歴歩

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海南郡花源面 完全な状態の初期粘土製青磁窯を確認

2017年09月29日 | 韓国の遺跡・古墳など
 海南郡花源面 完全な状態の初期粘土製青磁窯が確認された。
 韓国内で最も多く初期青磁窯(청자 가마)跡が分布する全羅南道海南郡花源面新徳里(화원면 신덕리)青磁窯跡の発掘調査で、完全な状態の初期青磁窯(長さ10m、幅1.3~1.6mほどの粘土で作った半地下式単室の登窯)が確認された。
 窯は육덕산(六徳山?)南斜面裾海抜48mの地点に位置している。
 窯下段部には失敗した青磁と黒磁の破片などが積まれていた。
 高麗中期になってから中国式のレンガ窯(벽돌가마)はなくなり、伝統の粘土窯(진흙가마)を中心に全盛期の翡色青磁(비색청자)を作っていた信徳里で確認された粘土窯の構造が、翡色青磁の秘密を解くのにも重要な資料となることが期待される。
[参考:聯合ニュースなど]

過去の関連ニュース・情報
 2010.9.14釜山市江西区で青磁窯4基を発掘 大規模な青磁生産と鉄画青磁も生産
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若狭町・脇袋丸山塚古墳 朝鮮半島と同じ埋葬法の遺構と鰭付円筒埴輪が出土

2017年09月09日 | Weblog
 花園大(京都市)考古学研究室は8日、若狭町瓜生の脇袋丸山塚(わきぶくろまるやまづか)古墳(全長50mの(帆立貝式)古墳前方後円墳、五世紀半ばの築造)の発掘調査で、朝鮮半島で行われていた同様の埋葬方式の遺構と、中部地方以東では初めて鰭(ひれ)付円筒埴輪の破片が出土したと発表した。
 今回、前方部のほぼ中央で、木製の棺を囲んでいたとみられる川原石が埋め込まれた粘土で囲われた遺構が見つかった。地表面を掘って岩盤の空間に棺を納め、埋め戻した後、盛り土をした遺構と考えられ、当時の朝鮮半島で行われていた埋葬法と同じという。周辺の地中から鏃片3点も出土した。
 鰭付円筒埴輪は、関西地方などで出土しているが、同時期の七観山古墳(堺市)から出土した鰭付円筒埴輪と似ており、畿内との関わりが推察できる。囲形(かこいがた)埴輪の破片も見つかったがいずれも北陸地方では初の出土という。
若狭地方が大陸と畿内を結ぶ地だったことをうかがわせ、被葬者は畿内との関わりのあった人物とみられるとしている。
 現地説明会が10日午前10時と午後1時半に開かれる。
[中日新聞、朝日新聞]


過去の関連ニュース・情報
2015-08-28若狭町・藤井岡古墳
 5世紀初頭の直径約23mの円墳。甲冑形埴輪が出土 大和政権との関わりを示す。
 同古墳から約10km離れた若狭町脇袋には、古墳時代中期の上ノ塚古墳(全長100mの前方後円墳)がある。
 同様の埴輪は小浜市の太興寺古墳群(5世紀末)でも見つかっているが、今回の方が古い。
2012.9.9 脇袋丸山塚古墳の現地説明会
 従来、上下の森古墳と呼ばれていた。全長51mの帆立貝式古墳と確定。築造時期5世紀後半
2011-09-06 小浜市・丸山城址古墳
 5世紀末~6世紀初めの全長約30mの前方後円墳。前方部の横穴式石室が、玄室へ向かう通路がスロープ状に下降しており、朝鮮半島、その文化が伝わった北部九州の影響を示している。同様の例として若狭町の向山1号墳(全長約49mの前方後円墳、5世紀半ば築造)がある。 玄室は、「片袖式」。
2010-09-11 小浜市・九花峰古墳
 小浜市遠敷(おにゅう)の九花峰(きゅうかほう)古墳が、若狭地方で最古の四世紀に造られた全長45mの前方後円墳の可能性があると報告された。4世紀にみられる「柄鏡形(えかがみがた)」の古墳の特徴を備えていることが判明し、その形状から、5世紀初めとされる上ノ塚古墳(全長100mの前方後円墳)よりも古い、4世紀後半の造営とみられるとしている。さらに、同古墳から約2km北側にある丸山城址古墳(全長約30mの前方後円墳、5世紀末頃)と同じく海を見下ろす山頂にあることから、大陸との交易や対外交渉を担った首長の権勢を来航者に示すシンボルとしての狙いがあったと考えられる。
2009-08-25 若狭町・糠塚古墳
 若狭町脇袋の糠塚(ぬかづか)古墳と小浜市羽賀の丸山城址古墳が前方後円墳だったことを確認したと発表。大陸との交易を背景に、若狭地方の豪族が勢力を保っていたことを裏付ける資料となる。
 脇袋古墳群内の糠塚古墳は、他に4~5世紀の若狭の王クラスの前方後円墳3基(上之塚古墳:全長90m、4世紀末から5世紀前葉。中塚古墳:全長70m、5世紀前葉。西塚古墳:全長74m、5世紀後葉)がある。
 これまで円墳に見えていたが、今回の調査で全長は約60mと推定。堀が巡らされていることなど、他の若狭の王クラスの古墳と同じ特徴を持つ。築造時期は5世紀末とみられると。


キーワード: 脇袋丸山塚古墳
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向日市・五塚原古墳 昨年出土の埴輪棺は異形の朝顔型円筒埴輪 丹後型円筒埴輪に似る

2017年09月07日 | Weblog
 向日市埋蔵文化財センターの調査で、同市寺戸町の五塚原古墳(3世紀半ばから後半の築造、全長約91mの前方後円墳)で見つかった埴輪が、全国の発掘例で類例のない形状をしていることが判明した。
 埴輪は昨年9~10月に古墳の裾部分から出土したが、破片約300点を接合し、高さ約66cm・口径約20cmに復元した結果、全体的に上に向かって径が大きくなるが、上部が球状で開口部の立ち上がりが低い,特異な形状の「朝顔形円筒埴輪」である。一方、上部が球状なところは丹後地方の「丹後型円筒埴輪」に似ており、外観上の共通要素があるといい、製作技術が乙訓を介して丹後地方へ伝わった可能性を示すとしている。
 80年以上後に築造された近隣の妙見山古墳(4世紀中葉築造、全長約110mの前方後円墳)から運ばれ、五塚原古墳の主の子孫を納めた埴輪棺とみられるという。
 同センターは10月9日まで向日市寺戸町の市文化資料館で開催中の成果展「先祖の記憶―古墳時代の祖霊観」で復元した埴輪などを展示する。
[参考:京都新聞]

過去の関連ニュース・情報
 五塚原古墳

 2016年10月13日 首長の4代目血縁者?埴輪棺見つかる
 向日市埋蔵文化財センターは、五塚原古墳から、埋葬された首長の4代目の血縁者を納めたとみられる埴輪棺1基が見つかったと発表した。埴輪棺は、後円部の裾部で発見。[参考:京都新聞]


上部が球状、全国初の埴輪 京都・五塚原古墳で出土


キーワード: 五塚原古墳(いつかはらこふん)


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諫早市・千々石ミゲルの墓(推定) 木棺の一部、小玉1個、数個の歯などが出土

2017年09月05日 | Weblog
2017.8.21
 天正遣欧使節の一員、千々石(ちぢわ)ミゲル(千々石紀員)が埋葬されたとみられる長崎県諫早市多良見町山川内の「千々石ミゲル墓所推定地」で20日、3度目の発掘調査が始まった。
 過去の調査では遺骨や遺品の発見には至っていない。
 今回は地元の歴史愛好団体などが実行委をつくり、専門業者に委託して本格的に発掘する。
 この日は発掘現場で安全祈願があり、地元住民ら40人が出席した。
 ミゲルは帰国後、キリスト教の修道会イエズス会を脱会。4人の使節の中でただ一人棄教し、仏教徒になったとされる。当時の宣教師は、ミゲルを「背教者」や「落伍者(らくごしゃ)」と評価する手紙や報告書を残している。
 墓所がある山川内は潜伏キリシタンがひそかに信仰を続けていた地域。ミゲルのものとされる墓は仏式で、1639年に死去した人物の戒名が刻まれている。石碑は地元で古くから「ゲンバさんのお墓」と呼ばれ、敬われてきた。2004年には、元長崎歴史文化博物館研究グループリーダーの大石一久さんが「ゲンバとはミゲルの四男、千々石玄蕃(げんば)。墓石の裏面に建立者として玄蕃の名が刻まれており、被埋葬者はミゲルとその妻の可能性が高い」とする説を発表した。

2017.9.1
 千々石ミゲルの墓とされる石碑周辺の発掘現場で31日、石碑の地下1・5mから墓坑の一部とみられる自然石の「蓋石(ふたいし)」3枚が出土した。実行委員会は「ミゲルらを埋葬した棺を覆う蓋石の可能性が高い」と推測。1日に蓋石を外し、内部を調査する予定。
 蓋石は3枚が一列に並べられ、大きいものは長さ1・2m、幅0・44m。隙間からライトを当てたところ、内部は空洞で壁面の一部に石が組まれていることが確認された。蓋石の上には石が敷き詰められ、その上を土が覆っていたという。

2017.9.2
 千々石ミゲルの墓とされる石碑周辺の発掘調査現場で1日、木棺の一部とみられる木片と金具が見つかった。調査を指導する別府大の田中裕介教授(考古学)は「石碑は墓石で『ミゲルの墓』であることはほぼ間違いない」としている。天正遣欧使節の墓が確認されれば初めて。
 31日に見つかった「蓋石」を外すと内部は縦約1m、横約0・7m、深さ約0・5mの空洞で、土の壁に埋まった状態で取っ手や留め具のような金具3点と木片が確認された。

2017.9.5
 千々石ミゲルの墓とされる石碑周辺の発掘現場で4日、被埋葬者の副葬品とみられる直径3mmの玉1個や数本の人間の歯が見つかった。実行委員会が専門家に鑑定を依頼する。
 玉は乳白色で輪状の模様があり、真ん中に穴が開いている。歯とともに墓坑の底に堆積した土砂から見つかった。ミゲルはキリシタン大名が欧州に派遣した天正遣欧使節の4人の中で唯一、キリスト教を棄教したとされるが、実行委は「玉がキリスト教関連の品(ロザリオ)ならば、ミゲルは棄教していなかった可能性がある」と推測(期待)する。 ミゲルは長崎県雲仙市千々石町出身。1585年にローマ法王に謁見した際、ロザリオを贈られたという記録がある。
[参考:長崎新聞、西日本新聞]

過去の関連ニュース・情報
 京都・聚楽第跡 本丸の石垣遺構を確認


ミゲル募でロザリオの玉?

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