」と称され、須弥山を表す三彩陶器、万葉集の歌が書かれたとみられる木簡、「神尾寺」と書かれた墨書土器が出土しました。
過去の関連ニュース・情報
2008.8.12 文廻池遺跡 須弥山を表す三彩陶器が出土
2009.1.19 馬場南遺跡 現地説明会 1月17日
2009.8.11 馬場南遺跡 奈良時代の湧水施設が出土
2009.8.16 馬場南遺跡 万葉集木簡の裏面に「越中守」?
写真8-1.は出土した墨書土器。右は「神雄」、左は「黄葉」と記されています。ほかに神尾(寺)と記されたものがあり、ここに神雄寺(かみおでら)があったと推定されました。「黄葉」は、出土した万葉木簡「阿支波支乃之多波毛美智」(秋萩の 下葉もみちぬ)
秋芽子乃 下葉赤 荒玉乃 月之歴去者 風疾鴨(秋萩の 下葉もみちぬあらたまの 月の経ゆけば 風をいたみかも)
に関連したものかは興味あるところです。
写真8-2.は三彩陶器類。
写真8-3.は彩釉山水陶器。左は組み上がりの位置を示す「左五」の刻書がある三採陶器。。右は魚を描いたもの。この造形物は本来、仏像の足下を飾っていたと考えらそうです。
写真8-4.は須恵器の鼓胴(推定復元長さ32.5cm、直径18.5cm)。鼓胴は木製が一般的で、陶器製は国内では正倉院に伝わる奈良三彩だけだそうです。
9.キトラ古墳(明日香村)
写真9-1.は壁画の精密な複製を陶板で製作したもの。左に朱雀、右に玄武。
写真9-2.は黒漆塗銀装大刀片および金具類。
10.三重津海軍所跡(佐賀市)
慶応元年(1865)に国産初の実用蒸気船、凌風丸を完成したといわれます。現在、発掘調査を進め、世界遺産登録を目指しています。
過去の関連ニュース・情報
三重津海軍所跡
写真10.は出土した海文茶碗と皿。
以下は、併設展示の地域展「古代武蔵国の郡衛」です。
よく本や資料で見る、「无邪志国荏原評」銘瓦、武蔵国府国衛の東隣に造営されたとみられる多摩寺を裏付ける「多寺」「?磨寺」銘の瓦などが展示されていました。残念ながら撮影は禁止でした。
11.幡羅遺跡(深谷市)
2006年に古代の郡役所跡「幡羅遺跡」(7世紀後半~10世紀前半)で竈(かまど)の支脚とみられる人面が描かれた土製品(
写真11.)が発見されました。竈神(かまど神)を描いたものとみられています。
過去の関連ニュース・情報
2008.7.5 幡羅遺跡「竈神」を描いた人面土製品?を発見