市埋蔵文化財調査センターが28日、国府・多賀城跡南西約1・2kmにある集落跡とみられる山王遺跡から、平安時代の漆紙文書7点と漆が付着した土器が見つかり、遺跡一帯からは国府の館跡や区割りされた街並みを示す遺構が確認されていることなどから、出土した区画には漆器を作る工房があったと推測されると発表した。
出土した漆紙文書と漆付着土器は北側の土壙から見つかった。土器は漆を塗る際にパレットとして使われたようで、この区画に漆器工房があった可能性が高いとみている。
漆紙文書は、役所の公文書が漆おけのふた紙として再利用され、捨てられたのちに漆で保護されて地中に残ったもので、10世紀の前半から中ごろのものとみられる。国内では73年に多賀城跡で初めて発見された。山王遺跡でもこれまでに8点が確認されている。
今回見つかった文書の一部からは「○部○主」「戸頭」の文字が確認でき、当時この地方にいた「丈部田主(はせつかべのたぬし)」という人物に関する文書と推測。戸頭はこの人物の素性を示し、戸籍の筆頭者にあたる「戸主」と同義と考えられている。
調査個所からは奈良・平安時代の道路跡や建物跡、井戸跡なども見つかったほか、須恵器や砥石、円面硯(けん)などが出土し、当時の生活の跡がうかがえる。下の地層からは古墳時代の河川跡や、水田の畦とみられる土手状の高まりも確認された。
山王遺跡は1979年に発掘を開始。これまでに国司の住居跡「国守館(くにのかみのち)」などが確認されている。
30日午前10時半からは同市山王の山王地区公民館で一般向けの現地説明会がある。
[参考:2009.5.28朝日新聞、5.29河北新報]
漆紙文書に墨で「戸頭」 多賀城・山王遺跡から出土 (河北新報) - goo ニュース
出土した漆紙文書と漆付着土器は北側の土壙から見つかった。土器は漆を塗る際にパレットとして使われたようで、この区画に漆器工房があった可能性が高いとみている。
漆紙文書は、役所の公文書が漆おけのふた紙として再利用され、捨てられたのちに漆で保護されて地中に残ったもので、10世紀の前半から中ごろのものとみられる。国内では73年に多賀城跡で初めて発見された。山王遺跡でもこれまでに8点が確認されている。
今回見つかった文書の一部からは「○部○主」「戸頭」の文字が確認でき、当時この地方にいた「丈部田主(はせつかべのたぬし)」という人物に関する文書と推測。戸頭はこの人物の素性を示し、戸籍の筆頭者にあたる「戸主」と同義と考えられている。
調査個所からは奈良・平安時代の道路跡や建物跡、井戸跡なども見つかったほか、須恵器や砥石、円面硯(けん)などが出土し、当時の生活の跡がうかがえる。下の地層からは古墳時代の河川跡や、水田の畦とみられる土手状の高まりも確認された。
山王遺跡は1979年に発掘を開始。これまでに国司の住居跡「国守館(くにのかみのち)」などが確認されている。
30日午前10時半からは同市山王の山王地区公民館で一般向けの現地説明会がある。
[参考:2009.5.28朝日新聞、5.29河北新報]
漆紙文書に墨で「戸頭」 多賀城・山王遺跡から出土 (河北新報) - goo ニュース